第13話
赤いメイド服を着た森人族の少女を肩に担ぎ、男のアバターが古都の入り組んだ街路を駆け抜けていく。
その後方――全身をフルプレートに包んだ人間族のアバターが、路地を縫うように追ってきていた。
巨人族や竜人族でもない限り、人ひとり担いだ程度では重量制限は発動しない。しかもその動きは、速度に極振りしたビルドらしく、俊敏さだけは折り紙付き。ぐんぐんと橘花との距離を広げていく。
――どうしてこうなった。
トラストラムとしては、ただ巡回中の姉・橘花を見つけ、自慢するつもりだったのだ。
竜殺しの称号を手に入れたことを。
ところがフィールド上で声をかけようとしたその瞬間、横から飛び出してきた見知らぬアバターに当て身を喰らい、麻痺状態にされ、そのうえ呪文封じまでかけられて担がれてしまった。
なぜわざわざ人質同伴で逃げるのか――犯人の行動は不可解だったが、ともかく橘花としては、市街戦での一般人巻き添えペナルティだけは避けたい。
必死に追いすがるも、逃走犯は狭い路地を迷いなく駆け抜け、やがて城壁門前の転移ゲートへ向かっているらしい。
街へ入れば安全――トラストラムは一瞬そう安堵しかけた。
だが、異常はすぐに判明する。
フィールドから市街地に入っても、拘束は解けない。
それどころか、麻痺もスペルロックも解除されていない。
――そんなことが可能なのは、ひとつしかない。
「……マズい、違反コード使用者だ!」
五年前の大混乱が収まった直後、国のサーバーがハッカーに侵入され、内部コードが一部抜き取られた事件があった。
アバターや戦闘システムのコードが改造され、闇市場に流出。面白半分で使う者が後を絶たない。
どれだけプロテクトを重ねても、基盤の仕様そのものは変えられない。
雨漏りを塞ぐように、脆弱箇所を順次塞ぐしかないのが現状だった。
橘花は走りながらギルドにメッセージを送信する。
『あねきーごめーん! たぁすけてー!』
「どこのヒロインだっての!」
犯人の肩に担がれたまま、後方の橘花へ助けを求めるトラストラム。
しかし呪文封じの影響で、発する言葉は幼児語に変換されてしまっている。
全力で追っている最中にのほほんとした声を聞かされれば――「わかってるから黙ってろ!」と叫びたくもなる。
だが現実は非情だ。
橘花のビルドは特攻特化で速さには自信があるが、違反コード使用者には敵わない。
上限レベル十に縛られる者が、上限無制限の相手に追いつけるわけがない。
まるで、昔読んだチート転生物の脇役を自ら演じているかのようだ。
ピコン、ピコン――耳元で通知音が鳴る。
視界の端に浮かんだログには、《捕縛完了》の報告。
四番隊と五番隊からの簡潔なメッセージに、続けて《応援に向かう》の追記。
橘花は歯を食いしばり、視線を逃走犯の背へと据えた。
ギルドで休んでいるはずの二、三、八、九番隊から、まったく連絡が入らない。
「っていうか、あいつら、俺からのメッセージ見てねえのかぁあああっ!?」
苛立ちを爆発させながら叫ぶ橘花。
逃走経路としては【ミブロ】の警邏アバターが常駐する城内のゲートより、広場のゲートを使われる可能性が高い。
広場に拠点を置くギルドの面々が出撃し、迎え撃ってくれれば挟み撃ちも容易だ。
「武器チェンジッ、村雨っ!」
腰の刀が変わる。
素早く抜き放ち、横薙ぎの一閃。
斬撃の軌跡を水が描き、逃走者の背後へ迫る!
逃走犯は寸前で身をひねりかわしたが、ダメージ表示が画面に浮かんだ。
服の脇腹が裂け、リアル追求の演出がリアルに響く。
反動無効コードを組み込んでいないのか、体が揺らぎふらついた。
――やはり違反コード使用者だ。
橘花の攻撃を受けてなお強制転送されないのは、違反コードが絡んでいる証拠。
即座にGMへ緊急連絡。
捕縛システムの作動を依頼し、一時的に違反コード使用者専用の捕縛キットをギルドメンバーの武器に付与する措置をとる。
多数の武器に常時付与は不可能なため、捕縛は縄による縛りが条件だが――捕まれば即座にアカウント強制停止、GM管理下に置かれる。
体勢を立て直して再び走り出した逃走者。
何かを落としたように見えたが、橘花は即座に罠と判断。躊躇なく避けて通る。
マップを確認すると、広場のゲートが間近に迫っている。
焦りの色が濃くなる。
「いい加減に捕まれ、この野郎!」
再び放つ村雨の水斬撃。
トラストラムに当たらぬよう細心の注意を払いながら放つ一撃だ。
だがまたもダメージ表示はされるだけで、強制転送は起動しない。
逃走者が広場へ続く建物の角を曲がろうとしたその時――。
「どりゃああああっス!」
茶豆の叫びとともに振り下ろされた太刀が、逃亡者の胴を真っ二つに裂いた。
勢い余って放り出されたトラストラムは空中で一回転し、多聞がしっかり受け止める。
「トラちゃん無事でよかったー! もうっ、可愛いトラちゃんに何かあったらどうしようかと思ったよ。……それにしても、ウチのアイドルに手ぇ出すなんて、いい度胸してるね。そこの人間族、いっぺん死ぬかオイッ!」
「……こ、怖いですよ、多聞さん……」
「もう~、こんなに怯えて……今すぐ片づけるから待っててね、トラちゃん。さぁて、HPを削って小回復を繰り返し、精神をボロボロにしてやろうか」
「槍技のチャージ、笑いながらしないでください。しかも目が笑ってるように見えません、東雲さんっ!」
「安心して、トラたん。目を瞑っていれば怖くないよ。さて……このヤツ、どこから潰そうかね。一本ずつ爪をはぎ取り、指を潰しても足りない! まずは貴様のブナシメジを切り落としてやるっ!」
「みみみさーん、それ怖いです! そのセリフは目を閉じてても怖いし、男として痛いです!」
「みんな怒髪天ッスね。トラストラムちゃんがほっぺにちゅーしてくれたら、正気に戻ると思うッス」
「状態異常なら俺より回復アイテム使ってくださいよ、茶豆さんー!」
――こうしてトラストラム奪還に成功し、敵には一切の容赦なし。
これが【ミブロ】の通常運転である。
「そいつ、違反コード使用の疑いアリだ! 早く強制転送かけろっ!」
橘花の声に、茶豆は慌てて縄を取り出し逃亡者へかける。
だが縄はスコンとすり抜け、逃亡者のフルプレートの身体はポリゴンの塊のように粗く崩れていく。
黒く変色し、まるでバグを起こしたかのような姿に全員が凍りついた。
――捕縛失敗。
本来あるべきアバターのデータがごっそり抜け落ち、修正されずにポリゴンむき出しの空間だけが残ったのだ。
正規のログアウトを踏んでいれば、空間は埋まるのだが……。
違法なログアウトは、まさにトカゲの尻尾切り。
マップ上からも逃走者の表示が消失した。
「あーあ、逃げられちまったな」
広場の包囲網を指揮していたマノタカが煙管キセルをくゆらせながら呟いた。
 




