第81話
その頃、山と森に抱かれた街アルミルに、新たな影が忍び寄っていた。
深い森を抜け、険しい山を背にしたこの街は、もともと外敵に備える堅牢な外壁を持つ。外の世界とをつなぐ街道は少なく、人々は互いに顔を知る程度の小さな共同体を築いていた。だからこそ、外からの来訪者は目立つ。
陽光を浴び、埃まみれの鎧を身につけた一団が外門をくぐろうとするも、衛兵に止められた。
しかし、その一団は意に介さずに道を開けるよう言い、身分証明もないまま通ろうとする。
強引に通ろうとする集団を衛兵達が押し留めようと動いた。
「俺たちは“ミブロ”だ!」
先頭の男が高らかに叫ぶ。
瞬間、ざわり、と空気が波立った。
“ミブロ”――この地でも名を知らぬ者はいない。鉄の侵略者と戦い、各地で英雄譚を残す治安維持を担っていた鬼人族だけで構成されたギルド。その名は憧れであり、守りの象徴でもあった。
だが、目の前にいる彼らは……あまりに粗野すぎた。
目つきは獣のようにぎらつき、腰に下げる剣は血錆を帯びている。どこからどう見ても、誇り高きギルド構成員や冒険者というより、傭兵崩れか山賊上がりだ。
「見ろよ、あれ……羽織だ」
「浅葱色に……ダンダラ模様……」
誰かが指さした。
リーダー格の大男が肩に掛けているのは、確かに“証”と呼ばれる羽織だった。緑がかった明るい藍色に、袖口に山形が連なった模様。噂に聞くミブロの装束と同じ意匠。
「……まさか、本物……?」
「でも、こんな乱暴な……」
否定も肯定もできない。人々の目は揺れていた。
やがて彼らは、街の中心にある冒険者ギルドに押し入った。
重厚な木の扉を押し開け、石畳の床を踏み鳴らしながら堂々と進む。
いきなり冒険者ロビーへと入ってきたその集団を押しとどめることができず、ついには人数が多いためロビー中央を占拠する形になる。
「聞け! 治安維持のために、このギルドは俺たちが接収する!」
リーダー格が宣言すると、ギルド内の空気は凍りついた。
「なにを……ほざいておる!」
烈火の如く立ち上がったのは、ギルド長ガンジだ。
山岳地帯で幾度も魔物と戦い、数々の冒険者をまとめてきた男。その眼光は鋭く、ならず者の虚勢など一目で見抜いていた。
「ふざけるな! ここは冒険者の誇りを預かる場だ。盗人まがいに渡すものか!」
ガンジの怒号とともに冒険者たちが次々に武器を手にする。山のモンスターを狩って鍛えた腕は、決して弱くない。だが、相手は数で勝り、しかも“ミブロ”を名乗っている。
住民たちが窓や開いたままの扉から覗き込み、囁き合う声が外まで響いた。
「……羽織は本物に見える」
「でも、あんな横暴な真似をミブロが?」
疑念は、街を縛る鎖となった。
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これからの建設的な話をするために、隠れ里のチームとギルドに来ていたペーターは小さな拳を握り締めていた。
(違う……! ミブロは、あんな奴らじゃない!)
叫ぶのを我慢しているペーターの目の前で、その集団をまとめているリーダーが笑いながら言う。
「いいか、これからは俺たちがこの街を守ってやる。税も維持費も、まとめて俺たちに納めりゃいい。山も森も危険だろ? 命懸けで守ってやるんだ、安いもんだ」
ギルドへ来ていた住民の顔が強張った。
森と山に囲まれたアルミルは、魔物の脅威と隣り合わせにある。守りがなければ生活は成り立たない。その弱みを突かれているのだ。
(俺の師匠が、ミブロがこんな言葉を吐くわけがない!)
叫びたいのに、声が出ない。子供の言葉では、大人たちを動かせない。
羽織の存在が、全てを縛っていた。
胸が詰まり、悔しさで涙が滲む。
(師匠さえ、ここにいてくれたら……!)
気づけば、ペーターは駆け出していた。
「ペーター!? どこへ行く!」
背後で、チームで年長者の青年が叫んだが、振り返らない。
小さな足で石畳を蹴り、街路を抜け、外壁の門を越える。山風が吹きつけ、森の匂いが押し寄せる。
(師匠を連れてこなければ、街は守れない!)
転んで膝を擦りむいても、痛みを振り払って走る。
深い森の奥へ、ひたすらに。
「オレが……オレが連れてくるんだ!」
やがて夜の帳が山の影を濃くする中、幼い声が森に溶けていく。
街には偽りの影がはびこり、本物は不在。
真実を求める小さな背中は、森の中へと消えていった。
アルミルの未来は、今、その幼い決意に託されていた。




