第32話
「ああ……さすが【ミブロ】の方じゃ。ワシら村の者がもう助かる望みは薄いと半ば諦めていたのに、よくここまで回復させてくれた。感謝する!」
「礼などいらん。後片付けが残っている。病人とお前たちの身に着けている衣服は焼き捨てる。代わりの服はお前の家で渡す。あと周囲には生石灰を撒く。住処の大掃除も忘れずにな」
「はい、村の者に手伝わせます。何なりとお申し付けください」
回復した村人たちの明るい声を聞き、橘花はようやく安堵の息をついた。
考えてみれば、当時はほとんどが初心者だったPAO初期。高価な霊薬など手に入れられる者はほんの一握りだ。難しく考えず、初級ポーションで十分だったのだ。
ザザンの家から村人の服と生石灰を届けた帰り、橘花も着替えて『初級ポーション』を念のために飲み、寝床を整えた。モンスター除けの鈴を設置し、野営用のテントを張ってその中で横になる。
しばらく眠って目を覚ますと、テントの入り口にペーターが立っていた。
「何してるんだ?」と声をかけると、彼は一言断ってから中へ入ってきた。
「な……なぁ、どうして病気に効く薬がわかったんだ?」
「うーん、俺の仲間がこの病気を治したことがあるんだ。お前に蝶がたかってるのを見て、思い出しただけ」
「仲間って、薬師なのか?」
「いや、ギルドの副官だ。俺と同じ侍」
橘花の答えにペーターは目を見開く。
確かに本職じゃない者が薬で病気を治したと言われれば、不思議に感じるのも無理はない。
「さて、村の騒ぎも収まった。明日にはここを出るつもりだ」
「出ていくって、どこに?」
「とりあえず街を目指すつもりだよ。情報があまりに少なすぎてな……ここじゃ遠慮される」
橘花が横になりながら先のことを考えていると、しばらく黙っていたペーターが決意に満ちた表情で近づいてきた。
「なぁ、俺に剣を教えてくれないか?」
「今の流れでどうしてそうなる?」
「言っただろ。俺は剣で戦える男になるって。戦えるようになりたいんだ!」
「強さに憧れるのはいいが、お前にはまだ早い」
「とにかく、お前が明日発つなら、俺もついていく!」
「はぁっ!?」
ペーターの突然の言葉に、思わず上半身を起こす橘花。
自分がここにいる理由すらわからないまま、情報を探しに行かなければならないのに、子供を連れていく余裕はないのだ。
「待て待て、お前には母親と妹がいるだろう! 連れていけるのか!」
橘花の声に、ペーターの瞳が一瞬揺らいだ。
けれど、その揺らぎはすぐに拭い去られ、必死に懇願するように橘花にしがみついた。
「だったら、俺に剣を教えてくれ! 基本だけでいいから! 俺、守れるようになりたいんだ!」
声が震え、抑えきれない感情が溢れ出る。
その小さな体全体から、恐怖と焦燥、そして諦めを拒む強い意志が滲み出ていた。
「強くならなきゃ……家族を守らなきゃ……」
そう自分に言い聞かせるように、ペーターの胸は激しく打ち鳴らされている。
橘花は、そんなペーターの熱い決意を目の当たりにし、思わず息を吐いた。
まだ眠気が残る頭では処理しきれないが、今はその思いを否定できなかった。
「わかった、わかった。ただし約束しろ。俺が教える剣術は、自衛以外には絶対に使うな」
「約束する! 絶対守る!」
ペーターの目が一層輝き、ほとばしる感情が溢れ出すのを、橘花は否応なく感じた。
彼の瞳は今にも涙をこぼしそうで、それは恐怖や不安からくるものではなく、強くなりたいという渇望の炎そのものだった。
橘花が抜いた短刀を手渡すと、ペーターの手は震えながらも、力強く握り締めた。
その手には、幼さの中に垣間見える決意の固さがあった。
「これが……俺を守ってくれるのか……」
心の中で何度も呟きながら、短刀の重みを全身で感じ取ろうとしていた。
たとえ小さな刃物でも、それは彼にとって“力”の象徴であり、未来への希望だった。
「銘行光。これがお前の懐刀だ」
橘花の言葉に、ペーターは目を見開き、驚きと共に敬意を込めて呟いた。
「め、めいゆきみつ……」
幼い声が震え、ほんの少し涙が浮かんだ気もしたが、必死にそれを堪えようとしているのが伝わる。
銘行光は持ち主を一度だけ守る懐刀としてPAOで設定されていて、即死攻撃を一度だけ身代わりする機能がついていたりする。
希少なものかと思われるが殆ど使うことがない短刀で、橘花にとっては何本か持ち合わせているひとつなので一本くらい惜しくはない短刀だ。
「銘行光を手前に立てて持ち、刀を少し抜いて戻すときに音を立てろ。その時に金打と言葉にする、これは武士としての誓いだ。私と同じようにしろ」
ぎこちなくも真剣に真似るペーターの動きからは、子供らしい無邪気さと同時に、胸の奥に芽生えた覚悟が伝わってきた。
「復唱しろ、金打」
「き、きんちょう……!」
鍔と鍔が響き合うその音は、まるで未来への約束の鐘のように感じられた。
「明日の朝までだ」
「な、なにが?」
「私が教えるのは、明日の朝までの基礎だけだ」
言葉の意味はまだ完全には理解できないが、ペーターは頷いた。
その小さな胸の奥で、決意と不安がせめぎ合いながらも、何かが確かに動き始めているのを感じていた。
「絶対に強くなって、みんなを守るんだ……!」
彼の心に響いた誓いの言葉は、まだ形も色もなく、けれど確かな炎となって燃え続けていた。




