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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
蜜病狂騒編
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アルミル蜜病記外伝②

サイモンは日々、橘花から教わった通りに初級ポーションを作り続けていた。

作業は遅く、なかなか思うようにいかない。

それでも橘花に「慌てるな、一つひとつ丁寧にやれ」と言われたことを胸に刻み、毎日同じ工程を守っていた。


だが、時間は残酷だった。

ある日、同僚の一人が「量産できる」と言い出したのだ。工程を簡略化し、半分の時間で瓶を並べていく。薬師たちは一斉に沸き立ち、「すごい」「さすがだ」と持ち上げた。

サイモンは机の前で黙り込むしかなかった。自分が信じて守ってきた丁寧さが、ただの鈍さとして映る瞬間だったからだ。


(やはり、自分は要領が悪いだけなんだ……)


落ち込む心を抱えたまま、彼は夜も遅くまで瓶を磨いた。だが、虚しさは拭えない。

そんな折、事件が起きた。


薬師ギルドに住民からの訴えが届いたのだ。

「新しいポーションを飲んだのに、まるで効き目がない」という。

患者の顔色は変わらず、熱も下がらない。

傷にかけても最初の物より治りが悪い。

怒りと不安を抱えた人々が、ギルドの扉を叩いた。


急遽、レシピの提案者として橘花が薬師ギルドに呼ばれた。


問題の瓶を橘花が受け取り、窓辺の光に透かした。

青いはずの液は、どこか水色に近い。彼は眉を顰めて一瞥すると、低い声で呟いた。


「……これ、必要な工程を省いたな?」


その一言に場が凍りついた。

橘花は瓶を傾けながら続ける。


「薬草の成分が出きる前に濾過を終わらせたか、あるいは材料をケチったか。どちらにせよ、効果は半分も出ない。……こんなものを患者に渡したのか?」


静寂の中、量産を誇っていた同僚が顔を青ざめ、しどろもどろに言った。


「……その方が、早く大量にできるし、売り上げだって……」


その瞬間、橘花の表情が一変した。

雷鳴のような怒声がギルドの空気を震わせる。


「私がレシピを無料で公開したのは、儲けるためじゃない!」


拳が机を叩き、ガラス瓶が揺れた。


「ひとりでも多くの命を助けたいからだ! それなのにお前らは効率と見栄ばかり追い、人の心に寄り添うことを忘れたのか!?」


薬師たちは凍りついたまま息を呑む。橘花はさらに言葉を叩きつけた。


「お前たちは薬学を学んでいるんだろう? ならば知っているはずだ! たった一滴、濃度の違いで薬が毒になることを! お前たちは効率と営利目的で適当に作ったこれを……親に飲ませられるのか? 自分の子供に、大切な人に、本当に飲ませられるのか!?」


誰も反論しなかった。

それは橘花の声に気圧されたからではない。

薬師を志した当初――誰もが「人を救うために薬を作る」と誓ったからである。その誓いを真っ向から突きつけられ、彼らは言葉を失ったのであった。


橘花が自分のためではなく、誰にでも作れるようにとレシピを公開したのは実験であり、同時に希望だった。

ひとりの力では到底足りない。だからこそ、薬師ギルドに依頼したのだ。

「作れるかどうかを確かめ、そして作ったそれを街へ供給して、まだ見ぬ患者の命を救ってほしい」と。


沈黙だけが広がる中、橘花の怒りは決して金銭や名誉に対するものではないことが誰の目にも明らかで、純然たる人の命への憂慮から発せられたものだった。


「効き目がある新しい抽出方法を見つけたのならともかく、手を抜いて効果を落としたら薬ではない! お前らは薬師(やくし)じゃなく、詐欺師(さぎし)と呼ばれたいのか!」


サイモンの目に、怒りを燃やす橘花の姿は泣いているように見えた。

悔しさと、失望と、そして人の命を想う切実さ。

その涙を裏切ったのは、自分たち薬師ギルドに他ならない。


最終的に薬師ギルド長が公式謝罪文を出す事態に発展した。

サイモン自身も、粗悪な初級ポーションを市場に出した同僚への怒りと悔恨を胸に、以後は正確な調合に全力を注ぐようになる。


こうして「初級ポーション事件」は、単なる失態ではなく、薬師たちが本来の誓いを取り戻す契機となった。橘花の怒りは一時の激情ではなく、人命を重んじる医療の倫理そのものであった。



歴史家はこの事件を「薬学倫理の再確認」と呼び、医学者は「薬師教育の原点」と評する。いずれにせよ、ここで刻まれた教訓は一つである。


――薬は、決して効率や利潤のためにあるのではない。命を救うためにこそあるのだ。




Pandora Ark Onlineの蜜病編を執筆するにあたり、医療のお話を聞かせてくださっていた友人のご家族が、誤投与により命を落とされました。

その出来事をきっかけに、短編として薬を題材に取り上げました。

啓発になるものではありませんが、せめて何かを残すことで、少しでも報いたいと思います。

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