第45話
その日の昼過ぎ頃、長閑だった隠れ里に悲鳴や怒号が響き渡った。
「なんだぁ?手応えがなさすぎだな、ははっ」
大剣を手にした厳つい真紅の甲冑を着たベルゼが畑を耕していた男を斬り伏せ、さらに剣を振り上げた時に倒れた男を庇おうとした女を串刺しにし、その体に足をかけながら剣を引き抜き笑う。
ベルゼはここに来るまで何人も斬り殺していた。
村の入り口で見張りの青年を何度も突き刺し反応がなくなると、今度は村に堂々とした足取りで入り込み、遊んでいた幼子を容赦なく薙ぎ払って近くで見ていた母親と思しき女性が悲鳴を上げたのを「煩い」と首を刎ねた。
つい先ほど女性の悲鳴を聞き、何事かと近くで畑を耕していた者が見に来て、鍬を手にしていたことから敵対者と決めつけて殺したところだ。
抵抗を見せない者ばかりですでに飽き始めていたベルゼは、騒ぎを聞きつけた村人達が集まるのを今か今かと舌なめずりをし待ち構える。
聞いた話では村人なのに剣を持っているという。村人が剣を持ち出してくれば、賊であろうとなかろうと大手を振って遠慮なしに“討伐”できるからだ。
ふと後ろに視線をやれば、いまだ入り口でまごついている新人の姿がちらりと見える。
連れてきた新人はあわよくば賊との戦闘で死んだことにして装備を頂こうと思っていたのだが、思っていたよりレベルが高いようで彼らの装備が手に入らない不満から村人には八つ当たりも含まれていた。
自分は貴族で誰よりも強い装備をしているはずなのに、それを上回る装備をした者が現れれば妬みもするし、貴族の踏み台である平民が強い装備をしているなど許されるはずがないという考えでベルゼは生きてきた。それが当然だった。
今まで逆らった者達は命を落とすか、装備を差し出して命乞いをするかだったのだから。
それなのに、現状はベルゼの考えとは別な方向にある。
他の村人が騒ぎだすまでの行動が遅く、手に入れられない装備や思い通りにならない新人に苛々しながら、今しがた斬り殺した男の頭を蹴飛ばし踏みつける。
「遅い、遅い遅い遅い遅いっ、いつまで俺様を待たせるんだっ!」
次いで折り重なって倒れる女性の腹を蹴り上げた時に、小さく呻いたことからまだ息がある事がわかると立て続けに蹴り続けた。
「お前らはっ!貴族にっ!価値あるものをっ!献上するのがっ!当たり前だろうにっ!逆らいやがってっ!」
今回のこともそうだ、と違う理由から湧きだした怒りに痙攣する女性を蹴る足にさらに力がこもる。
それがなければ森の中を二週間近く彷徨うことにならなかったと、勘違いも甚だしい怒りをぶつけ続け、ぜいぜいと乱れた息で蹴るのを止めた時には、女性はピクリとも動かなくなっていた。
そうして、ようやく村人が集まりだしてきたのを見たベルゼは、大剣を握りなおすと遺体を踏み越えて歩き出す。
「さぁて、今回もアレにたんまり食わせるとするかぁ」
† † † † † †
「村長っ! 入り口に大剣を持った男がいるぞ! そいつにポールとメルサが斬られた!」
「何だと!?」
遠くから様子を窺っていた者たちも、見知った仲間が無残に斬り倒される光景を目にし、ただ事ではないと察して村長・ザザンに急報を届けた。
その知らせを受けたザザンは、ちょうど家にいた者たちを走らせ、すぐに村の男たち全員を集めた。女性や子供たちは村の奥へと避難させるよう指示を出す。
村長の家に続々と集まる男たちの手には、錆びかけた古びた剣が握られていた。
本来は森を歩く際に蔦や藪を切り開くための道具であり、最低限の切れ味があれば十分とされたものだった。
心もとないのはみな同じで、剣のほかに食料の解体用の小さなナイフを懐に忍ばせている者もいた。
だが、防御面はほぼ紙同然。
大剣を携える者となれば、この世界では限られている存在――冒険者だけだ。
賊ですら、力自慢でなければ重装備を使わないと、元冒険者のザザンは知っている。
村人を主戦力にするのは、単なる死人を増やすだけ。迷っている時間はないと、ザザンは仕舞い込んでいた昔の装備を取り出した。
定期的に手入れしていたおかげで、今も現役で使える美しい緑の鱗が輝く革製の鎧。
軽装に見えるが、森に棲む大型の地竜を討伐した際に手に入れた素材で職人に特注したもので、売れば一生暮らせるほどの価値がある品だ。
対となる竜の牙で作られた剣も、いまだに鋭い切れ味を保つ一級品。
この装備が、ザザンのかつての実力の高さを物語っていた。
鉄の侵略者に襲われた際、多くの貴金属製の武具は奪われたが、この竜の牙と鱗の装備だけは価値が分からず持ち出されなかった。
家のある廃村で発見した時には、鉄の侵略者を軽蔑しつつも、そのおかげで手元に残っていることを感謝したものだ。
「ワシが奴の相手をする。もし万が一ワシに何かあれば、お主らは女子供を連れて街へ逃げるのだぞ、いいな」
「村長、みんなあんたが元冒険者だって知ってるけど、一人で戦うことはないだろう」
「そうだ、束になればあの大剣持ちも追い返せるはずだ!」
「村の危機は全員で立ち向かわなきゃならねぇんだ!」
以前なら問題があればザザンに丸投げする者が多かったが、病の件以来、村人たちは一致団結していた。
それはザザンにとって嬉しい変化だったが、今はそれとは別問題だ。
村人と冒険者の差は、例えるなら一般市民と訓練を受けた兵士の差に等しい。
しかも相手は明確な殺意を持ち、人を殺した経験もある敵だ。
何の訓練もない村人を立ち向かわせれば、無駄に命を落とすだけだ。
「無駄に死人は出せん」
ザザンのその言葉に、数人が顔を伏せた。
「……こんな時、あの人がいればなあ」
一人が呟き、全員が同じ人物を思い浮かべた。だが、今はいない者に頼っても仕方がない。
その時、勢いよく扉が開き、小さな影が飛び込んできた。
「遅れてごめんなさいっ!」
男たちが意気消沈している中、息を切らせて入ってきたのはペーターだった。
「ペーター、お前は女子供を避難させるよう言っただろう」
「大丈夫です!女子供は避難させました。それに、僕も大人ですし、少しでも戦力になりたいと思って」
後ろの若者が叱るが、ペーターは怯まず答える。手には錆びた剣をしっかりと握りしめていた。黒塗りの短刀は胸元に隠れているようだった。
しかし、多くの男たちはペーターをまだ子供だと見なし、女子供の避難に加えて一緒に逃がすつもりだった。
まだ大人と呼べるほど成長していない体格の上、戦闘になるなら真っ先に狙われる存在だと考えられていたのだ。
「だがな、ペーター。お前はそのまま女子供の護衛として――」
「遅くなりましたっ!」
「なっ!?」
次の瞬間、扉が再び開き、弓矢を背負ったペーターの母・マーリーが息を切らせて飛び込んできた。
「何をしているんだ、マーリーッ!」
「冒険者風の男が襲撃してきたって聞いたから、準備万端で来たのよ!」
「違う!お前は他の女子供と一緒に避難を!」
「馬鹿言わないで!私は剣は使えないけど、射手としては現役よ!」
「待て、もしお前に何かあったら、ワシはトーマになんて詫びればいいんだ……」
「詫びなんていらないわ!私は元冒険者よ。それに鉄の侵略者が来た時、トーマに弓を持たせてもらえなかったんだから。戦える人材として出撃するなら、今でしょ!」
いきなり始まったザザンとマーリーの舌戦に、ペーターも男たちもポカンとするばかり。
マーリーは病み上がりとは思えない気迫で、「あくまで後方支援よ、それより前には出ない」と頑なに譲らなかった。




