第34話
村からしばらく離れたと思われる場所まで歩き、周囲に人影がないのを確かめてから、橘花は小さく呟いた。
「で、少し確認しておかないといけないことがあるよな」
手早くメニューを開き、村ではじっくり確認できなかったステータスを見てみる。すると、思わぬ異変が起きていた。
本来ならアバターのデータとして表示されているはずの職業やレベル欄が忽然と消え、残っているのは力や速さなどの基礎ステータスだけ。
「……もう驚かないぞ」
自分に言い聞かせるが、不安は拭いきれない。つい言葉遣いが子供じみてしまい、「もしかして、これってレベル初期リセットとかされてたりしないよね?」
異世界で戦闘が必須となることを思えば、これからの戦いに備えて自分の力がどうなっているのか、気が気ではなかった。
「どうしよう。人間相手なら絶対負けないと思うけど、熊とか象みたいな動物相手じゃ勝てる気がしない」
そう言い切る自分に、心のどこかで違和感が芽生える。リアルでは女性の自分が、こんな強気でいいのか。もし弟や仲間がいたら「熊や象に勝てるわけないだろ」とツッコミを受けるに違いない。
だが、誰もいない場所でその声は幻聴のように頭の中で響くだけだった。
ひとりになると途端に気持ちは弱気になる。
男性アバターを使っていても、根本は女性である自分に変わりはない。
涙がこみ上げそうになる。
村ではうまくやれたけれど、これからも同じように行くとは限らない。
どうすればいいのか、答えの出ない迷路に迷い込んだようだった。
しかし、泣いても仕方がない。やるべきことはやると、内心で強く言い聞かせて自分の弱さを抑え込む。
軽く頭を振って、思考を切り替えた。
次にスキル欄を開くと、こちらは何一つ消えていなかった。
すべてのスキルが使用可能だ。
詳しく調べると、『気配察知』『周囲探知』といったパッシブスキルが働いているらしく、なんとなく感覚的に周囲の状況がわかることが判明した。
異世界でのファーストコンタクトのとき、森の中で人の気配を感じ取れたのも、川辺で薬を調合しているときにペーターが近づいてきているのがわかったのも、このスキルのおかげだったのだ。
そして、ふと思い出したのが『札師』というスキルだ。
鬼人族は魔法を使えなくとも呪術が使えるため、橘花はかつて魔法を使いたい気持ちに先走ってこのスキルを取得した。
『札師』は高等呪術を失敗なく札に書き込むことができるスキルで、呪術を書き込んだ札は呪符と呼ばれる。
その効果は攻撃、防御、ステータス変化、結界など多岐にわたり、呪符や印を組み合わせて攻撃や回復を行う呪術士には必須のスキルだ。
しかしなぜ、職が侍である橘花が取得しているかというと、単純に呪符だけでも使いたかったから。
ドラマで見た安倍晴明のように呪術で敵をなぎ倒してみたいという、かなり安易な理由だ。
そしてその執念でスキルレベルをMAXまで上げたにも関わらず、投げた呪符は敵にペタリと張り付くと痙攣したように揺れて倒れるだけ。
結界も魔法陣のように光ることはなく、ただ貼り付くだけで派手さも格好良さもない。
唯一、式神召喚だけは呪術士の職でなければ使えないと判明し、がっかりした。
レベルの低い友人呪術士にお願いして出してもらったミニ一反木綿は、線香花火のような火花を散らして消えてしまった。
可愛いが攻撃力はほぼなく、地味すぎて泣きたくなった。
式神召喚のために呪術士のレベルをMAXにして職替えもしたが、
呪術士は後方支援タイプで、呪術発動には印を組むか札や呪符を用意しなければならず、失敗すると最初からやり直し。
呪符は一回の使用で一枚消耗し、ショップで買うか自作が必要で出費もかさむ。
対して魔法は、無詠唱を覚えれば詠唱ミスの心配がなく、消耗はMPのみで時間経過で回復する。
打撃攻撃に弱いのは呪術士も魔法使いも同じだが、利便性は明らかに魔法のほうが高い。
ただし、呪符は使用後の制限がなく、初心者でも高等呪術を扱えるのが利点である。
高等呪術を使う札師の知り合いがいれば非常に心強いが、出費は馬鹿にならない。
要するに、橘花の呪術への期待は大きすぎて、結局は魔法への憧れが募っただけということだ。
しかも、橘花の性格は敵に突っ込む特攻タイプで、呪術士は主に後方支援。
だから主職は侍のままにしている。
最近のシステムアップデートで、主と副の二つの職を同時に使えるようになり、橘花は副職に呪術士を選んだ。
現在は呪符で先制攻撃を仕掛けてから特攻する戦い方をしている。
しかし、戦闘がなければ呪符の効果はわからない。
自分に使うほど馬鹿げたテストもしたくないため、作ってあった召喚の呪符を試しに使ってみた。
「式神召喚!」
呪符を空に投げると淡く光を放ち、景色に溶け込むように消えていく。
これはPAOの仕様と同じだ。
優しいそよ風が木々の葉を揺らす。
しかし、しばらく待っても何も現れなかった。
「あれ?」
首を傾げても、式神は出てこない。
「この前のアップデートでバ●ムートみたいな式神が召喚できるって聞いてたのに……」
一反木綿すら召喚できず、テンションはがた落ちだ。
気を取り直してタイムウォッチをセットし、簡易地図に表示された村のマークへ向かって猛ダッシュ。
ダンッ、と踏み込む足音に遅れて地面が凹む。
全力疾走でスタミナが切れそうになりつつ、森の端近くでタイムウォッチを止めた。
見えたのは、中世ヨーロッパ風の石壁に囲まれた街だった。
(ふう、タイムウォッチで約二時間か。距離は十キロくらいか。そんなに苦しくないし、まだまだ体力も若いな)
森の中を抜けるまで二時間走ったことから、ザザンたちの言っていた村はこの近くだと推測した。
だが街にしては立派すぎる建物と人口の多さに首を傾げる。
五年前の情報なら、発展して壁を築くまでになっていてもおかしくはない。
ただし距離感は誤っている。整備されていない森の中を二時間全力疾走したのと、舗装された道を同じ時間で走るのは違う。
ゲーム感覚が抜けず、自分の身体能力の向上にも気づいていなかった。
人の背丈ほどある段差を飛び越え、小川も越えたことも忘れている。
閑話休題。
街に向かおうとした橘花だったが、異世界ではお約束の問題が待っていた。
街に入る際、税の支払いがあるかもしれない。
そのため換金できそうなアイテムを確認する。
持っていたゲーム内通貨「お金」を取り出すと、見た目は日本の硬貨に似ているが、数字も単位も違うため使えるかは不明だ。
各国が壊滅したとの情報もあり、何が起こるかわからない。
街でからまれたり、ギルドで難癖をつけられたりする可能性もあるため、戦闘力の確認も兼ねて技スキルの試験をすることにした。
刀を抜くとズシリと重みを感じる。
本当に扱えるか不安になりながらも何度か素振りを試みる。
技スキルを読み上げ、発動を試すが反応はない。
「百花繚乱」「破斬」「乱月」「神閃斬」「雪月華」「彗龍」「金剛」「残月」「螺旋」「煉獄」「朧」……。
裁縫や調合のように選択してもダメだった。
発動条件や動作の組み合わせが必要なのだろう。
疲れがたまっていた橘花は、刀を鞘に納めながら脳内で思い出せる技の動作を無意識に引き出す。
――か・め・は・●・波ー。
PAOにはない技だが、つい出てしまった。
もちろん発動しない。
「よし、真面目にやろう」
気を引き締め直し、目の前の大木を標的に定めた。
息を整え、柄に軽く手を添え構える。
「……『居合い斬り』ッ!」
基本中の基本、最初に覚えた技だ。
敵に突撃しつつ放つ技で、序盤はこれでモンスターを倒してきた。
アップデートでレベル上限が上がるにつれて使わなくなったが、熟練度はMAXで身体が覚えている。
体が自然に動き、瞬時に刀を抜き放ち振り切った。
静かな風が吹き抜ける。
「……まぁ、こんなもんだよねー」
漫画のように大木を真っ二つにすることはできなかった。
少し期待していたぶん、元気のない声が漏れる。
(技スキルなんてファンタジーだよな。現実寄りの世界なら無理だ。式神召喚が失敗した時点でわかってたことだ。もしあの街にギルドがあったら、無難な職業を選ぼう)
溜息をついて刀を鞘に納め、再び街へ向かって走り出した。
夜になる前に街に着き、情報を集めて宿を取るつもりだ。
気落ちしながら、橘花は走り続けた。
† † † † † †
橘花が去った後、先ほどの大木にカラスほどの大きさの鳥が羽休めに止まった。
鳥が羽ばたく瞬間、音もなくゆっくりと大木が傾き始める。
驚いた鳥が飛び立つと同時に、大木は地響きを立てて倒れた。
しかしそれで終わらず、ドミノのように後方の木々が次々と倒れていく。
直線で五百メートルにわたる森林が、最初の大木を起点に扇状に一瞬で伐採されたのだった。




