第60話
空気がわずかに緩んだところで、橘花は軽く肩を竦める。
「でも――帰還方法云々の前に、まずはここの件を片付けるのが先だ」
「もし僕らが逃げたらどうなりますか」
参考までに聞きたい、といった調子でウェンツが声を上げた。
「うーん……考えられるのは、指名手配、賞金首、各地に情報が流されて生活ができるか怪しくなるだろうな。捕まれば良ければ監獄、悪ければ死刑かな」
「ひぇ……」とソータが小さく息を呑む。
「法のあるところなら手続きはあるけど、正義を振りかざす者からの制裁が一番理不尽だろうな」
淡々と例を挙げる橘花に、ウェンツは苦笑してみせた。
「それは嫌ですね」
笑い混じりのやり取りだが、逃げ場がない現実が、じわりと四人の胸に染み込んでいく。
――と、そこで橘花はふと違和感を覚えた。
(……待てよ)
ロイヤードとソータのやり取り。
ウェンツの律儀すぎる敬語。
エレンの落ち着きすぎた静けさ。
それらが妙にちぐはぐで、どこか「大人の余裕」とは違う。
そして、罪を犯してどうなるかなんてある程度の社会人なら想像がつくーーーー。
「ーーちょっと待て、君たち……未成年か!?」
全員が一瞬、息を呑んだ。
返答する前に、ロイヤードがバツの悪そうな顔をする。それだけで答えは半分見えた。
「……高校生と、中学生です」
ウェンツが観念したように口を開く。
橘花は額に手を当てた。
見た目と中身が違うというのは橘花自身も身をもって体現しているのに、そこへ考えが至らなかった。
もしアバターの中身が成人だったなら、「自分たちでなんとかしろ」と突き放せた。
だが、今までの会話やあどけないやり取りから、どう考えても成人していない可能性が高い。というか確定だ。
(……マジか。これ、私が面倒見る流れじゃんかー!!)
ギルドへの報告はどうにかするとして、その前後が問題だ。
事件をまとめて取り仕切り、重罪人ベルゼの更迭手続き、証言……これを子供に丸投げはさすがにまずい。
下手をすれば、自分が無責任の烙印を押されるどころか、首を絞めることになりかねない。
結果――事情を知り、一部始終を証言できる橘花が最適任になってしまう。
(異世界に来てまで仕事しなきゃならない!? 私は何の罰ゲームを受けてるの……?)
思わず両手で頭を抱える橘花を、四人はきょとんと見つめていた。
その視線に、橘花は無言でため息を返すしかなかった。
⸻
この世界で転移ーーという呼び方に固定し、こちらに来たことを吹聴しないよう橘花は教えた。
別な世界から来た、などと言えば周りは何かあれば疑いを真っ先に向けてくる可能性があるし、情報収集する際にもそうした偏見が邪魔になる。
また、下手に宗教関連に目をつけられ悪魔や邪教認定されてしまうのを避けるためだ。
ウェンツ達は日本の未成年だ。そうした小さな対立が大きな争いの火種になることをちゃんと認識していない可能性もあった。
彼らは未成年であると白状した後、ちょっと見定めるような視線を橘花によこしていたのも知っている。
大人だからと、ベルゼのように個人の意見を無視していう事を聞かせるつもりはないが、よく知らない大人についていくのだ。警戒心はあって当然だと橘花は気にしなかった。
ソータは嬉しそうにぴょこぴょこ付いてきたので、ちょっと警戒心を持ってほしいところだ。
ーーそうして村長宅で話をする段階になって問題が発生した。
村長ザザンの家。長机を挟んで、橘花と四人、そしてザザンと村の代表数名が座っていた時だ。
「……で、あの時ワシを斬ったのは、おぬしか?」
ザザンの鋭い視線がロイヤードを射抜く。
「え? ええ……本当に賊だと思って……」
ロイヤードは居心地悪そうに目を逸らす。
橘花の眉がぴくりと動いた。じっと睨む。
(聞いてないぞ)――その視線だけで十分に伝わる。
ロイヤードは、たまらず小声で「ごめん」と謝った。
「……それだけじゃない」
別の村人が声を上げる。
「ペーターの母を戦闘不能にしたのもあの男だ。ほかにも、何人も一閃で地面に沈められた」
橘花は心の中でロイヤードの首を片腕でロックし、拳骨でぐりぐりと締め上げていた。
(この馬鹿! 誰か死んでたら、本当に制裁を食らっても庇えなかったんだぞ!)
まずいのは、村人たちが「橘花に隠していた」と思ってしまうことだ。
実際、橘花はベルゼのやらかししか聞いておらず、他の件は知らなかった――ロイヤードたちも、忘れていてほしいとは思っていたのだろうが、まさか完全に忘れられていたとは思わなかっただろう。
それでも、悪印象は最悪の火種だ。
今この場で「ロイヤードの命で償え」と言われれば、橘花にできることは限られてくる。
沈黙を破るように、橘花が口を開いた。
「ベルゼとの関係性や、ここまでの経緯はあらかた聞いていた。だから……すべて奴の仕業だと、私が勝手に思い込み判断してしまったんだ。そのせいで、彼らが話す機会を逸したのだと思う」
橘花は軽く頭を下げる。
「私の落ち度だ。申し訳ない」
場の空気が少し緩む。
(ここは火の粉かぶるしかない! 私が悪いですごめんなさい! ……後で覚えてろ、ロイヤード!)
視線だけでロイヤードにそう告げると、彼は目を逸らした。
村長のザザンが長い息をついた。
「……ならば今回は、この場で収めよう。ただし、今回の依頼は賊の討伐だと聞いた。ギルドを通じて、正式に我々へ謝罪をしてもらう」
橘花は素直にうなずく。
「承知した」
すると、別の村人が口を開いた。
「あの大剣男と依頼を受けてたんだろう……本当に内容を知らなかったのか?」
疑念を含んだ空気が漂う。
その場を救ったのは、被害を受けた村人のひとりだった。
「まぁ、そっちの三人は止めようとしてたからな」
「確かに。階級も下だろ? A級の奴に口出ししただけでも、ようやったもんだ」
敵意が完全に消えたわけではない。だが、見た事実をそのまま口にしてくれたことに、橘花は心の中で深く感謝した。
場の空気が少し落ち着いたのを見計らい、橘花が口を開く。
「では……今回の件は、まず後始末から進めようと思う」
視線が集まる。橘花は淡々と指を折っていく。
「第一に、破損した家屋や設備の修繕。必要な資材はギルド経由で手配する。第二に、負傷者の治療。薬や医師もこちらで調整し手筈を整える。第三に、情報整理。案件にあった賊の残党や背後関係があれば共有し、次の被害を防ぐ」
一呼吸置き、少し声を柔らかくした。
「それが済めば、ようやく平穏が戻るはずです」
村人たちは互いに目を合わせ、小さくうなずく者が増えていく。
「……わかった。こっちも協力しよう」
橘花はその反応を確認し、最後にもう一つ付け加えた。
「そして、君たち――」
彼はロイヤードたち四人を順に見やる。
「この件が片付いたら、次の行き先と役割をはっきりさせよう。逃げ場は作らないが、働き場は作る」
四人は顔を見合わせ、小さく苦笑した。




