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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
気がついたら異世界編
25/62

第25話

橘花が呆然としている間にも、時間は冷酷に過ぎていく。

何がどうなっているのか理解が追いつかず、胸の奥で嫌な想像ばかりが膨れ上がった。


(どういうこと……? 何が起きたの。異常事態なら緊急プロテクトが作動してるはず。なんで戻らないの……。私の身体、今どうなってる? まさか心肺停止とか、脳死判定とか……ないよね?)


「あの……どうかなさいましたか?」


ザザンの声が後ろから届き、橘花ははっと我に返った。

その瞬間、自分の親指から血が滴っているのに気づき、慌てて袖から手拭いを取り出して拭う。


「そんなに、この者達は悪い状態なので?」


彼は橘花の青ざめた顔を、病人達の容態を見たショックだと勘違いしているらしい。

実際、彼らの状態は悪い——いや、悪すぎる。だが、ここで軽々しく「はい」とも答えられない。橘花は医者でも看護師でもないのだ。


症状からすれば、可能性は高いのは感染症。あるいは村全員が食している何かに弱毒性の毒素が含まれ、長期的に蓄積して倒れているか。

鉱山は近くに見えないが、もし鉱毒だったら……考え出せば切りがない。


隔離という判断は、もし感染症なら正しい。

だが——この村の人間族に、衛生知識はほぼ皆無だ。隔離といっても、世話の時にマスクや手袋を使った形跡はない。むしろ村全体が保菌している可能性すら高い。


「……事が大きい。対策を練らねばならぬ」


「は、はぁ……」


ようやく口を開いた橘花に、ザザンはわずかに諦めを帯びた表情を見せ、静かに下がった。

だが、橘花に構っていられる余裕はない。現状から逃げ出したい衝動で胸がいっぱいだった。


ザザンが離れた後、橘花はおそるおそるアイテム欄から『初級ポーション』を取り出し、青い液体を指の傷口にかける。

……瞬間、傷は跡形もなく消えた。

これがゲームなら「大丈夫、これでいける」と胸を張っただろう。

だが——血の痕は残ったままだ。現実がじっとそこにいる。


アイテム倉庫を探れば『お医者さんキット』なるふざけた名前の一式が見つかった。

中身はふざけてなどいない。聴診器、注射器、消毒液。さらにマスク、ゴーグル、手袋、防護服、シューズカバー。

まるでパンデミック地帯に突入する装備そのものだ。

Ⅱ型は酸素ボンベ付き密閉型防護服。……笑える要素はない。


病を断つには原因を突き止めねばならない。

しかし——洞窟から漂う悪臭は、近づくことすら躊躇わせる。そう思っていたその時だった。


あの少年——橘花に向かって叫んでいた黒髪の少年が、ためらいもなく洞窟内へと駆け込んでいくのが見えた。

前髪は顔にかかるほど長く、横顔はまだあどけない。


(えっ……ちょっと待って! マスクも手袋もなしで感染症かもしれない場所に突っ込む気!?)


母と妹が中にいると言っていた。確かに助けたいのだろう。

だが、それでも最低限の防備は——!

橘花は慌てて『お医者さんキット』からマスクとゴーグル、手袋を引き抜き、急ぎ装着して追いかけた。


洞窟に一歩足を踏み入れた瞬間、鼻を突く悪臭に思わず引き返しそうになる。

だが、まだ顔に幼さの残る少年を一人で行かせる選択肢は、大人として持てなかった。


そして——後悔はすぐに訪れた。


橘花を見た病人達が、一斉に怯えたように目を見開く。

「トーマ……」と呼ぶ声が次々と上がる。

中には悲鳴を上げて逃げる者も、必死に謝る者もいた。


(え……何これ……?)


村に入った時、鬼人族を恐れて逃げたのだと説明された村人達。

しかし今目の前にいるのは——怯えるだけでなく、なぜか橘花に謝罪までしてくる病人達。

全員が、一様に「トーマ」と呼ぶ。


訳も分からず適当に「はいはい」と流しつつ、橘花はスキル欄から『鑑定』を試みる。

同時に少年の背中を追い、奥へと進む。


やがて壁際、暗がりに小さく座り込む人影が見えた。

近づくと、それが少年の背中だと分かる。


「おい、君」


声をかけると、少年は肩を跳ね上げ、振り返った。


「うわっ、あんたかよ! ……なんだその顔に着けてるモンは」


「マスクとゴーグルだ」


後ろから声をかけられた衝撃が大きかったのか、あるいは気恥ずかしさからか、少年は話題を逸らそうと橘花の装備を指さす。素直に答えれば、


「……変なの」


とだけ吐き捨て、そっぽを向いた。


少年の傍らには、女性と小さな女の子が横たわっている。息は浅く、頬はこけ、肌は青白い。おそらく母親と妹だろう。

少年の手には、小鉢に入った粥のようなものが握られている。それが彼女たちの食事なのだと悟るが、中身はほとんど減っていない。


やせ細った二人を前に、橘花は何も言えず、沈黙が落ちた。

ふと視線を少年に戻すと、いつの間にかじっと見つめられていて、思わず肩が震える。


「なぁ、どんな魔法を使ったんだ?」


少年は真剣な声で続けた。


「あんなふうに畑が実ったの、四年ぶりだ。それに……ここにいる奴らも助けるつもりなんだろ? あんた、元とはいえ奴隷の村を救おうなんて、物好きだな」


内心――ちゃうねん! 鬼人族は魔法使えないし、あれはただのアイテム使用!

しかもイベントだと思ったからノリで言っただけ!

……などと全力で弁明したかったが、今ここで「できません」などと言えば袋叩きは確実。

橘花はきっちり心の口を縫い付けた。


「まぁ、当てがなかったわけじゃない」

わざと曖昧に言葉を濁し、話題を変える。

「……それにしても、薬草の煎じ方はよく知っていたな。村長から、他に手がなかったと聞いたが」


この村で使われた薬草――根の残骸を調べてみれば、それは『万能草』だった。

本来なら上級モンスターの徘徊する危険地帯でしか採れない希少種。

それが隠れ里の近くに自生しているなど、まずありえない話だ。

どうりで、街に持ち込めば高値で売れるわけだ――。

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