第116話
ーー夜。
ギルド指定の宿では、灯りの明滅が静かに机の上の紙束を照らしていた。
橘花は溜め息まじりに最後の報告書を閉じ、首を回す。
「……王都まで呼びつけて、やることが根回しと愚痴大会か。ほんと性格悪い街だなぁ」
欠伸をかみ殺した瞬間、扉がノックされた。
「夜分遅くに失礼します。下に届け物をしにきたって人が来てますけど」
宿の男性従業員だった。
(この時間に、届け物?)
あいにくガンジは風呂に入りに行っている。
眉をひそめつつ、仕方なしに下階に降りて行くと、若い配達人が木箱を抱えて扉から一歩入ったところに立っていた。
背丈がある橘花を見た配達員が、一瞬ギョッとした表情になる。
(デカくて角もある奴が来たら、そりゃビビるよな)
いつもならガンジが代わりに出ていたから、もしかすると想定外だったのかもしれない。
けれど、風呂から連れてくるわけにもいかず、橘花が受け取るしかない状況だ。
配達人がビクビクしながら、公式の配達員である証を見せる。
手に持っている封は整い、印章も本物。書式上は何の問題もない――だが。
「差出人は?」
「えっと、その……ギルド上層部の……たしか封書の中に――」
青年の声はどこか上ずっていた。
その背後、路地の暗がりがわずかに揺れる。
橘花は一瞬で察する。
(……ああ、そういう筋書きか)
軽く息を吐いた次の瞬間、甲冑の音が鳴り響いた。
「そこまでだ! 荷を動かすな!」
松明の光が一斉に宿前を照らし出す。
警邏隊だ。
青年は顔を真っ青にして木箱を取り落とした。
転がり出たのは、淡い光を放つ球体――王都で一般人が持つのは禁止とされる禁制品、“魔導増幅炉のコア”。
ゲームの大規模イベントでは魔導兵器への転用ができるとして、魔法使いのギルドがイベント上位に食い込むために三十六個も意地で集めたのが話題になったレアアイテムだった。
「禁止物の所持、現行犯だ!」
「弁明は牢の中で聞こうか、“鬼人”殿?」
橘花は一瞬だけ目を細め、口の端を上げた。
「……わかりやすっ。三流芝居かよ」
そこへ風呂から上がってきたガンジが、宿の中から飛び出してきた。
「待て! 橘花がそんなもん受け取るわけねぇ! 罠だろ、見りゃわかんだろうが!」
「黙れ!」
「証拠はここにある! 現行犯に理屈は不要だ!」
怒号が飛び交う。
けれどその声の裏には、“命令どおり動いている”者特有の空虚さがあった。
橘花は肩をすくめ、静かに言う。
「……命令された通りに喋ってる顔だな、君」
「貴様、誰に――」
「いいよ、連れていきな。……どうせ“牢”って言っても、警邏隊のじゃないんだろ?」
隊長の肩がぴくりと動いた。
橘花の笑みがさらに深まる。
(ほら、図星)
「橘花!」
後ろからは心配するガンジの声が飛んでくる。本気で心配してくれる人に、すぐに暴露できないのが残念だ。
「ガンジさん、その証拠品を私が受け取ってどうしようとしていたのか明らかにする裁判とか開ける?」
「絶対に開かせる! お前は王都に伝手もないのだから、こんなものを手に入れようがない!」
「うん、小細工してくるだろうから、相手側から私が自身で使用するためっていう証言だけ確保して」
不可解な橘花の依頼にガンジは首を傾げたが、何も聞かずに頷いてくれた。
やはり信用のおける人は違う。
そのまま大人しく護送馬車に乗る橘花。
腕には頑丈な手枷をつけられると、橘花を乗せた護送用の馬車は夜の王都中心を抜け、端の方へ向かっていく。
揺れる灯の中で、窓外の景色をぼんやりと眺めていた。
通り過ぎたのは警邏隊の詰所……向かっているのは、街の外れ。
やがて立ち止まった先にあったのは、黒塗りの鉄門。
郊外にあるどこかの貴族邸だった。
(……雑だなぁ。ほんと、雑)
「王都ってのは、犯罪者の扱いまで貴族が介入するほど人手不足なのか?」
皮肉を飛ばすと、見張りの兵がわずかに目を逸らした。
橘花はその様子に苦笑する。
「……なあ。牢屋って、普通は警邏隊の管轄だろ? どうして“貴族のお屋敷の地下牢”なんて特別待遇なんだ?」
誰も答えない。
橘花を鉄格子のはまった廊へ入れると、重い鉄扉が閉まる音が響いた。
橘花はその音を背に、静かに腰を下ろす。
冷たい石の床の上、笑いを一つこぼした。
「詰めが甘いんだよなぁ。……こういう連中、あとで泣くんだ。だいたい」
その声には恐怖も焦りもなかった。
あるのはただ――次の一手を練る冷たい静寂だけ。
禁制品を持ち出した奴は、おそらく消されているだろう。
この三流芝居を仕掛けてきたやつは、足がつかないようにしつつ、この演劇を続けたいらしい。
異種族の悪事をを摘発し、ヒーローを気取りたいのだろうが……。
「ほんと、この世界の人間族って鬼人族を知らないんだなぁ……マジで馬鹿だ」
橘花は呆れたように呟いた。
⸻
鎖の音を聞きながら、橘花はあくびを噛み殺した。
夜だというのに、牢の中は妙に明るい。天井に浮かぶ魔光石が、影すら逃さぬほどの光を放っている。
その光の下、牢の前には見覚えのある顔ぶれが三つ。
どこかで見たと思えば、ギルド本部の会議室で威張り散らしていた連中だった。
「貴様のような下等種が、王都で幅を利かせられるなど思い上がるな!」
「力を持つ異種族など、国の秩序を乱す害悪だ!」
「ありがたく思え、人間族の慈悲で生かしてやっているんだ!」
……三人そろって、まるで見本合わせをしているように同じ口調。
橘花は小さく息を吐き、肩をすくめる。
(“身の程を知れ”、ねぇ。お前らが自分の器を知った方が早いと思うけど)
首を傾げ、ゆっくりと目を閉じる。
牢の鉄格子に背を預け、足を組み、うっすらと口角を上げた。
「で? もう少し台詞にバリエーションはないの? それとも悪役見本市でも開催中?」
「な、なんだと……!」
顔を真っ赤に染めた貴族が唾を飛ばして怒鳴る。だが橘花は退屈そうに、髪を指先で弄びながら淡々と続けた。
「いや、だってあんたら、前にも同じこと言ってたでしょ。“身の程を知れ”とか、“下等種”とか。テンプレ台詞ってやつ? 紐引っ張ったら同じ動作しかしない人形と同じ。見事に量産型だよね」
一瞬、空気が凍りついた。
牢の中から出た一言が、鋭い刃のように静寂を裂く。
怒鳴り声、罵声、鉄格子を叩くような音。だが鉄格子を越えて中へは誰も踏み込めない。
恐怖を飲み込んだまま、威勢だけが空回りしている。
(怖いなら怖いって言えばいいのに。素直なほうが、まだ可愛いもんだ)
そう思いながら、橘花は視線を上げた。
天井の光が瞳に映り、金と緑がゆらめく。
「……ガンジさん、無茶してないといいけどな」
ぽつりと漏れた言葉は、わずかな柔らかさを帯びていた。
彼は不器用なほどに真っ直ぐだ。橘花の無実を証明するため、今も王都中を駆けずり回っているはずだ。
あの人のことだから、寝ていないかもしれない。
そう思うと、わずかに胸が痛んだ。
その瞬間、貴族の一人が怒鳴った。
「魔術師! この無礼者を黙らせろ!」
隣に控えていた老練の魔術師が一瞬ためらう。だが、命令は絶対らしい。
橘花に杖が向けられた瞬間、空気が熱を帯びる。
「ヘルバインド・ブレイズ!」
魔力が奔流のように吹き荒れ、牢の中が炎に包まれた。
赤い炎が地下の石壁を染め、悲鳴が響く――と思われたその刹那。
轟音の中で、橘花は欠伸をした。
炎の揺らめきの中、髪一本焦げず、悠然と座っている。
熱風を押しのけ、煙が薄れた時、貴族たちの顔が引きつった。
「え、終わり?」
橘花の声はあくまで退屈そうだった。
手枷を鳴らしながら首を傾げる。
「もうちょっと派手に行こうよ? ほら、せっかく地下牢なんだし、演出くらい凝ってくれないと」
魔術師が青ざめる。炎の威力は間違いなく致命級だった。
だが、橘花の足元に黒く焦げた床があるだけで、本人は無傷。
何かが橘花を守ったのは明らかだった。
「ど、どういうことだ!? なぜ焼けぬ!」
「火だるまにしろっ! 今すぐだ!」
再び命じる貴族と、「馬鹿を言うな、ここで始末すれば立場が危うい!」と止める貴族。
地下牢の中で喧嘩を始める二人。威勢だけの言い争いに、橘花は思わず小さく吹き出した。
「仲良しで結構。……あ、そうだ。もう一回燃やすなら、今度は香草でも焚いてくれない? ちょっと湿気くさいから」
「黙れ下等種がッ!」
怒号が響き渡り、やがて三人は互いを罵り合いながら階段を上っていった。
足音が遠ざかり、扉の音が重く閉じる。
残された静寂の中で、橘花は手枷の鎖を揺らし、深く息を吐いた。
淡く青く光る破片が、指の間からすっと消える。
――ストレージから取り出した、一定時間のみ範囲を完全遮断する防御アイテム。
元は高難度クエストの護衛任務で使ったものだ。
使い切りで、二度目はない。だが、丸焦げになるよりははるかにマシだった。
(やっぱり持っとくもんだな、非常用)
苦笑を浮かべながら、橘花は壁にもたれかかる。
耳の奥に残る鎖の音が、まるで子守唄のように遠くなる。
「さて……次はどんな芝居を見せてくれるのやら」
牢の中、薄く笑うその横顔は、まるで嵐の目のように静かだった。




