第62話
ギルド支部の門をくぐったとき、橘花の足取りはほんのわずかに重かった。
報告すべき内容の深刻さもあるが、それ以上に――大きなズタ袋を背負っている、その中身を気にした視線が集中していた。
受付で袋の口を開き、中身である顔面の半分以上を血に染めたまま気絶状態のベルゼの存在を見た受付の職員は、案の定、短い悲鳴をあげ、受付ロビーの空気がわずかに変わった。
他のギルド職員が橘花の姿に気づいて駆け寄ってきたが、袋に入ったベルゼの顔を見た瞬間、驚きよりもむしろ「やっぱりか」という諦観のような眼差しが浮かぶ。
「……そいつ、ベルゼ・ナトリューじゃ……?」
「拘束中です。村での事件の主犯として、現行犯で確保しました」
淡々とした橘花の報告に、職員の動きが一瞬止まる。
だが、すぐに他の者を呼び、対応に入る姿勢を見せた。
ロビーにいた冒険者たちも、噂を聞きつけて集まってくる。
しかしその場が騒然とすることはなかった。
「……ほらな、言っただろ。アイツ、絶対どっかで何かやらかしてるって」
「だってあの性格だぜ? 貴族ってだけで誰にも頭下げないし、横柄の極みだったし」
「うちの新人、前にパーティー誘われたけど断ったら半殺しにされかけたってよ」
ひそひそとした声が広がる一方で、誰もベルゼを庇おうとはしなかった。
むしろ、どこか溜飲を下げたような空気すらある。
見て見ぬふりを続けていたことへの後ろめたさなのか、それとも単なる傍観者の安堵なのか。
いずれにせよ、橘花が引き渡すまでの間、ギルドの中に不穏な緊張は走らなかった。
「……正式な報告書は、後ほど提出します。ただ……これは単なる勘違いでの案件実行や身勝手な暴走じゃない。もっと深い、根のある問題が潜んでる可能性がある」
そう告げた橘花の声音には、疲れと共に、一抹の警告の色が滲んでいた。
事件は終わってなどいない。ただ、始まりの扉がようやく開かれただけ。
その後、橘花と行動を共にしていた四人組も聴取を受けたが、処分は“厳重注意”にとどまった。
橘花からの証言――ベルゼに唆されたこと、装備の良さから村人たちを賊と誤認したこと、そして途中からベルゼのやり方に疑問を感じて止めようとしていたこと――が大きく考慮されたためだ。
全員が肩を落としてしょぼくれている様子に、ギルドの者たちも反省の色を感じ取ったのだろう。
最終的に、しばらくの間は橘花が預かるという形で処理が落ち着いた。
「……なんで私が、E級なのにここまで――」
橘花がぼやくと、受付のマリアが苦笑しながら言った。
「E級で、A級を拘束して帰ってくるなんて前代未聞よ? 当然、責任もついて回るってこと」
確かにその通りではあるが、橘花としては納得がいかない。
「……お世話になりますっ!」
橘花の指導傘下に入ることを聞かされ、揃って頭を下げた四人組の姿に、橘花は一瞬だけ目を細めた。
ちゃんと教養は受けているんだな、と思ったが、それは心の中だけに留めておく。
「で、今寝泊まりしてる場所は?」
質問に答えてきたのは、ウェンツで、道中ここまで見ていたが、どうやら彼が主なチームのまとめ役らしい。
口ごもりながら説明された住所を聞いた橘花は、すぐさま眉をひそめた。
「……スラム寄りか。引っ越しだ。今すぐな」
「えっ、でも……」
「安い場所は、安いなりの理由があるんだよ」
そう言って四人を促すと、彼らは慌てて今の宿へと荷物を取りに戻っていった。
が、十数分後――戻ってきた四人は、見事に手ぶらだった。
「……おい。荷物は?」
問いかけると、ウェンツが困ったように、だが申し訳なさそうに口を開く。
「い、一週間も戻らなかったんで……持ち物、売られちゃって……て、店の人が……」
段々と涙声になっていく。
他の三人もバツが悪そうに目を伏せていた。おそらく大人相手に強く言えず、文句を言えなかったのだろう。
ここがゲームではないと理解して以降、彼らの中の「プレイヤー」としての自信は削がれていた。
深いため息をついたあと、橘花はギルドから衛兵のラウトへ至急連絡を取ってもらった。ラウトは衛兵勤務中だというのに、すぐギルドまで来てくれた。
本当は宿の持ち主に直接交渉をしたかったが、今の四人をあちこち連れて行けば要らない憶測がされてしまう。
事情を話し、ラウトに橋渡しを頼んだ。「こいつらは、私が責任を持って見る」と一言つけて。
数分後にラウトから「宿の方、受け入れOKです」と返事をもらいすぐに常宿にしている【宿木亭】へ向かった。
部屋を与えられ荷物を置いた後、二週間はどうしても風呂に入れなかった彼らはあまりにも汚れているので、体を洗浄してからラーク商会に向かうことにした。
この間、現役の中高生らしいドタバタもあったが。
橘花は、あらかた身綺麗にした彼らを引き連れてラーク商会へと向かった。
「最低限の生活用品は揃えるぞ。遠慮せずに選べ」
「で、でも……その、お金が……」
誰かが遠慮がちに口を開いた瞬間、橘花はピシャリと遮った。
「子供に金を請求するほど落ちぶれちゃいない! さっさと選ぶっ!」
声が強くなったのは、彼らの不安をかき消すためでもあった。
その様子を、カウンター越しからニヤつきながら眺めていたのが、ラークである。
「へぇ、珍しいもんだな。お前が坊主ども連れて買い物とは」
「面倒を押しつけられただけだよ」
「ふん、そうは見えねぇがな」
腕を組みながら、ラークはくっくと笑った。
その顔は相変わらず厳つく、無精髭と傷跡が男臭さを際立たせている。
だが、その目は思ったよりも優しい。
「ったく……手ぇ出さねぇ程度に見て手くれよ」
「おうよ、教育係さんよ」
ぶっきらぼうにそう返すラークの声を背に、橘花はため息をついた。
中高校生の子どもを、このまま「自分でなんとかしろ」と突き放せるほど、心は冷たくできていない。
そう思いながらも、口には出さず、さっさと買い物を済ませるように四人をせかすのだった。




