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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
蜜病狂騒編
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第70話

橘花はギルドの許可を取り付けると、動ける冒険者と街の衛兵、それに数人の医者を連れて現場を回った。


「患者の家は出入り口を一つにして、物を持ち出す時は必ず拭いてから。寝具も食器も専用に分けて、それ以外の人間は触らせるな」

「看病役は一日交代。交代する時は必ず手と腕を井戸水で洗い、着替えろ」

「患者を運ぶ時は混雑する道を避けろ。通った後は水を撒け」


聞き慣れない指示に、最初は皆が戸惑った。

だが、橘花は一つ一つ理由を説明していく。

「病は目に見えないもので移る。物や手にもくっつく。だから動線と物を分ければ、それだけ広がる道を減らせる」


数日もしないうちに、効果が現れた。

患者の家族以外に新たな発症者がほとんど出なくなり、医者たちは顔を見合わせた。


「……これは驚きだ。隔離と消毒は知っていたが、患者と物の行き来まで制限するとは」

「一体どこでこんな方法を学んだのです?」


医者の一人が興味深げに橘花を見た。

橘花は少しだけ目を細め、淡々と答える。

「弟だよ。名前はトラストラム。あいつは人を治すのを仕事にしてた。『家に病を持ち込むな』って、毎回口うるさく言われたもんだ」


「医術師なのですか?」

「まあ、こっちで言えばそんなもんだな。私にとっちゃ、あいつの言葉は命綱だ」


医者たちは感嘆の息を漏らす。

「その弟御……ぜひ一度お会いして、話を伺いたいものですな」


橘花は口の端だけで笑い、心の中で小さく呟く。

――あいつがここにいたら、きっと今の数倍の手を打っていただろうな。


ーーーー


街の路地や広場では、冒険者や住民が互いに目を光らせながら行動していた。


「手、洗ったか?」

「布マスクはしっかり着けろよ!」


店先では、商人が互いの手を消毒し合い、使い分ける水桶や食器を確認する。子どもたちは遊びの合間に手を洗い、兄弟や友人に「こっちの水を使え」と教える。老人たちは、自分で布を縫って口当てを補強し、隣人に正しい装着法を教えていた。


街全体が、橘花の声を超えて自発的に秩序を生み出していた。人々は不安を抱えながらも、互いを守るための行動を優先する。熱気と緊張が混じり合う路地の空気は、街がひとつになって危機に立ち向かっていることを示していた。


四人組も、それぞれの担当区域で小さなリーダー役を果たす。ロイヤードは子どもたちをまとめ、ウェンツは酒場と食堂で消毒の徹底を促す。ソータは市場で客に手順を説明し、エレンは老人や体力の弱い者を支援する。四人の声が街の空気に溶け込み、橘花の意図を拡大していた。


橘花は広場の端に立ち、人々の動きを見守る。小さな秩序が積み重なり、混乱の波は少しずつ抑えられている。だが、胸の奥には警戒が消えることはなかった。


「……さて、次は病院訪問と行きますか」


ギルドを通じて、罹患が疑われる患者の所在が伝えられた。橘花はようやく面会を許された部屋へ入る。薄暗い室内には、軽く発熱でうめく老人が布で口を覆い、呼吸が荒い。手足には軽い腫れが見え、体液がじんわりと滲んでいた。


橘花は距離を保ちつつ、目を凝らす。微かに甘い匂い――鼻をくすぐる蜜のような香りが漂う。


「……やはり、これか」


血液と飛沫の両方に注意しながら観察すると、隠れ里で見た『蜜病』と一致していた。

決定打は、橘花の行った鑑定の結果だった。


「……間違いない。『蜜病』だ」


橘花の心に、緊張と覚悟が走る。街の人々が少しずつ秩序を作り上げている間にも、菌は潜み、拡散の危険は消えていない。これからが、本当の戦いだった。


橘花は深呼吸をひとつ。背後では、四人組が街の秩序を守り、住民たちは自発的に行動している。すべてが、次の一手にかかっていた。


ーーーー


ギルドの一室に集められたのは、支部長代理のガンジ、ギルド職員、そして街の医者たち。橘花は机に資料と観察記録を広げ、立ったまま全員を見渡した。


「皆、よく聞いてくれ。今回確認した感染症は、以前、私がいたギルドの副長から教わった『蜜病』と同じだ」


部屋に微かなざわめきが走る。医者たちは互いに顔を見合わせ、眉をひそめる。

それはそうだろう、橘花も昔のログを確認しても出てこず、しらすご飯から聞いた話を思い出して解決したほどのマイナーな病だ。

なぜ言い切れると言われても、"鑑定"したという説明で不十分なのは、橘花も見ていて分かった。この世界の医師たちは、病気に判定に"鑑定"を使っていない。


それとなく聞いてはみたが、この世界の"鑑定"は無生物に対して行われるもので、生物には使われない。

こちらに来る前の橘花の記憶でも、NPCは人に対しての鑑定ができず、プレイヤーがストーリーやクエストのNPC救助などの場面で進捗状況を確認しやすくするために使われていた。


ここで「鑑定した」と言っても怪しまれるだけ。この正念場でチーム体制を崩してしまわないよう、橘花は資料をできるだけ作り、弟の言っていた感染症関連の小言の思い出せるすべてを説明に散りばめた。


「初期から中期段階では外見上は軽症、風邪と見分けがつかない。だが、初期から虫が好む匂いを発し、特に蜜の匂いに敏感なアゲハ蝶が寄ってくる。見分けるひとつのポイントにしてくれ。しかし、重症化すると一気に節々の痛みと吐血が始まる。全身が菌の温床となり、救命はほぼ不可能だ。感染は血液や飛沫で広がる。接触した者も潜在的な感染者になる。」


職員の一人が手帳にメモを取りながら尋ねる。

「隔離と消毒だけでは足りませんか?」


橘花は静かに首を振った。

「それだけでは間に合わない」


蚊が媒介し、くしゃみや咳で更に広がる。

この二つの経路を同時に断たなければ、街はあっという間に沈む。


森と山に囲まれたアルミルの街は、湿気の多い土地柄もあって、蚊の発生は夏の風物詩のように当たり前だった。

だが今、その当たり前が命を奪う牙へと変わろうとしている。

そのことを伝えると、室内で聞いていた全員の顔が青くなった。呆然としている全員に、早く対策しなければ罹患者は減らないぞ、と喝を入れる。


「まずは蚊だ」

橘花はギルドの会議室に地図を広げ、医者や職人、衛兵たちを前に指で円を描いた。

「水が溜まっている場所を全部潰せ。樽も桶も雨ざらしにするな。井戸や貯水桶には蓋をかけて、隙間は布で覆え」


次に、飛沫対策。

「寝具、食器、衣類は完全に個別管理。看病役は必ず手洗い・うがいを徹底させ、服も交換させること。街の井戸水も患者の周囲は使用禁止だ」


「手間を惜しんだ分だけ、死人が増える」

橘花の言葉は、今までの失敗を突きつけられる思いだったが、事実だと全員が痛感している。


ガンジが腕を組み、重い声で問う。

「具体的には、誰がどう動く?」


橘花は資料を指さし、声に力を込める。

「医者は症状確認と隔離管理……患者を色で判別する方法を教える。あと治療薬の準備だ。ギルド職員は感染者情報の整理と住民への伝達。冒険者はパトロールと救援支援、食料・水の安全確保。ギルド長代理、ギルド支援として蚊帳の制作と布マスクの生産、蚊よけになる草の早急な採取をお願いしたい。住民には、他人と接触を避け、手洗いうがいを徹底させる。それと水溜まりを潰すのを手伝ってもらう」


医者のひとりが声を震わせた。

「でも、街の人々が……」


橘花は穏やかだが強い眼差しで応える。

「街の人々は動く。私が見た限り、既に自発的に互いを注意し合っている。だが、指示が具体的でなければ不十分だ。だから、皆で指導役となり、正確に伝える必要がある」


ガンジは深くうなずき、周囲を見渡す。

「よし、橘花の指示通りに動く。すぐに各区域に伝令を回せ」


橘花はさらに具体的に、行動手順を伝える。

「患者の部屋には必ず目印をつける。出入りする者は布マスク必須。食事や水は個別容器、使用後は消毒。パトロール中、症状のある者を見つけたら速やかに隔離、医者に連絡。住民には、外出時は距離を保ち、手洗いを必ず行わせる」


職員たちは半信半疑だったが、橘花の冷静かつ具体的な指示に次第に理解が追いつく。すでに現場を知っている医者たちはメモを取り、手順を確認し合っていた。


「行動開始だ」


部屋を出た橘花の後ろ姿を見つめながら、ガンジは低くつぶやく。

「……やはり、奴に任せるしかないか」


街の各所では、冒険者や医者が橘花の指示に沿って動き始めた。小さな秩序が、混乱の中で徐々に形を作り、街全体を包み込む。


橘花は背筋を伸ばし、手元の資料を握りしめる。まだ完全ではないが、ここから正確な指導と連携が行われれば、感染拡大を食い止められる――その確信を胸に、橘花は街の安全を守るため、再び歩き出した。

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