第29話
「それで、手は打てそうでしょうか?」
やはりその質問か、と橘花は内心でため息をつく。
ペーターに連れられて訪れた村長・ザザンの家は、石造りで他の村人の家とさほど変わらない。広めの居間に村の男たちが集まり、橘花を迎えたせいで、かえって落ち着かなかった。
「まだ病気の正体は掴めていない。しかし、あの洞窟の異臭は尋常じゃないと感じる」
「あれは……亡くなった者たちを村の周囲に埋めているのですが、そこからまた病が蔓延するのではと。洞窟の奥に深い崖がありまして、そこに……」
言葉を濁すザザンの声に、橘花は「聞きたくなかった」と内心で呟く。
死者がもう出ているのか。最悪なパンデミック地帯に知らずに踏み込んでいたことを思い、舌打ちしたくなった。
死者への弔い方に文句を言いたくもなるが、森に囲まれたこの土地で生きる彼らがそうせざるを得なかったのは、土葬にしたら自分たちも同じ病に罹るのを恐れたからだろう。
病気の知識はなくても、危険性を察知できたのは、薬師のトーマがいたからではないかと橘花は考えた。彼がいた当時、病死した者を土葬にするのが危険だと判断していたのだろう。
聞けば、亡くなったのは抵抗力の弱い老人ばかり。
ある日突然、節々の痛みや視覚・聴覚障害を訴え、数日後には吐血して息を引き取った。
その後、子供や若者も同様の症状を訴え、手に負えない人数に膨れ上がった。
遺体の処理にあたった若い男たちも多くが伏せり、村の機能は著しく低下しているという。
(もしかしなくても、感染力の強い菌なんじゃないか、これ……!?)
橘花の脳内で警鐘が鳴り響く。
もしかすると、自分も既に感染しているのかもしれない。
橘花の顔色を見た一人の男が弱々しく呟いた。
「もう駄目なんだ……」
その言葉を皮切りに、男たちの表情からは期待が消え、憎しみの色さえ見え始める。
期待を持たせるな、という思いが滲んでいた。
橘花も中身は一般人だ。そんな視線に圧倒され、言い訳じみた言葉が口をついた。
「できる限りの手は打つ。ただ、原因が分からない以上、近隣の村や街に助けを求めることも視野に入れておくべきだ」
「簡単に言うな! もしそれで駄目だったら、あんたはこの村から出ていけばいいが、俺たちには行く当てもないんだぞ!」
「やめなさい。死人まで出ていると聞けば、誰も逃げ出さずに残る者などいなかったでしょう」
「……近隣の村から来た医者は、話を聞くや否や逃げていったんだ」
話の流れに疑問符を浮かべていると、そばにいたペーターが教えてくれた。
村から逃げ出した者はいるが、移住できる余力は誰にもないという。
橘花は思わず頭を抱えたくなる。
発症から死に至るまで短かった老人と、現在症状を訴える子供や若者。免疫力の違いか、ほかに要因があるのか。
ザザンに聞いても、病人の発症前の異変は特に無かったという。
手を貸すと申し出る者はいても、話し合いはそこで終わり、橘花は洞窟前へと戻った。
本当に突然発症する病なのかもしれない。だがペーターを鑑定した際、『蜜病:初期症状』と診断が出ていた。
前兆があるはずだ。似た病気はないか、橘花はもう一度履歴を調べようとするが、睡魔が襲い、思考がまとまらなくなる。
「だから言っただろ。もう諦めて出て行けって……あー、うぜぇな」
お目付け役のように付いてきていたペーターが、蝶を追い払っている。
揚羽蝶や紋白蝶がしつこく寄ってきて、ペーターは辟易しているようだ。
「山羊じゃなくて虫に好かれてるな、ペーター」
「んなわけねえだろ! 山羊だってこんなに寄ってこない。ここ最近急にだ、まったく頭に止まるなっての!」
大きな蝶を追い払い、首や肩に止まる小さな蝶はあまり気にせず。微笑ましい光景だが、橘花の心にひっかかる。
「ここ最近?」
「そうだよ。あんたに洗われてよくなるかと思ったのに、何の効果もねえ!」
「ちょっと待て。蝶が寄ってくる? 蝶だけか?」
「起きたら枕元に甲虫もいたし、蟻も登ってきてた」
ペーターの言葉で、橘花の記憶の糸がつながった。
「ペーター、サンキュー!」
「ぎゃぁっ、なんだよいきなり! 抱きつくな!」
「調べ物がある。薬ができたら協力してくれ」
「は、薬?」
ポカンとするペーターを置いて、橘花は誰にも邪魔されず作業できる川辺へ戻った。




