第63話
アルミル冒険者ギルド・支部長室ーーー。
ギルド支部の重厚な扉をくぐり、橘花と男子四人組は、今回の報告のために支部長室の前に来ていた。
本来なら冒険者ギルドの象徴たる重厚さが漂っているはずの部屋。
分厚い扉を押し開けると、ギルドには不釣り合いなほど煌びやかな空間が広がった。
金の装飾が施された椅子、無駄に豪奢な絨毯、絵画や彫刻の数々――まるで貴族の応接間だ。
「……なんだ、この場違いな成金趣味は」
橘花は眉をひそめ、背後の四人も小声でざわつく。
重厚な革張りのソファと、磨き込まれた楕円形のテーブル。壁際のキャビネットには、色とりどりの洋酒が並んでいた。
その中央に鎮座しているのは、深い琥珀色を宿した液体を抱くクリスタルのデキャンタ。光を受けて、切子細工がきらきらと反射し、ただの酒瓶以上の存在感を放っている。
「……いかにも貴族趣味ってやつだな」
橘花はちらりと視線を向け、鼻で笑った。中身のブランデーよりも、見栄えの器に金をかけているのは明らかだった。
部屋の悪趣味さに辟易しながら、視線を革張りの椅子にふんぞり返る男――モリフン・マーキアドに移す。
二重顎に丸い目、狸のような面立ち。
小太りの体を金糸で縁取られたマントで包み、手元の爪を磨きながら、こちらに視線すら寄越さない。
人間族至上主義で悪評高い人物なのは噂で聞いていた。
その両脇には、相談役のガンジと書記官が控えている。
ここで報告とか勘弁してほしいと思いながらも、「先の事件の報告に来ました」とだけ発した後、とりあえず反応が来るまで待つ。
ようやくチラリと視線を寄越したと思えばモリフン・マーキアドは、そのデキャンタを誇らしげに撫でるように持ち上げ、グラスに注ぎながら言う。
「どうだね、この色艶。王都から取り寄せた最高級の品だ。……おっと、君のような鬼人族の舌には、まだ早いかな?」
挑発めいた言葉と、贅沢を見せびらかす仕草。
けれど橘花は一歩も引かず、冷ややかな眼差しを向けた。
「……器ばかり飾って中身が伴わないのは、酒でも人間でも同じだと思うがな」
琥珀色の液体が揺れるデキャンタを見やり、橘花の言葉は刃のように室内を切り裂いた。
些か不機嫌になったモリフンが、手を払う仕草をする。
控えていたガンジと書記官が主な調書を取るようだ。
橘花の胸に苛立ちが募る。
この男は一応、アルミル支部のギルド長だ。
だが態度は、まるで“自分は貴族だ”とでも言いたげで、人の話を聞く姿勢など微塵もない。
(……人の話を聞く態度じゃないな)
怒鳴りたくなる衝動を、橘花は必死で抑え込む。
社会の荒波を潜ってきた身だ、こういう不快な上役は見慣れている。
……が、もし手にペンでも持っていたら、確実にへし折っていただろう。
それでも橘花は報告を続けた。
男子四人組も証言を添え、事実を積み上げる。
やがて、補償の話に移ったとき、ようやく狸は顔を上げた。
そして鼻で笑う。
「……被害が出たとあったな」
ようやくマーキアドが顔を上げたかと思えば、鼻を鳴らし、唇の端を吊り上げる。
「死者も微々たる数で済んでいるのだろう? 補償せねばならんほどの大事とは思えんが。……証拠はあるのかね?」
橘花は無言で机に書類を置いた。
そこには、村人の治療に用いた万能霊薬の使用数が記録されている。
「村人ほぼ全員に使いました。あの状況では、それ以外に助ける手段はなかった」
マーキアドは目を細め、鼻で笑った。
「なんとまぁ……もったいない。そんな高価な薬を、下賤な村人に? ちゃんとした使い所もわからぬとは――やはり人以外の他種族というのは馬鹿よなぁ」
――カチン、と橘花の中で何かが切れた。
橘花の瞳が鋭く光り、空気が一変する。
「……もったいない、だと?」
声が低く、しかし部屋の壁に響くほどの圧を帯びた。
「あの時は、使わなければ村人は死んでいた! それだけの物を、それだけ使ってなお“足りないかもしれない”状況だったんだ!」
室内の空気が、ぐらりと震える。
「ギルド長の立場にありながら、現場の救命措置判断を“無駄”と切り捨てるか? 危機管理もできず、人命の重さも知らぬなら――お前に、その椅子に座る資格はない!!」
怒声ではない。
しかし、その言葉には刃のような鋭さがあり、室内の空気を震わせた。
積もり積もった怒りと、何より「命を軽んじる態度」への憤りが、橘花の声に宿っていた。
マーキアドの顔が見る見る青ざめる。
震えだした唇が何かを言おうと動くが、声にならない。
ついには目を白黒させ――椅子にぐったりと崩れ落ち、気絶した。
静寂が訪れる。
誰もが固まる中、橘花は冷ややかに一瞥をくれ、次の相手へ視線を移す。
「相談役。……“コレ”は使い物になりません。事件の収束まで、あなたにギルド長代理をお願いしたい」
前ギルド長であるガンジは、目を見開いた。
だがすぐに橘花の真意を察し、深くうなずく。
「なるほど。……確かにこのままではギルドは立ち行かんな。よかろう、任せてもらおう!」
橘花は肩をすくめ、気絶した狸を一瞥する。
ガンジはその姿に思わず笑みをこぼし、心の中で快哉を叫んだ。
(相談役として、この男の暴挙に耐え続けてきたが……これほど胸がすく瞬間はない! ここまで痛快な場面を見られるとはな!)
こうして橘花の一喝をきっかけに、ギルドの謝罪・補償・人事の更迭は一気に動き出すこととなった。
部屋を出た四人組は、先を行く橘花の背中を見つめながら震え混じりに呟いた。
「……す、すごいね。橘花さん」
「……橘花さん、マジで怖ぇ……」
「……惚れそうなくらい、格好いい」
「ふぁぁ……推しの活躍が目の前で見れるなんて……!」
後ろの四人は、緊張と安堵と場違いな感想が入り混じった顔で橘花を見つめていた。
橘花は深く息を吐き、次なる段取りを心の中で組み立て始める――。
アルミルの冒険者ギルドに、ようやく正義が戻ろうとしていた。
ーーーー
ベルゼ更迭の一報は、ギルド中を駆け巡った。
あまりにも事件の発覚が遅すぎて、すでに証拠が失われ、立件できないものも多い。
それでも――今まで泣き寝入りするしかなかった冒険者たちが、次々と訴えを起こし始めた。
きっかけは、橘花があの狸……いや、ギルド長マーキアドを徹底的にどやしつけ、強引に立件へと漕ぎつけたことだ。
その一件は、貴族という権力を笠に着て好き放題していたベルゼを再起不能にし、さらにマーキアドを怯えさせ、二度と軽々しく口を出させない――そんな前例を作った。
橘花自身はそんな大事にするつもりなど毛頭なかった。
ただ、現場の理不尽を正そうとしただけだ。
だが、長年押し殺されてきた不満と恐怖を抱えた者たちからすれば、それはまさしく救いの神の降臨に等しかった。
「やっと、声を上げてもいい時が来たのだ」と、誰もが胸の奥で呟いていた。
 




