第8話
人の膝ほどもある草が生い茂る草原をものともせず、一つの影が疾走していた。
影が目指す先には、赤茶色の毛に覆われた大型の獣──レッドウルフの群れがいた。体長は成人男性ほどもあり、その数は数頭に及ぶ。彼らは獲物を囲むように集まり、牙と爪で執拗に攻撃を繰り返していた。
影はスピードを落とすことなく群れへと突進。接触する寸前、背中に背負った大剣の柄を右手で掴み、勢いよく振り抜いた。その一撃で、直進ルート上の数体のレッドウルフが薙ぎ払われる。
獲物に夢中だった群れの中心は襲撃者に気づかず、振り返ったときには既に相手に主導権を握られていた。
身長二メートルを超える巨躯に鈍色の重厚な鎧を纏った戦士――重戦士――は、左手の盾で間合いを取りつつ、目の前のレッドウルフを弾き飛ばす。
群れが再び突進してくると、大剣で斬り払いながら中央へと切り込んでいく。最後の一振りで数体をまとめて斬り伏せると、残ったレッドウルフは警戒し、距離を取った。
重戦士は背後の存在に視線を向けた。赤い髪に赤いメイド服を纏った森人族――トラストラムだ。噛みつかれ服は傷み、疲れ切った様子で「無事?」と問われる。
「な、なんとか……」
重戦士は盾を構え直し、周囲の獣たちを警戒しながら静かに応じた。
そこへ銀髪の鬼人族、橘花が突進してきた。群れを数体まとめて薙ぎ払い、残る敵にも容赦なく斬りかかる。まさに古参アタッカーの矜持が溢れる、圧倒的な強さだった。
二人を囲むレッドウルフは瞬く間に屠られ、草原に静寂が戻った。
「来てくれて、さんきゅー、月!」
トラストラムが感謝の言葉を口にすると、溜息交じりに振り返ったのは鎧姿の戦士――月と呼ばれる男だった。
数秒遅れで、「いやっふー!」という橘花の奇声(もとい歓声)が響く。目を向けると、彼は最後のレッドウルフを空高く斬り上げ、それが落ちてくるたびに繰り返し斬りつけて遊んでいた。
戦闘中は敵の体がフェードアウトしない仕様を逆手に取った、橘花の日頃のストレス発散の犠牲者がレッドウルフというわけだ。
戦闘が完全に終わったと判断した月は、頭部の防具を外す。そこから現れたのは、厳つい緑色のトカゲのような顔。後頭部から背中にかけて鋭い鬣状のたてがみが立ち、太く長い尻尾が鎧の背面から伸びている。竜人族のアバターだ。
「メッセージが来たからね。着いた途端に戦闘とは思わなかったけど」
月は軽口を叩くが、その素顔は橘花の弟、次男である。彼は朝、起き抜けに届いたお誘いメールを受け取り、姉たちの動きを見て仕事前に慌ててログインしてきたのだった。
竜人族を選び、職業は重戦士。だが、実は副職に神官回復役を選択している。
「ちょっと動かないで……ハイヒール!」
ガントレットを装着したまま翳した手から淡い癒しの光が放たれ、トラストラムの傷だけでなく、ボロボロになっていた服までゆっくりと修復されていく。
橘花や兄が特攻タイプに特化してしまうため、彼はPTで回復役が不足する状況を危惧し、副職で回復を担わざるを得なかったのだ。損な役回りと言っていい。
特攻を終え、汗をかいた橘花が戻ってくる。
「ツッキー、お疲れー。いいタイミングで来てくれて最高に格好よかったよ」
「はぁ……お願いだから、もうちょっとオレの負担考えてくれないか?」
「そうだぞ姉貴、たまには考えろって」
「兄ちゃんもだ。魔法職特化種族なのに弱ヒールしか使えないのはやめてくれよ」
「……ハイ」
弟の月に窘められたトラストラムはしょんぼりと項垂れた。
「久々に三人揃ったんだから、固いこと言うなってー。役割分担あれば楽だろ?」
「いや、それで重戦士の俺が盾役なのに後方支援で回復役ってのは納得いかない」
「トラストラムだって後方支援でしょ?」
「兄ちゃんは攻撃特化だし。姉ちゃんがロックゴーレムに特攻してから『ヒャッハー!俺の実力、味わえ!』って叫びながら新作武器片手にレッドウルフに突っ込んでったんだぞ」
「え、月が駆けつける前だろ?なんで知ってるんだよ」
「こっち着いて姉ちゃんにPT申請通してもらって、ログ見たんだよ。意気揚々と叫んで武器チェンジして、何かやばそうだなって思って駆けつけたらあの状態だった」
「あー……なんか爆発あったよな。それでこのザマか。で、トラ、それ新作武器?」
月の問いかけに橘花が促すと、トラストラムは俯いていた顔を一気に上げて、新作武器を自慢げに掲げた。
「フッ……よくぞ聞いてくれた!俺様の、俺様による、俺様のための新作武器!見よ、この美しく堂々たる姿!目の前の敵を焼き尽くす地獄の使者、恐るべき威力を誇る……」
「もういいから、説明はやくして」
「……ハイ」
橘花に一蹴され、トラストラムは渋々説明を始める。
彼の武器は銃火器だ。森人族なのに、主力が剣や弓ではない?と思われそうだが、本当だ。主職は狙撃手、副職が魔導師。火力重視の組み合わせだ。
本人は「戦うメイドさん」を自称し、森を大事にするなんて常識は鉄くず置き場に捨てたと言い切る。実際、先ほどの突撃で森の一部を焼き払ってしまった。
新作銃はリボルバー式。一発一発が強烈で、着弾と同時に燃え広がり、前方約五百メートルの扇状範囲を焼き尽くす。
敵が密集していれば効果は抜群だが、小さく素早い相手には散らばって避けられてしまうため、倒せる数は限られる。
こうした武器は大型ボス相手のほうが向いている。小型のモブにはオーバースペックだし、専用弾が必要なので切れるとただの鈍器にしかならない。
だから、数で押してきたレッドウルフの前では散々な目に遭ったのだ。
「この新作は一昨日、姉貴と【ミブロ】の皆と上位竜討伐クエストに行って手に入れた素材で作ったやつ」
「え、兄ちゃん【ミブロ】の姐さん達とクエスト行ったの?」
「フッ……残り上位竜二百匹討伐で、俺は目的達成できる段階だ。こんなの、あと数ヶ月でサクッと終わらせる」
「トラ、数ヶ月もかかるのに胸張って言うなよ」
「仕事の時間配分考えても上位種二百匹なら一週間で終わらせなきゃだけどな……で、兄ちゃんの目標は何?」
「ああ、トラは竜殺しの称号が欲しいらしい」
「ふーん。オレも持ってるよ。上位竜千匹単独撃破だろ?」
「竜人族のくせにそれ持ってるお前が一番シュールだわ」
「何言ってんだよ姉ちゃん。あっちモンスター、こっちPCだぞ」
話は橘花と月の間で進んでいき、トラストラムは一人「くそっ、俺の実力はこんなもんじゃない……」とつぶやきながら項垂れていた。




