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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
アルミルの街編
38/135

第38話

宿屋を目指して街中を歩いていると、どうにも周囲の視線が刺さってくる。

背中のあたりがじりじり熱くなるような、あの独特な感じだ。

気にしないふりをするが、目が合った瞬間にそらされると、胸の奥に小さな棘が刺さる。

——珍しがられているだけか、それとも警戒されているのか。

自分でも理由がわからないのが余計に気分を重くする。


「やっぱり橘花さん、モテますね」


横を歩くラウトが、口元をにやつかせながら軽く肘で小突いてくる。


「さっきから、若い女性が特に注目してますよ」


「え? 鬼人族が珍しいからじゃないのか?」


本気でそう思って返すと、ラウトが呆れ半分、苦笑半分で首を振った。


「……橘花さん、鈍いって言われたことありません?」


内心、仕方ないだろと舌を巻く。

中身は女なんだ——なんて、もちろん口にはできない。


そんなやり取りをしながら辿り着いた宿は、【宿木亭】という看板が掲げられた二階建ての木造建築だった。

軒下には干された洗濯物が揺れ、通りの喧噪から少し外れた落ち着いた空気が漂っている。

扉を押して中に入ると、木の香りがふわりと鼻をくすぐった。


カウンターには茶髪の中年男性が座っており、橘花たちに気づくと、まずラウトへ視線を送った。


「今日の務めは終わったのか、ラウト」


「終了だよ。早朝まで自由時間」


軽く言葉を交わした後、中年男性が橘花を見やる。


「で、後ろの鬼人族の人は泊まりかい?」


「ああ。彼の紹介で来たんだが」


「彼って……おう、ラウト。客引きなんて親孝行だな」


「やめてくれよ親父。今日街へ着いたばかりの人だからだよ」


親父、という単語に橘花は眉を上げた。


「……親父って」


「黙っていてすみません。実はここ、オレの家なんです」


言われてみれば、髪色は違うが目元や笑ったときの口元が似ている。

だが橘花は、そういう細部に疎い。言われなければ一生気づかなかったかもしれない。


「あの、黙ってたこと怒ってます?」とラウトが探るように聞く。


「いいや。寝泊まりできればいいさ。それに、自分の親が経営する宿に変な奴は紹介しないだろう。お眼鏡にかなって光栄だ」


「そう言ってもらえると助かります」


互いに笑い合い、その場の空気が和らいだ。


一ヶ月の滞在予定で申し込み、更新は状況次第と説明する。

銀貨五枚を先払いすると、二階の部屋を案内された。

木の階段を上るたび、軋む音がやけに落ち着く。

「鍵は必ずかけてください。貴重品は肌身離さず。出かけるときは鍵をカウンターへ」

聞くまでもない常識だが、異世界でも同じなのが少し面白い。


湯を頼めば持ってきてもらえると知り、さっそくお願いする。

風呂付きの宿は貴族か裕福な商人が泊まる大都市ぐらいしかないらしい。


明日は早朝からの予定だ。ラウトは同行できないが、一度訪れた場所は地図に記録される。

道案内は不要だと言い、ラウトと別れ、部屋の扉を閉めると、外のざわめきが嘘みたいに遠のいた。

木の梁と石壁が作る密やかな空間。蝋燭の光がわずかに揺れ、壁に映る影も呼吸のように揺らめく。

鍵をかけ、荷物を壁際に置くと、ようやく肩の力が抜けた。


──落ち着ける、はずなんだけどな。


布団に手を伸ばす。藁を詰めた感触と、布のざらつき。地球で暮らしていた頃なら「硬い」と眉をひそめていただろうが、今はなぜか安心感の方が勝っている。

ただ、こちらに来てから枕元に短剣を置く習慣は、どうしてもやめられない。元の世界で女性だった頃、人混みや夜道に覚えたあの緊張感──それが今は、男の体を持っていても、別の形で染み付いている。


ふと、鏡代わりの金属皿に目をやる。そこに映るのは、銀髪の長身の男。

見慣れたはずなのに、ときどき違和感が胸をよぎる。歩くときの重心も、声を出すときの響きも、地球での自分とはまるで違う。

……けれど、この体で一日を終えた疲労感は、なぜか心地いい。守れる力を持っている、という安心があるからかもしれない。


天井を見上げながら、今日の出来事を反芻する。

知らない街で、知らない人たちと話し、知らない常識に触れた。五感は一日中張り詰め、胸の奥ではずっと警戒心が静かに燃えていた。

でも──その火は、今は小さく、穏やかな焔になっている。


明日は早い。ここに長く留まれば、面倒ごとは必ず来る。それでも今夜だけは眠ろう。

橘花は息を深く吐き、蝋燭の火を吹き消した。

暗闇が押し寄せ、耳に届くのは心臓の音と、藁の布団がきしむ微かな音だけ。


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