第113話
王都ギルド本部の当初の目的である橘花の尋問が終わり、応接室から別の部屋へと案内された。
その途中で、ガンジがギルド上層部からの呼び出しを受け、橘花はひとり残されることになる。
案内された部屋は、壁の高い位置に小さなはめ込み窓がひとつ。
光は入るが、外の景色までは見えない。
――軟禁に近い扱いだ。
橘花はため息をひとつ落とした。
「お腹すいたなー」
ぽつりと独り言を漏らしながら、室内を見渡す。
ソファとベッド、丸い卓がひとつ。
質素で、どこか閉じた空間。
……誰も入ってくる気配はない。
ため息まじりにストレージへ手を伸ばし、ランチョンマットを取り出して卓にぱさりと敷いた。
紅茶のポットとカップ、そしてバタークッキーを並べると、自然と口元が緩む。
「ま、こういう時はお茶にしよっか」
湯気を立てる紅茶を注ぎ、クッキーをひと口。
サクッ、ほろり。思わず目を細める。
「ん〜……幸せ」
その後もしばらく、ひとりで優雅なティータイムを満喫した。
だが、クッキーも紅茶もなくなり、窓の外を見れば夕方。
日は傾き、部屋の影が長く伸びている。
「ガンジさん、遅いな……。お昼抜きだし、お腹すいた……」
最初は我慢していた。
ガンジもきっと会議で食べていないだろうと。
けれど、体格のせいか橘花の腹は正直だった。
きゅるる〜〜。
「……」
部屋には一人きりだが、羞恥心から沈黙。
橘花はおもむろにストレージへ手を突っ込む。
「……カツ丼!」
ババーン!という効果音が似合うほどの勢いで、丼が卓に登場した。
箸を構え、「いただきます」と一言。
ガツガツガツ――。
あっという間に完食。
「ふぅ……」
だが直後、腹がきゅるるると鳴る。
「いや、今食ったろ」
自分に突っ込みを入れながらも、胃袋は容赦ない。
さっき食べたことで呼び水となったらしい。グッと10分ほど我慢したが、結局空腹に耐えきれず、次々に丼物を出す。
牛丼、親子丼、天丼――怒涛の丼ラッシュ。
橘花はひたすら掻き込む。
「丼は正義。丼は……腹を満たすものだっ!」
さすがに笑えない。
中身の女性としての部分が、この爆食具合に悲鳴をあげている。
「明日の体重計、怖すぎる……!」
それでも箸は止まらず、満腹の極みでソファに沈み込んだときには、丼シリーズを二周コンプリートしていた。
「……ほんとに大丈夫なの、私……?」
食べ終えた器をストレージへ仕舞いながら、虚空に問いかける橘花。
健康には悪いので、良い子は真似しないように。
やがて日が落ち、ようやく会議を終えたガンジが戻ってきた。
「悪いな、こんな時間まで付き合わせて」
早足で入ってきたガンジの目に映ったのは、ソファにぐでんと沈む橘花の姿だった。
(やっば……! さっきまで丼フルコース爆食してました、なんて言えない!)
内心焦る橘花をよそに、ガンジは苦笑を浮かべる。
「腹減って力が出ねぇ顔だな。さ、宿に戻って飯にしよう」
――ありがたいが、誤解されるのも気まずい。
橘花は心の中で、(器を仕舞っておいて本当によかった)と深く安堵した。
宿に戻ると、夕食が部屋に運ばれてくる。
「どうした? 遠慮せず食え」
勧められるが、満腹の橘花は小鉢を少しつつくだけ。
あとはお茶でごまかす。
「まぁ……お前さんの料理に比べりゃ、ちょっと物足りんけどな」
ガンジは小さく笑った。
きっと、道中で食べた橘花の手料理を思い出しているのだ。
宿の食事が味気なくて、調理場を借りて作ったあの日。
味付き餃子を作ったら、黙々と掻き込むガンジを見て、橘花は「嫌な味ではないんだな」と理解したのを思い出す。
普段の強面が嘘のように柔らかい表情に、橘花も思わず微笑んだ。
「明日こそたっぷり食わせてやる」
ガンジの屈託のない笑顔と宣言に、橘花は心の中でそっと誓う。
(……うん、明日はちゃんと宿のご飯食べよ)
だが、その誓いはあっさり破られる。
翌日も、会議が長引くのだ。
ガンジが迎えに来るのは決まって、橘花が空腹に耐えられなくなった頃。
「ちょっとだけ」のつもりでストレージから取り出した軽食を食べ終える頃に、決まって扉がノックされる。
もはや完全に出来上がった“悪循環パターン”だった。
数日が過ぎ、橘花はとうとう聞かずにはいられなくなった。
「ねぇ、ガンジさん。毎日そんなに会議することあるの?」
「くだらんことで時間を食ってるだけだ」
ガンジは重たげに肩を落とす。
「くだらん、って?」
「お前さんをどう扱うか、だ。貴族だの、利権だの、くだらん欲が絡むと人間はとことん面倒になる。お前さんには、あんまり聞かせたくない“人の本性”ってやつだ」
強面のギルド長にしては珍しく、疲れが滲んでいた。
橘花はストレージから小瓶を取り出し、そっと差し出す。
「これ初級ポーション。軽い解毒作用もあるから、飲んでおきなよ」
「ありがたくもらっておく」
ガンジは瓶を懐にしまい、わずかに口元を緩めた。
やりとりを重ねるうちに、橘花の中にも小さな変化が生まれていた。
まるで幼い子のように宿にひとりで残せないと毎回ガンジに連れてこられ、この閉じた部屋にいるだけでは、何も見えない。
外の空気を、街の音を、肌で感じたい。
「ねぇガンジさん、街に行ってみたい」
「……あんまりお勧めはせんがな。五年も経ちゃあ、王都も変わっちまった」
「買い物するだけだよ。日持ちする食料とか、調味料とか。ちょっとだけ、ね」
「まだ帰る日程は決まってないぞ?」
「大丈夫、そんなに大量に買うわけじゃないし」
橘花は笑いながら、心の中で思う。
(見られなければストレージに入れちゃえばいいし)
この世界では、「アイテムBOX」や「ストレージ」などの概念は存在しない。
虚空から物を出し入れすれば、異端と見なされるだろう。
――だから、見せない。面倒は御免だ。
本音を言えば、気晴らしがしたかった。
そして、王都が抱える“仄暗い現実”を、自分の目で確かめたかった。




