第129話
血の匂いが、まだ空気の中に生々しく漂っていた。
ロイヤードは歯を噛み締め、握った拳が震えている。ウェンツもエレンも、何も言えずに立ち尽くしていた。
ソータは膝をつき、震える指先で地面を掴む。
イサミとリュートは茶々が静かに獣人たちの瞳を閉じていくのを側で見ながら、耳を伏せて黙祷を捧げていた。
「解呪と連動して発動する術なんて……PAOの魔法にそんなものはないわ。おそらく、彼らがそう誤解するように見せたのね」
彼女の声は、風に溶けるほど弱かった。
誰も言葉を続けられなかった。
ただ、無惨な亡骸の列を前に、何もできなかった自分たちを責めるように沈黙する。
――その時だった。
「感動的な光景だな。獣人どもの死に涙するとは」
その声に、全員の身体が一斉に跳ねた。
森の奥、黒衣の集団が木々の影から姿を現す。
灰に溶けるような外套、無機質な仮面。
先頭に立つ隊長格の男は、ゆっくりと歩み出ると、死体を一瞥して鼻で笑った。
「死んでなお、利用価値はまだあるが……ただそれだけ。ずいぶん無駄な情だ」
「貴様……!」
ロイヤードが剣を構え、踏み出す。その肩に茶々が手を置いた。
「落ち着いて。あれは挑発よ」
だが、隊長はその言葉すら愉快そうに見ていた。
「お前が茶々だな? お初にお目にかかる、と人間族なら婦人に対する礼を尽くすところだが、異種族に理解などできまいからな」
男は挑発を重ねるが、茶々は反応しなかった。ただイサミとリュートは、今にも飛び出して行きそうな程の怒りを抑え込んでいる。
「知能だけはあるお前に正解を教えてやろう。確かにそいつらの隷属の首輪は、そのままの役割しか付与されていない。我らは、状況的に連動するように見えるようにはしただけだ。つまり、無知なのが悪い、という結果がこれなのだ」
「テメェ……!」
あまりの物言いにロイヤードが怒りの色に顔を染めた。
「事実、知っていれば…いや、足掻けば真実を知ることはできただろう。だが、それを放棄したのだよ。その犬どもは。だから異種族のような下等な連中は、人間族に使い道を与えられて初めて意味を持つ。我々はそれを理解している。君たちのような甘い連中とは違ってね」
「黙れ!」
ウェンツが前に出た。
「死者を冒涜する口を、二度と開くな!」
「おや、情熱的だな。人間のくせに」
男は剣を抜いた。後方の部下たちも同じように剣を抜く。鞘から出る金属が擦れる音が、森の静寂を終わらせた。
「なんでこんな真似をするのよ」
「なぜ? 簡単なことだ」
飛びかかるのを我慢しているイサミが唸里ながら問う声に、答える声は嗤った。
「力の差だ。人間が他種族を支配し、操ることこそ正義。我らの技術はそのためにある」
その言葉に、茶々の瞳の奥で何かが切れた。
彼女は静かに胸元の短刀を抜き、低く言い放つ。
「――あなたたちは、人間族の誇りをも穢している」
風が一瞬止まった。
次の瞬間、茶々の姿がかき消え、風の中を疾走した。
閃光のような一撃。
男の頬に浅く線が走り、血が滲む。
「ほう……速い」
隊長は口の端を吊り上げると、手を上げた。
それが合図。刺客たちが一斉に動いた。
向かってきた矢を、ロイヤードが剣圧で弾く。ウェンツは剣を振り抜き、一人の刺客を地面に叩き伏せた。
エレンが連続で矢を射て、後続の刺客たちを行動不能にしていく。
震える声で詠唱を終わらせたソータの魔法が炸裂し、火花が飛ぶ。
イサミとリュートは茶々に追随するように、敵を斬り伏せていく。
森が再び戦場へと変わる。
その中心で、茶々は隊長と刃を交えていた。
「死者を、利用だなんて……!」
「利用もされぬ命に価値などない」
「なら――あなたたちの命も、価値はないわね」
刃がぶつかり、火花が散る。
怒りではなく、信念で動く茶々の瞳が、冷たく光った。
「お前が素直に我らと来るというのなら、この戦いも無用なのだがね」
「馬鹿を言わないでっ、貴方たちに素直についていくほどイカれてないわっ!」
茶々の刀をかわしながら男が、聞き分けのない子供へ言葉をかけるように続けた。
「全くもって度し難い。仲間などというものを大切にして同情を誘う情景だが、それで人間族に何が敵うというのだね? 個々の戦闘力のみ特化した者たちを統べる者が必要なのだとわからないのか」
口では余裕を見せているが、戦闘力は茶々たちの方が大きい。ゲームという命の危険のないシステムで、キャラを成長させてきたのだから。
そんな茶々たちの応戦に押され、刺客たちは次第に後退していった。
隊長格の男は、息を切らす部下たちを見回し、冷笑を浮かべる。
「ここまでか……なら、試すか」
茶々から距離を取り部下に目配せをすると、意味を理解した部下たちはためらいもなく、転がる獣人たちの遺体の傷口に何かを押し込む。
「何してやがるっ!?」
「自分たちを襲ってきた者の死骸まで心配するとは、生温い戦士だな」
ロイヤードの怒声に隊長格の男が鼻で笑う。戦場の空気が一層重くなる中、後ろで部下の一人が口を開いた。
「隊長、そろそろかと」
その報告に男は薄笑いを浮かべて軽く頷くと、冷たく応じた。
「お前は、我々が何をしていると思う?」
挑発するような問いにロイヤードは剣を構え直しながら、警戒を解かずに睨みつける。
ロイヤードの様子に、隊長格の男は出来の悪い生徒に答えを教えるかのような態度で、悠然と肩をすくめた。
「資源の有効活用というものだ」
その言葉を最後に、刺客たちは森から撤退し始める。
先ほどまで茶々に執着していたとは思えないほど、速やかにこの場を離れようと全体が動いていた。
今までと真逆の行動に、茶々たちは唖然と立ち尽くす。
だが、次の瞬間、異変に気づいた。
転がる獣人たちの遺体が、異様に膨れ上がっていく。
その光景に、ウェンツは思わず息を漏らす。
「まさか……」
「全員、避難だ!」
ロイヤードの叫びと共に、緊急の指示が飛ぶ。
早く走れない茶々を抱き上げたウェンツが先頭となり、全員が森の奥深くへ走る。
呼吸は乱れ、足元の地面は濡れ葉で滑るが、一歩も止まらない。
かつて橘花と登った山の中腹まで駆け上がると、皆は息を整えながら、先ほどいた戦場を見下ろした。
その瞬間、森の一角が地響きを伴って炸裂した。
まるで隕石が落ちたかのような大爆発。
煙と火塵が舞い上がり、木々は黒焦げの影を落とす。
全員が目を見開き、口を開けたまま黙り込む。
理解が追いつかない。
だが、胸の奥でひとつだけ確かなことがあった。
あの刺客たちの用いた方法が、森の中で何か、恐ろしい力を解き放ったのだということを。




