第9話
「称号取得で思い出したけど、今度のPAO十周年祭りのステージで踊ったり歌ったりする人、運営が募集してたよ。抽選だけど参加者には称号もらえるらしい。応募してみない?」
「うーん、オレも参加してみたいけど、歌はちょっとなぁ……」
「フッ、弟よ。歌って踊れるアイドルが当たり前の時代だが、一般人でもできないことはない。俺は上位竜を討伐しまくって竜殺しの称号を手にする!だからお前も自信持って応募してこい!」
自分の世界に浸って項垂れていた弟に、兄のトラストラムは発破をかけたかったのか、自分の目標を誇示する。
しかし、側にいる兄弟たちからツッコミが入る。
「兄ちゃん、だから抽選なんだって。選ばれるのに自信とか関係ないよ」
「え?」
「あのな、トラ。それ言うなら戦ってドジるアイドルだろ、お前は」
「は? なにそれ」
「ほら、さっきみたいに突撃して弾のストック忘れて囲まれて輪●されるとか」
「姉ちゃん、言い方が卑猥ー!」
「いいんだよ。漢字は伏字にした。でもトラは卑猥な方が好みだろ?」
「好みじゃねぇし! 好んでないしっ!」
「まぁ、兄ちゃんは純情っぽく見せてるけど、アバターの服はスク水とか、大事なとこしか隠してないの持ってるしね。あと半年前、妊婦バージョンになって【ミブロ】の姐さん達に『腹の子の父親は私だ』って勝手に認知されてたよね」
「な、なんで知ってんだよ、月! 確かに勝手に認知されてたけど、中には誰もいねぇよ! 妊婦バージョンは局長のリクエストに応えただけだ!」
「大丈夫、トラ。コスのことはもう知ってる」
「ガーン! 俺の男としての矜持がぁあああっ!」
「というか、兄ちゃん。男っていうより、もう男の娘じゃね?」
「ガーンッ! 兄としての矜持までもがぁあああっ!」
アバターが女性ということもあって、もはや男とか兄とかの矜持はないに等しい。精神ダメージを受け崩れ落ちるトラストラムの頭を、橘花が慰めるように撫でながら言った。
「はいはい、墓穴掘るドジっ子属性はパッシブスキルだからねー」
橘花が「次どうするー?」と月に声をかけると、ふと考え込んでいた月に目を向ける。
「どうした?」
「んー……いやさ、PAOが十周年祭りってことは、あれからもう五年になるんだね」
「何が?」
「“あの事件”からの経過年数」
「……ああ!」
月の言葉で思い出した事件に、橘花は苦笑する。あの時も、こんな風に三人で狩りしながらふざけ合っていた。
五年前――全世界の精密機器が一斉停止した。
原因は謎のまま。仮説が乱立し、いまだに解明されていない。
「今でもオカルトじみた説言う人いるよね。異次元とぶつかったとか繋がったとか」
「現実的には太陽の爆発、太陽嵐説もあるけど、変電所が無事だったらしいし……それで全世界に影響とか信じがたいよな」
「で、そんな話どうしたの?」
「ちょっと思い出しただけ。最初はダイブギア危険とか言われて倦厭されてたけど、みんないつの間にか戻ってきたなーって」
「人間そんなもんだよ」
事件当時、ダイブギア利用者は突然の強制ログアウトに見舞われた。現実では大規模停電で交通機関は麻痺し、通信も全滅。人々は三日間情報途絶のまま過ごした。
政府が自衛隊を動員し情報を伝えたが、その通信はモールス信号などの旧式手段だった。
日本では新幹線緊急停止、列車事故、飛行機の緊急着陸などが相次いだが、奇跡的に死者は出なかった。
ダイブギアの安全機能『緊急隔離プロテクト』が利用者の意識を保護し、植物状態になる者を防いだのだ。
この機能がなければ、意識消失や後遺症が多数出ていたかもしれない。
事件後、ネット上のデータ消失も判明。バックアップのない多くは泣き寝入り状態となったが、PAOだけは事件前に全データを厳重に保存していたため、復旧が早かった。
その結果、ゲームがコミュニティ掲示板や政府の臨時通信手段としても利用され、登録者数は世界一にまでなった。
事態が収束し、五年経った今は通常運営されている。
「あ、そろそろ俺ヤバい。仕事の時間!」
懐かしい話の最中、トラストラムが慌てて時計を見てアタフタ。
「現実はもうそんな時間か。トラ、早番だっけ?」
「そう、早番。飯作る時間キツい!」
「仕方ない。目玉焼きとベーコンとパン焼くから準備しろ。このドジっ子は抜けてるなあ」
「ドジっ子いうなー! でも朝飯は頼むー!」
トラストラムが急いでログアウトする。
「私もログアウトするけど、月は?」
「オレはもうちょっと遊んでから朝飯。九時出勤だから」
「トラと同じメニューでいいか?」
「作ってくれるなら何でもいい」
両親は共働き。子どもたちは協力して家事をこなす。忙しい両親の背中を見て育ったから、自然とできることは自分たちで。
そんな仲の良い兄弟だ。
「姉ちゃんの出勤時間は?」
「ふふーん、今日は休日だぞー! 羨ましいだろ、ハッハー!」
「うわ、ムカつく! PvP仕掛けてやるっ」
「ちょっと、これから飯の支度なんだからバカヤロー!」
「逃げるなら逃げれば? PvP履歴に離脱記録残るだけだしー」
「ちっ、私の戦績に傷つけようなんて片腹痛いわ! かかってこい、イグアナ!」
「オレは竜人だ! 古代種の血を引くレア種だぞ!」
「刺身にすれば同じだって! 朝飯、納豆卵かけご飯にするぞ!」
「オレ、卵かかった納豆嫌いなの知ってるよな? 勝ったら朝からサイコロステーキにしろ!」
「ハハハ、私に勝つなんて百年早いわ!」
――ピコンッ。トラストラムさんからメールが届きました。
トラストラム:『姉貴ー! ごはん、はよーっ!』
……仲が良いはずの兄弟である。