第109話
橘花たちがギルドの宿で休んでいる間、アルミルの冒険者ギルドに出向いたソータは、興奮そのままに記録装置を抱え、ギルド長室に直行しガンジの前に立った。
「ガンジさん! 今回の旧ミヤコでの大事件、全部撮ってきました!」
ガンジは書類をめくるように視線を送り、冷静に答える。
「…お前、本当に全部撮ったのかソータ」
ソータは自信満々にうなずくと、早速公開しようと「資料室へ行きましょう!」と声をかける。
ガンジは嫌な予感がしつつも、他の職員や書記官を資料室へと呼んだ。
いるべき者たちが揃ったところで、ソータは装置をギルドの資料室の再生端末に接続した。
瞬く間に、旧ミヤコ住民らの異種族に対する排斥行動、摩天楼のだるま落とし攻城戦、飛行船を弓矢で破壊する橘花の姿、そして地上で唯一の私刑としてエルネストが刀を受けるシーンまでが再生される。
画面に映る異様な光景に、書記官は手に持った筆記用具を落とし、ガンジの眉がピクリと跳ねる。
上級冒険者たちは互いに目を見合わせ、次第に口元が震え始めた。
「こ、これは…!」
「…い、今まで見た映像の中で最も危険な内容だ…」
だが、ソータはその様子に全く気づかず、にこにこと映像を見守るだけ。
「いやー、これマジでお宝映像ですよ! 大槌で摩天楼をスコーンと落として、飛行船の魔導炉を弓で破壊して…貴族は殺さずに一瞬で手足の動きを削ぐ!」
その語り口調はまるで娯楽番組の感想を話す子供のようで、ギルドの職員たちは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
ガンジは端末の前で固まり、手を額にやりながら声を震わせる。
「お前、これを現場で撮影していたというのか……まさか本当に…」
「はい! でも、僕はただ安全な場所からホクホクしながら撮ってただけです。希少性とか重要性とか、そこはわかんないです!」
無邪気さに、その場の全員が言葉を失い、しばし絶句する。
書記官はやっとのことで口を開き、震える手でメモ帳に文字を書きつける。
「…こ、これは公式資料として保存する…しかない…」
別の冒険者は小さく呻く。
「いや、保存するだけで済むと思ってるのか…あの大槌で摩天楼を落としたこと、飛行船を弓で破壊したこと、貴族への一撃…想像を絶する内容だ…」
ソータはまるで理解していない。画面に映る橘花たちの戦闘を指さし、嬉しそうに言った。
「見てくださいよ、このアングル最高でしょ! だるま落とし攻城戦とか、カッコ良すぎじゃないですか?」
ガンジは深いため息をつき、書記官と上級冒険者たちは顔を引きつらせながら、映し出される映像を凝視する。
誰一人として笑うことはなく、ただ恐怖と戦慄だけが室内を支配していた。
「…よし、これは間違いなく資料としてギルドに保存だ。記録としての価値は非常に高い…」
ガンジが苦渋の表情で言うと、ソータは再び満面の笑みを浮かべた。
「やったー! これで僕もギルドの記録係として一人前ですね!」
その言葉に、上級冒険者たちは思わず背筋を凍らせた。
「記録係…。こいつ、今後も似たようなヤバイやつ撮って来るんじゃ……」
ギルドの広間に張り詰めた空気の中、ソータはお宝映像の興奮に浮かれたまま、周囲の震えなど気にも留めず楽しげに次の編集作業に没頭していった。
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橘花たちがアルミルに到着してから一週間後、冒険者ギルド本部から、厳しい命令がアルミル支部に下りてきた。
――「旧ミヤコでの騒動について、当事者である橘花の行動を説明を求めると同時に招聘する。言い訳があるなら提出しろ」
到着した翌日に、橘花から聞いた状況によると、安全なのは空路しかない状態で、街道は腕に覚えのある冒険者パーティーでないと危険と報告されていた。
この一週間でようやく王都にあるギルド本部に情報が伝わったかと思うと、判断が遅いのか、それとも陸路の道がそれほど危険な状態で往来不可の状態なのか。
どちらにせよ、本部から要請が来ているのだから応えるほか手立てはない。
ガンジは額を押さえて机に突っ伏していた。書記官たちも顔を見合わせ、頭を抱える。
「……説明ってなぁ。どうする? あのだるま落とし攻城戦を、文章で書くのか?」
「『槌を振り下ろし、下層を抜き落とし、上層を順に地上に下ろす戦法』……馬鹿にしてると思われません?」
「そもそも俺らだって映像見なきゃ信じなかっただろ!?」
ギルドの空気は完全に「詰み」だった。どう書いても信用されない未来しか見えない。
そこへギルドから呼び出されていた当の橘花が、何事もなかったように口を開いた。
「え、誰かに頼んで撮ってたの? んじゃ、映像そのまま添付すりゃいいじゃん。私がやったのは映像の通りだし」
「……」
「……」
その場にいた全員が絶句した。
言われてみれば、それが一番確実で、下手に言葉を重ねて説明するよりも説得力がある。だが、それをやった瞬間、本部の上級職員たちは間違いなく度肝を抜かれる。胃薬がいくらあっても足りない。
ガンジは大きなため息をつき、椅子に深く腰を沈めた。
「……仕方ねえ、やるしかねえか。下手に小細工しても『虚偽報告』って言われるだけだ。書記官、映像資料を添付しろ。文章は最低限でいい」
「かしこまりました……」
書記官は震える手で報告書の最後に付記する。
――「補足説明は困難につき、映像記録を添付いたします」
その瞬間、ギルド職員ら全員の顔は青ざめていた。
「……あの奇天烈戦法を本部に送りつける日が来るとはな……」
「俺の職員人生で、一番胃が痛い瞬間かもしれん」
だが橘花だけは、肩を竦めて笑っていた。
「大丈夫大丈夫。どうせ私が禁止戦法ぶっこいたの、今に始まったことじゃないし」
――かくして、だるま落とし攻城戦の映像は正式に本部へ提出され、冒険者ギルドの記録史上、類を見ない「奇策」として残されることになるのであった。
「さて、お前を呼んだわけだが……」
「王都の本部から説明を兼ねた招聘指示があったんだよね?」
ガンジは眉間を押さえながら、橘花の問いに頷く。
橘花が呼ばれたことで、室内には人間族の動向を知りたい茶々も付いてきていた。
「もし、橘花さんが罪に問われるようなことがあるなら……」
緊張しつつ、ガンジの前に進み出る茶々。
「どんな報告があげられたのか詳細は不明だが、名指しで橘花のことを招聘すると言ってきている。そこへ仲間だからと出ていくのは得策じゃねぇぞ、お嬢さん」
ガンジは不安を押し殺している茶々を見つめ返した。
「おそらく、伝わってるのは橘花のことのみ。ギルドの登録者を照会してここを引き当てたんだろう。種族も載ってるしな」
「登録抹消していいって言ったのに」
「馬鹿野郎。自分たちの身が可愛くて恩人を売るような奴はここにはいないぞ!」
言いながらガンジは橘花のギルドカードを返し、受け取ったカードを見た橘花の表情が固まる。
「ねぇ、ガンジさん。私の記憶違いかな。E級のはずが、A級になってるんだけど?」
「そりゃお前、あれだけの実績と貢献度でE級のままになってるわけないだろう」
「そんなに一気に階級上げたら怪しいじゃん!」
「そんなわけがない。最初の犯罪冒険者捕縛と後始末の村の復興助力でD級、街での疫病拡散を防いだ功績でB級、偽ミブロの鎮圧でA級。ほれ、段階を踏んでるだろう」
「嘘だぁぁぁ!」
「ギルドカードを俺に預けた時点で、昇級決まっていた分を上げただけだ」と悪びれもしないガンジ。
降格や減給などなら嫌がるのもわかるが、昇級してここまで嫌がられるのも不思議だ。
「私は平和に美味しいお酒とご飯が食べられればそれでいいんだぁぁぁ……」と駄々っ子のように昇級取り消しを懇願する橘花。しかし、「違反や犯罪を犯せば等級は下がるが、できるのかお前。殺人や強姦が一番の降格や抹消案件だが」そう言われて「できる訳ないじゃんかぁぁ」と項垂れる橘花。
ガンジと橘花のやりとりは、まるでコントの一幕だ。
「それで、そこのお嬢さん……お前の嫁さん紹介にここまで連れてきた訳じゃないんだろう」
「そのネタまだ引っ張ってるの!?」
もうお腹いっぱい案件だというのに、しおしおになりながら、橘花は茶々を紹介する。
実は、とその場で茶々が五年前の戦で総大将を務めていたと打ち明けると、一呼吸おいてガンジが思わず椅子を蹴るように立ち上がった。
そして、握手を求める手が伸びる。
「そうかお嬢さん、いや貴女が。……五年前、貴女が街を守れと命じてくれたおかげで、我々は未来を見据えて行動できた。ありがとう」
固く握手をして、深々と頭を下げるガンジ。
その姿に続くように、当時を知る古参冒険者たちも頭を垂れた。
茶々は驚きに目を瞬かせた。
敵意も拒絶もなく、ただ真っ直ぐな感謝だけを向けられるなんて――。
「どう返せばいいの……?」と困った視線を橘花に向けると、橘花はにこりと笑って言った。
「ありがとうって、返せばいいと思うよ」
頬をわずかに染めながら、茶々はぎこちなく言葉を返した。
「……こ、こちらこそ、ありがとうございます」
その瞬間、広間の空気は一層温かくなった。
ミヤコで味わった冷たさとは、まるで別世界のように。




