第11話
「は? 何言ってんだよ。俺らが何の違反したってんだ?」
不満タラタラの声が、古都の街角に響き渡った。
その声に、通りすがりのプレイヤーたちの視線が集まる。
声の主は竜人族の男性アバター。
周囲の誰よりも背が高く、二メートルを優に超える巨体。態度からして、中身もおそらく男性だろう。
彼の周囲には、森人族、人間族、土人族の男性アバターが肩を並べ、面白そうに事の成り行きを見守っている。
「そんなに凄むなよ。せっかくの可愛いトカゲ顔が台無しだ」
挑発を受けても、鬼人族の男性アバターは飄々と笑う。
竜人族は一瞬ぽかんとしたが、すぐに眉間に皺を寄せた。
背丈だけ見れば鬼人族も高い部類だが、竜人族の肩に角が届くかどうかの差。見上げる形になるせいで、どうしても小柄に見えてしまう。
一体、なぜこんな騒ぎになっているのか――理由は一目で分かる。
鬼人族の背後では、兎型の獣人族女性アバターが、庇われるように身を縮め震えていたのだ。
「もう一度聞くぞ。規約、ちゃんと読んだか? 同意ボタン押しただけじゃ意味ないんだが」
「うるせぇな。お前に何の関係がある。そこのアバターが俺の前でこけたんだよ。助けてやったんだから礼ぐらい――」
「助けるっていうのは、胸を鷲掴みにすることか? しかも彼女が転んだのは、お前が足をかけたせいだろ」
「見間違いだな、オッサン。頭ん中まで腐ってんじゃねーか。あァ?」
「おーおー、口だけは達者だな。規約の“卑猥な行為は禁止”って項目、見落としてるなら眼科行けよ」
「テメェが行けよ」
「正義の味方面してっと、痛い目見るぜ?」
「そーそー、いい加減消えてくんない?」
竜人族の取り巻き――人間族、土人族、森人族が口々に罵声を浴びせ、鬼人族を取り囲むようにじりじりと間合いを詰める。周囲のプレイヤーはその様子を冷ややかに眺めていた。
「おい、あいつら初心者か?」
「装備からして中級ぽいけど、モグリなんじゃね?」
「馬鹿だな。あの鬼人族が誰だか知らねぇんだぜ、きっと」
野次馬たちはひそひそ声で囁き合う。
四対一――どう見ても鬼人族が不利な状況のはずだが、不思議なことに誰ひとり助けに入ろうとはしなかった。
鬼人族のアバターは、騒ぎの渦中で噂されている通り――どう見てもオッサンの風貌だった。
錫色の肌に無精髭。年齢にすれば四十代へ片足を突っ込んだ頃合いの顔つきだが、その口元にはニヒルな笑みが浮かぶ。いぶし銀の渋みが似合う男。
焦げ茶の瞳と、明るめの茶髪を後ろへ撫でつけたオールバック。流行りの“イケメンアバター”とは程遠いが、その不遜な空気が妙に目を引く。
だが、そんな顔はいくらでも作れる。
頭上には一般プレイヤーと変わらぬように――《マノタカ》――と表示されているだけ。
それでも、周囲の誰ひとりとしてGMへの通報を考えない理由は単純明快だった。
竜人族の男が凄みを効かせて立ち塞がる、その向こう――
濡羽色の着流しに、真白の羽織。袖口には黒で抜かれたダンダラ模様。
古都のプレイヤーなら誰もが知る。
それを纏う者が、何者であるかを。
場が息を呑む中、人間族の剣士がついに挑発から一線を越え、刃を振りかぶった。
――ガキン!
甲高い衝撃音。
マノタカは刀の鍔で一撃を受け止め、そのまま弾き返す。
「はぁ……言葉も通じねぇ獣かよ。……よし、若造共。そこまで粋がって後悔すんなよッ!」
後方の獣人アバターに下がるよう手で示し、腰を沈める。
刀はまだ鞘の中――居合の構え。
次の瞬間、マノタカの姿が掻き消えた。
一閃。
目の前の人間族が血飛沫もなく光へと変わり、続く二太刀目で竜人族が胴から割れ、無音のまま崩れ落ちる。
「なっ……!? 街じゃ、PKは、できな……はず……」
消えかけの竜人族が搾り出す声に、マノタカは律儀に答えた。
口調は先ほどより荒い。
「各国エリアに常駐してる自警団、知ってるよな? 規約読んでりゃわかるはずだぜ」
そして、言葉に合わせて刀を軽く振り払う。
「自警団は業務中のみ街中で武器使用可。だが、これはPKじゃねぇ――お前らはGM監視の“お仕置き部屋”へ強制送還だ」
残った森人族と土人族が顔を引きつらせる。
コンソールを操作し、ログアウトを試みるが――画面には《ログアウト不可》の文字が踊る。
「無駄だ。規約違反はチーム丸ごと対象だ。俺らに大人しく連行されるか、強制転送か……解除はGM次第だぜ」
「ちくしょうッ!」
森人族が怒声を上げ、詠唱を開始する。
マノタカは肩を竦め、深いため息。
――聖炎!
白光を帯びた炎が、唸りを上げて迫る。
「鬼人族は魔法耐性がないってことぐらい……知ってるんだよぉぉッ!」
森人族が勝ち誇ったように叫ぶが、マノタカの表情は変わらない。
むしろ呆れすら浮かんでいた。
「……アバター作る時に、種族特性を確認しなかったか? 鬼人族は魔法耐性ゼロだが――PAOの種族中、純戦闘力はぶっちぎりだッ!」
炎が届く刹那、マノタカの影が消え、次の瞬間には森人族の懐にいた。
上位魔法を真正面から避けた事実に、森人族が声を震わせる。
「……嘘、だ……」
言葉が終わるより早く、森人族の体が光となって弾けた。
標的を失った聖炎は虚空で炸裂し、爆ぜた火花が霧散する。
勝敗は最初から決していた。
街中ではPKは成立せず、どれほど強力な魔法も無効化される――除外は、PvPの時のみ。
対してマノタカは取り締まる側、自警団。武器の使用権限を持つ唯一の存在だ。
逃げ道など、初めからなかった。




