第112話
数日後。
長旅にうんざりしていた橘花の視界に、ようやく目的地の王都の街並みが映った。
人間族の国。
ヴァルシア王国・王都グランヴェール。
高く積まれた白壁の城塞が、陽光を浴びてきらめいている。
塔の先端には金で装飾された尖塔が林立し、石畳の広道を中心に整然と区画が広がっていた。
行き交う人間族の馬車や兵士の列、商人の賑わい。まさに「都」と呼ばれるにふさわしい光景だった。
「……さすがに規模だけは立派だな」
窓越しに眺めながら、橘花は低く呟く。
だがその声に、感嘆の色はなかった。
煌びやかに見える城門の下には、飢えた子どもが物乞いをしている。
華美な馬車に乗る貴族は、その存在を無視するように視線を逸らし、香を焚いて汚れを拒んでいた。
石畳の両脇に並ぶ店は確かに豪勢だが、並ぶ商品は虚飾に満ち、実用よりも見栄を張ることが第一に思えた。
橘花は無意識に、かつてゲーム内で訪れた異種族の都を思い出していた。
そこは、技術も叡智も誇りも、すべてが種族の個性として尊重され、磨かれ、重なり合っていた。
不思議な調和と凄みがあった。
――それに比べれば、目の前に広がる人間族の王都は、欺瞞と傲慢を重ね塗りしただけの、どこか安っぽい虚像だった。
橘花の視線が冷たさを帯びる。
「……なるほどな。外見だけ飾り立てても、中身はこれか」
横に座るガンジは、その呟きを耳にし、ちらりと横目で見た。
橘花の表情に浮かんだ微かな失望を読み取り、彼もまた苦い顔をする。
「王都ってのは、昔からこうだ。……見せるものと、隠すもの。両方を抱えて成り立ってる」
「隠すもんの方がデカすぎるな」
馬車は外門を潜り、煌びやかな都の中心部へと進んでいく。
橘花の胸には、王都の「虚飾」に対する冷ややかな感情が、じわりと広がっていた。
王都の城門が視界に入ると、警備を固める衛兵たちが橘花の姿に目を光らせた。
「止まれ! そこの者、何者だ! 犯罪履歴はあるか? 身分証明書を提示せよ!」
門前で厳しい声が響く。整列した鎧の衛兵たちは、橘花を初見から敵視し、まるで犯罪者扱いだ。
「犯罪者の護送か?」と聞こえてきて、もうすでに先入観からの決定した事実になっていた。
馬車内の橘花は、呆れたように眉を寄せる。
「……犯罪者って、私のことですか?」
その静かな皮肉に反応するでもなく、衛兵は書類や印章を確認する仕草を見せた。
ガンジが堪忍袋の緒を切ったように立ち上がる。
「おい! お前ら、聞いているのか! この者は王都の冒険者ギルド本部からの呼び出しで来ているんだぞ! 何を持って犯罪者だと抜かす!」
その声に、衛兵たちは一瞬たじろいだ。だが、任務のためと硬直したまま、なおも警戒を緩めない。
書類による調べが済んだのか、再び進み始めた馬車の振動で橘花が体を揺らしながら、穏やかにガンジを見る。
「……大丈夫そうだね?」
ガンジは険しい表情で頷き返す。
「安心するな。通るまでは油断できん」
馬車はゆっくりと城門を通過した。門の石柱は威圧的で、王都の重厚さを感じさせる。
門番の視線が一斉に馬車に向けられる中、橘花は無言で車窓から王都の街並みを見下ろした。
煌びやかさの裏に隠れた虚飾や傲慢さを思い出し、心の奥で小さく舌打ちする。
門をくぐり抜けた馬車は、王都中心部にそびえる冒険者ギルド本部の重厚な建物へと進む。
石造りの壁に嵌め込まれた巨大な扉。塔の屋根は銀色に光を反射し、威圧感すら漂わせている。
馬車が城門内の本部前に停まると、橘花は静かに息を吐いた。
「さて……ここからが本番だね」
ガンジは橘花の肩を軽く叩き、低く呟く。
「すまんな、おそらく耐え難い扱いをされるかもしれん」
「そんなの今更だって」
馬車が冒険者ギルド本部前に静かに停まると、石造りの重厚な建物に不思議な緊張感が漂った。橘花は車窓から街の喧騒を見下ろしつつ、淡々と深呼吸をひとつ。
「さて、敵陣突入しますか」
隣のガンジも頷き、馬車の扉を開けると同時に歩を進めた。大理石の広い廊下には、肩書きの重そうな書類を抱えた職員や、鎧をまとった冒険者が忙しげに行き交う。
廊下の奥、二重扉の前の警備の目は鋭く、橘花の姿を一瞥するや否や、即座に通行許可の確認と、この先の応接室でなく、下階へ誘導しようと動いた。しかしガンジの一声で、警戒の手は止まる。
「この者はギルド本部の呼び出しできたんだ。応接室に通すのが筋だろう」
橘花は肩を軽くすくめ、目を細めて扉に視線を向けた。内心では、どんな歓迎が待ち受けているかと少し身構えている自分がいた。
扉が開かれ、中に通されると、重厚な応接室。壁には歴代のギルド長の肖像が並び、天井から吊るされたシャンデリアが柔らかな光を放つ。
「こちらでお待ちいただきます」
警備の者が言い、橘花とガンジをソファに案内する。橘花は腰掛けつつも背筋を伸ばし、周囲を静かに見渡した。
間もなく、部屋の奥の扉が静かに開き、高位の冒険者たち数名と一人の査察官が姿を現す。白髪まじりの髪を束ねた中年の人間族、鋭い視線に威厳ある佇まい。王都本部の査察官であるヘーゼル・カーヴィルだ。橘花を一瞥し、にやりと微笑んだ。
「橘花……いや、今回は橘花殿と呼ばせてもらおう」
低く静かな声だが、室内の空気を一瞬で締める。見知った顔だが橘花は、背筋を伸ばした。
「今回の呼び出しは、旧ミヤコでの騒動についての報告だ。君自身の口から委細を詳らかに聞きたい」
ヘーゼルの視線が鋭く、橘花の反応を待っている。橘花は静かに頷いた。
「はい。全て正直にお話しします」
その言葉に、ガンジも微かに胸を撫で下ろした。表面上は冷静だが、内心では王都での対応次第で茶々や街の人々への影響も変わると理解している。
高位の冒険者たちは取り囲むように立って位置に付き、ヘーゼルは椅子に腰掛けると、手元の資料を軽く揺らし、橘花に向き直る。
「では、映像と共に説明してもらおう。今回の旧ミヤコでの行動を、私たちに理解させてくれ」
橘花は頷き、淡々と映像の再生される内容を説明していく。画面に映るのは、摩天楼崩落の奇天烈な攻城戦法や、飛行船への矢撃、そしてエルネスト・ホークに下された唯一の私刑の一部始終。
作戦を思いついた経緯では、「前に同じことをしたことがある」という言葉にヘーゼルの目が一瞬見開かれ、次の瞬間には微かに笑みを浮かべる。ガンジは冷や汗をかきつつも、橘花の腕前が評価されているのを感じ黙って見守った。
映像の迫力と行動の正確さに、書記官や本部の高位冒険者たちも思わず息を飲む。だが、橘花は淡々と説明を続け、全ての行動が「過剰な暴力ではなく、必要最小限の制裁」であることを強調した。
その静かな自信と冷徹な判断力が、場の空気を一変させるほど。
「なるほど、あい分かった。私の方できちんと情報を上層部と貴族に伝えよう」
そう言って立ち上がり、部屋を出ていくヘーゼル。
高位の冒険者たちと書記官も引き上げ、部屋は静かになった。
「ヘーゼルさんはああ言ってたけど、そのまま受け入れる貴族はいないだろうなぁ」
橘花は、ガンジと二人残され静かになった部屋で、小さな独り言をこぼした。
その予想通り。
同時刻、王都の上級貴族たちは、送られてきた現地報告に顔を歪めていた。あの摩天楼崩落や飛行船事件の映像もすでに届いており、さらにこの報告でホーク家が完全に壊滅したことが明らかになったのだ。
「……なるほど、これは……」とひそやかに呟いたのは王都の有力貴族の一人。通常なら口汚く非難するところだが、今回は誰もが顔を伏せ、互いの視線だけでやり取りする。エルネスト・ホークの死は、ただの偶然ではない。王都の上層部は、この街道での状況が、橘花の手によるものではないかと疑っていた。
しかし、調査報告にはもう一つの“重み”が付加されていた。街道の整備義務違反。ホーク家はこの地域を治める責任者でありながら、街道を放置し、災害やモンスターの襲撃を招いたことが明記されていたのだ。
旧ミヤコへの往来する定期馬車はすでに無くなっており、市民すら旧ミヤコ街道は危険との認識があった。
この事実により、誰もホーク家を盾に橘花を責めることはできなくなった。責めるどころか、王都の貴族たちは口をつぐみ、何も言えず、ただ書面を見つめるしかなかった。
街の平穏を守るために尽力した茶々たち、そして無碍にする貴族に対し粛清とも取れる橘花の行動は、王都の上層部の目に映りつつも、まだ公にはされない。報告として残されるのみだが、事実として残る。この静かな、しかし決定的な勝利――それは、貴族の面子を潰しただけでなく、王都内部の権力構造にも微妙な変化を与えるものとなった。
王都の貴族たちは、この出来事をどう処理するか、胸中で戦慄しながら沈黙を守るしかなかった。橘花という存在がもたらした力と秩序――それは、目に見えぬまま、しかし確実に街と人々の未来を揺るがしていたのである。




