第77話
アルミルの街の空気は、蜜病終息の余韻でまだほんのり温かかった。
人々は久しぶりに街の広場を行き交い、笑顔で再会を喜んでいる。
橘花もマスクを外しての久しい外出で、街の活気をふらりと見て周っていた。
その時――。
「師匠ーっ!」
不意に橘花の腰にぽふっと体当たりしてきた者がいた。
「ペーター!?」
小さな体で、まるで全力の突撃をしかけてきたのは、隠れ里の鬼人族ハーフの少年、ペーターだった。
橘花は思わず腰に回された腕を押さえ、目を丸くする。
「来ちゃった!」
ペーターの目は輝き、息も上がっている。
「師匠の活躍を聞いたら、もう黙っていられなくて!」
「か、活躍って……」
先生とか言われるんじゃ、と橘花は身構えた。が、話は違った。
隠れ里でのひと段落ついた後、疫病発生でガンジが隠れ里に報せを送っていた。下手にやり取りが途切れたと街に来て感染を広げることになったら厄介だからだ。
あの後、行き来が出来なくなったことで、隠れ里でも不安の声が上がったが、橘花の策が感染症を鎮静化させるまでに至ったことで、その報せを送って再度、不足があれば対応するということで話し合いをするために、代表がアルミルの街に訪れた。
ペーターは胸を張り、得意げに続ける。
「村長のザザンさんも、みんなも、師匠なら絶対解決してくれるって言ってたんだ! だから僕も今回、代表チームになってきた!」
ペーターはぐいっと手を伸ばし、橘花の手を握る。
「師匠が頑張ってるなら、おれも全力でついて行くもん!」
橘花は苦笑しながら頭を撫でる。
「……相変わらず猪突猛進だな、お前は」
それでも街の中で、久しぶりに聞く少年の元気な声に、人々も自然と笑顔になる。
隠れ里の小さな英雄が街で大暴れ――いや、手伝おうとしている、その光景に、橘花は肩の力を抜き、少し心が温かくなるのを感じたのだった。
ペーターのいう隠れ里の代表チームで来たということで、ペーターの来たであろう後方を見ると、苦笑いの隠れ里の若い組の青年達がいた。
隠れ里の集団で固まっていては街中で立ち話もできないと、そのまま橘花も一緒にギルドに顔を出すことになった。
着いた冒険者ギルドのロビーでは、橘花に連れられてきた集団に目がいく冒険者やギルド職員達。
ザザンから言伝を頼まれた青年が窓口で喋っている間、代表チームのメンバーと邪魔にならない隅に移動した橘花。
久しぶりに会えたからか、ペーターは橘花の腰から離れようとしない。
邪険にもできず橘花はペーターの頭を優しく撫でると、嬉しそうにされるがままに頭を差し出してくる。
年相応の反応をする少年に、ロビーに集まっていた人々は、二人のやり取りを微笑ましく眺めていた。
橘花が大きな手で少年の額から撫であげると――ふと、前髪の隙間からぴょこんと覗いたものがあった。
小さな、額の黒い角。
「……あれ?」
「今、見えたよね」
「見えた見えた! 角だ!」
ざわ……と人垣が揺れる。
橘花が気づくより早く、ギルドの職員が声をかけた。
「君、その……おでこのは?」
ペーターは一瞬、ためらうように目を瞬かせたが――すぐに胸を張り、ペロッと自分で前髪を上げた。
「おれ、鬼人族のハーフなんだ!」
堂々たる宣言に、職員は目を丸くし、周りの冒険者も口をぽかんと開ける。
橘花はその様子を静かに見守っていた。
――隠れ里で出会った頃は、角を恥じて下を向いていた少年が、今はこんなにも晴れやかに笑っている。
それだけで胸がじんわりと温かくなった。
だが、周囲の人々は別の方向に思考が大暴走していた。
「鬼人族のハーフ!? ……え、ちょっと待てよ?」
「だって見た目、人間族寄りじゃん。なのに角があるってことは……」
「……橘花さんの、子供……?」
「ええええ!? 橘花さん、既婚者だったの!?」
「マジで!? あんな色気ダダ漏れで独り身に見えたのに!? 裏で家庭持ちとか……!!」
「お相手は誰!? え、人間族の奥さん!? やっぱり美女!?」
勝手に飛躍する想像、勝手に進む噂。
当の本人である橘花は、誇らしげに角を見せるペーターの頭を撫でつつ、まったく気づいていない。
職員A(心の声):「落ち着け、私……今すぐ『違いますよね?』って確認すべきか……いやでも、もし本当だったら……」
職員B(心の声):「え、橘花さん、父親だったの!? え、でも妻子持ちならあのギルドでの寝起き妖艶事件どうなるの!?」
職員C(心の声):「……くっ、既婚者萌えは新しい扉かもしれん」
ロビーのあちこちで、人々の妄想と誤解が渦を巻いていった。
そして極めつけは、依頼に来ていた屋台のおばちゃんの一言。
「橘花さん、子育てまでしてたなんて……立派な人だねぇ」
意味が飲み込めず「……は?」と首を傾げる橘花と、今更ながら周囲の反応に気付いて「え? え?」とキョロキョロ見回すペーター。
師弟のほんわかシーンは、見事に“家庭持ちスキャンダル”へとすり替わっていたのであった。
「いや違うからな!!」
橘花がつい声を張り上げた。
一瞬で周囲がシン……と静まる。
「この子は隠れ里の子だ! 変な噂広めるな、この子の御母堂に失礼だからな!」
その堂々たる反論に、職員や冒険者たちは「あ、そりゃそうだよな……」と一瞬納得しかけた。
が――次の瞬間、ペーターが胸を張って割り込む。
「確かに! 橘花師匠は父ちゃんみたいだなって思うことはあるけど、父ちゃんとは違う!でも、父ちゃんみたいに尊敬してる!」
その言葉に、広場の空気が一変した。
「きゅ、きゅん……!」
「な、なんて真っ直ぐな……!」
「尊敬してるって……親子の絆を越えてるじゃないか!」
「え、これもう血は繋がってなくても“親子”ってことでよくない?」
人々の脳裏に、勝手に浮かぶ絵図――
橘花が少年の肩に手を置き、「お前もよく頑張ったな」と優しく微笑むシーン。
まるで劇場ポスターのように美化され、全員の胸に突き刺さる。
ギルド職員A:「これ、もう既成事実でしょ……」
ギルド職員B:「“尊敬の父ちゃん”…ッ!なんてエモい!」
ギルド職員C:「私、橘花さんの寝起き妖艶より、親子シチュで燃え尽きそうです……」
「いやだから違うっつってんだろ!?」
必死に否定する橘花だが、時すでに遅し。
ペーターの純粋な一言が、ギルド職員と冒険者たちの心を完全に撃ち抜いてしまった。
結果――街には新たな噂が生まれる。
「橘花さん、隠れ里にもうひとり息子がいたんだって」
「あんなに立派に育ってるのは、やっぱり橘花さんが父親だからよ!」
「ああ見えて家庭的……最強じゃん」
ギルド職員達の噂は止まらない。
「…………なんでこうなるんだ」
「え、師匠怒ってる? でもおれ、ほんとの気持ち言っただけだよ?」
橘花は思わず頭を抱えた。
――弟子の真っ直ぐさが、最大の燃料になるなんて想定外だった。




