第37話
街の中央に、冒険者ギルドはあった。
ラークの店からラウトの案内で移動してきた橘花は、その建物の威容に少し息を呑んだ。
周囲の家々よりも遥かに大きく、外観は壁に囲まれた砦のようだ。ヨーロッパの近代建築を思わせる造りで、重厚感がある。
聞けば、五年前の厄災を教訓に、籠城にも耐えられるよう改築されたらしい。
内部も、幅広の階段は馬で駆け上がれる構造で、振り返れば退却時に大人数では戻りにくいよう計算されている。戦時を見据えた実用性重視の設計――どうやら鬼人族の戦術を取り入れたらしい。
「橘花さん、あそこが受付です」
「親切にありがとう、ラウト」
「いえ、このくらいは」
そこで別れると思ったが、ラウトは後ろに残ったままだ。
理由を尋ねると、「宿屋、まだ決めてないでしょう」と返ってくる。確かにその通りだ。よく気がつく青年である。
橘花が「手続きに時間がかかるかもしれない」と断ろうとすると、「待っていますよ」と笑った。初日だし、その厚意に甘えることにした。
受付には男女が一人ずつ。すいている方――緑髪の男性の前に向かう。書類に向かっていて、つむじがふたつ見えた。
「すみません、ギルドに登録をしたいのですが」
「……は、はい」
顔を上げた男性は、一瞬ぽかんと口を開け、それに気づいて慌てて返事をした。
――またか。橘花は内心で苦笑する。鬼人族はやはり珍しいらしい。
「ギルド加入の説明、必要ですか?」
「ええ、お願いします」
「じゃ、じゃあワタクシが!」
横合いから勢いよく割り込んできたのは、金髪の縦巻きロールの女性。碧眼をギラリと輝かせ、鼻息も荒い。隣にはまだ手続き途中の客がいるのに。
「そちらの方が待っているようですが?」
「大丈夫ですわ! こいつ……じゃなくてオルオが引き継ぎますから!」
どうやら目の前の男性はオルオというらしい。
橘花としては、当然オルオにお願いしたい。理由は単純――割り込んできた女性の視線が怖い。同性のはずなのに、あの眼光は猛獣のようだ。
「いえ、オルオさんでお願いします」
「まぁ遠慮なさらず。私の方が経験も――」
「では、経験のある方なら並んでいるお客様をお待たせしないでしょうから、どうぞ席へお戻りください」
「え……あ……は?」
女性が固まった瞬間を逃さず、「オルオさん、お願いします」と強引に話を進める。
オルオが「いいんですか?」という目を向けてきたが、見て見ぬふり。今は目を合わせてはいけない――幽霊や妖怪と同じだ。
こうして要点だけを簡潔に説明してもらうことに成功した。
冒険者ギルドのランクはF級から始まり、最上位はS級。依頼の達成度や態度が評価に反映される。
完遂できなければ評価は下がり、違約金が発生することもある。
依頼のボイコット――バックレは即除名。復帰は不可能だ。
素材の買い取りはギルドでも商店でも可能。ただし独占は市場を荒らすため禁止され、違反すれば関わった冒険者と店が両成敗となる。
さらに活動が少なければ年会費のようなものも徴収される。活動していれば免除される仕組みだ。
「不明な点は?」と聞かれたが、「ありません」と即答した。今ここで「あります」などと言えば、あの女性がまた飛び込んでくる気がする。
加入書類は自筆で記入することにした。代筆は五ギルかかるらしいし、何より――代筆を頼んだらまた、横から……あれが来そうだからだ。
「橘花さんですね。承りました。ギルドカード発行は明日になりますので、またお越しください」
「よろしくお願いします」
「あのっ、この街に初めていらしたんですよね。今日の宿はお決まりですか? まだでしたら冒険者ギルドと提携している宿をご紹介しますが」
去ろうとした瞬間、隣の受付の女性が身を乗り出してきた。
金髪碧眼、笑顔は営業用に整えられているが、その瞳の奥は明らかに「逃さないわよ」と言っている。
押しの強さに、橘花は思わず笑みを作ったものの、頬が引きつっているのが自分でもわかった。
「いえ、案内人がいますので大丈夫です」
「まぁお連れの方がいらっしゃるんですか。その方も冒険者ですか?」
「いえ、違うと思いますが。……失礼、その方を待たせているので、これで」
切り返しもそこそこに、逃げるようにカウンターから離れた。
壁際で待っていたラウトが、こちらを見るなり小さく肩を震わせる。
冒険者ギルドを出ても笑いを噛み殺しているのが分かるほど、顔がほころんでいた。
「ふふ……すみません。でも許して下さい。彼女、結構可愛いので、声をかけた男性に振られたことがないんですよ。あんな、ポカンとした顔……初めて見ました」
「……ラウトも被害者か」
「被害者というのは言いえて妙ですが、正解です。仕事でギルドに行った時に、あれと同じ攻撃を受けました」
「まぁそういうことなら。それに私はああいうタイプは苦手だ。可愛い以前に、自分の任された仕事も全うできないようではな」
「えっ、そこですか」
ラウトが意外そうに眉を上げる。
この世界でも女性は家にいるもの、という意識が根強いらしく、どうやら橘花は「女が職場にいることを良しとしない」と思われたらしい。
橘花は肩をすくめる。
「女性の仕事を家事だけに決めつける考えが気に食わんだけだ」
その言葉に、ラウトはふっと柔らかく笑い、頷いた。
――彼にも、あのミーシャという友人がいるからだろう。




