第39話
翌朝、まだ空気が冷たい時間にギルドへ向かった。
ただカードを受け取って終わるはず──そう思っていた。
……が、入口にいたのは、昨日目立っていた縦巻きロールの女性。
橘花のギルドカードを、まるで人質でも取ったかのように指先でつまみ、にこやかに待ち構えていた。
「橘花さんとおっしゃるんですね。ワタクシは、マリア・テスティアと申しますの」
丁寧な口調だが、その笑顔は猫が鼠穴を覗くような笑みだ。
「そうですか、ご丁寧にどうも。ギルドカードを受け取りに来たんですが」
「ええ、その前に質問をさせていただきたくて」
始まった。質問攻めの予感に、背筋がひやりとする。
「ご出身はミヤコと聞き及んでおります。それは問題ないのですが──どちらの宿にお泊まりですの?」
「……なぜでしょうか?」
「冒険者ギルドとして所在の確認ですわ」
「呼び出しが必要なのはB級からと聞いていますが?」
「橘花さんは鬼人族ですから、すぐランクが上がると思います。その時に──」
「……ランクが上がってからでいいと思いますが」
口調は抑えているつもりでも、内心はじわじわと苛立ちが募る。
宿を聞き出そうとする理由が、建前にしか聞こえない。地球なら職権乱用で即クレーム案件だが、ここは異世界。法律の形もまだ知らない。下手に騒ぎ立てれば自分が不利になるかもしれない。
どう切り抜けようかと考えた矢先──
「おい、ギルドマスターはいるかっ! 至急伝えたいことがある、呼んでくれ!」
土まみれの冒険者が四人、息を切らして駆け込んできた。よほど急いでいたのか、呼吸を整える暇もないようだ。
「朝っぱらからなんだ、騒がしいな!」
不機嫌そうな声が響き、振り向くと、まだ寝癖がついたでっぷりとした男が姿を現した。狸のような顔立ちで、いや、見た目が狸なのだ。
「ギルドマスターってのは、退役した冒険者が務めるもんだと思っていたが……」
隣に立つマリアが小声で耳打ちしてきた。
「モリフン・マーキアドよ。一応は貴族。だけどあの地位は実力じゃなく金で買ったようなもんだわ」
(気配察知に引っかからなかった気がする……マジで怖い。もしかして私よりレベル高いんじゃないの、マリアさん!?)
動揺を隠しながらマリアの情報を呑み込みつつ、二年前まではちゃんとした冒険者がギルドマスターを務めていたと聞いた。だが、権力で追い落とされ、今の狸男が座についたらしい。元ギルドマスターは相談役として残っており、いざという時に頼りになるのだという。
冒険者たちも「呼んだのはお前じゃねえ」といった視線をモリフンに向けながらも、仕方なく報告を始める。だがモリフンは、
「たかが木が倒れた程度でワシを呼びつけるとは何事だ!」
と声を荒げ、奥の部屋へと戻ってしまった。その怒鳴り声が廊下に響き渡る。これでいいのか、冒険者ギルド……。
モリフンの後ろの扉から入れ替わるように現れた男は、どこか威厳を漂わせていた。相談役に降ろされた元ギルドマスター、ガンジだろう。
対応者が変わると、報告に来ていた冒険者たちも一気に安堵の表情を浮かべ、すぐさま報告を続けた。
「ガンジさん、昨日のことです。森の木々が一斉に何者かに切り倒されました」
「なんだと!」
「まさか、ギャジーの群れじゃないだろうな。街の近くで巣作りなんてされたら、商人が来なくなってしまう」
周囲からもざわつきが起きる。ギャジーとはダチョウに似たモンスターで、巣作りのために木々を倒し、半径約八キロを縄張りとする。巣の近くに近づいた者は蹴り殺されるため、街に巣ができたら大規模な討伐隊が組まれるのだ。
「しかし、今回のはそんなレベルじゃない。衝撃波のようなものが襲い、その後広範囲の木々が倒れた。俺たちは間一髪しゃがみ込んで難を逃れた」
「それだけじゃ見当もつかん。大型モンスターの仕業か」
「わからん。ただ、何か異変があったのは確かだ」
一気に慌ただしくなるギルド。ガンジは「斥候を出せ、要員を集めろ」と即座に指示を出す。
相談役なのに勝手に命令していいのかとも思ったが、あの狸には報告しても無駄だと皆が悟っているのだろう。
(異世界、マジで怖い……こんなモンスターと出会わないようにしないとな)
橘花は、まだF級ランクの自分が呼ばれる話じゃないと胸をなでおろしつつ、さっさと依頼をこなす決意を固めた。
「マリアさん、ギルドカードはもらっていきますよ」
「ちょっと橘花さん!?」
騒ぎに気を取られたマリアの手から、するりとカードを抜き取る。掲示板に向かい、最も無難な依頼に手を伸ばした。
(やっぱり薬草採取だよねー)
Fと判子が押された紙には、採取する薬草の名前が記されている。
採取した薬草の状態や量によって報酬は変動するらしく、はっきりした金額は書かれていない。ただ、最低買取価格として五ギルとだけ記されていた。
「というか、この世界の文字、普通に読めるんだな……私」
今さらながらに気づく。言葉は違和感なく話せるし、文字も抵抗なく理解できる。
それも当然、これはゲーム『Pandora Ark online』の中で使われている製作スタッフ謹製の造語なのだから。
異世界にいるはずなのに、こうしたところはまるでゲームの世界のままだ。
実際、ゲームをしていた時も文字は深く読んでいなかった。見た目や形で覚えていただけだ。
「情報収集、思ったより大変かもな……」
覚悟を決め、橘花は依頼された薬草採取のため、静かに森へと向かった。




