第101話
一方ーー“おもてなし”と言われ、連れて行かれた四人は内部を見て驚く。
外から見た時は廃墟同然だった寺の内部は、意外にも整えられていた。
新しい畳の匂い、障子も壁も清潔で、ほのかに香の匂いすら漂っている。外の荒れた佇まいからは想像もつかない空間だった。
橘花と茶々が奥で話をしている間、四人は客間に通される。
囲炉裏があり、火種を入れると厳かな雰囲気の部屋に柔らかな光が灯った。
座るよう促され、四人は言われるままに腰を下ろす。
しばらくしてお湯が沸くと、お茶が淹れられた。
思えばもう真夜中に近い。
そんな時間ということもあってか、振る舞われたのは焙じ茶だった。
狼獣人であるリュートの手で丁寧に淹れられたお茶を配っていくのは、先ほどまで外で刀を振るい、彼らを容赦なく縛り上げた猫獣人のイサミ。
その険しい横顔を横目に見ながら、エレンが口を開いた。
「……あのさ」
エレンは、おもむろに懐へ手を入れた。素早くイサミの目が、エレンの手元に向く。
「これ、初級ポーション。肩の傷、まだ治ってないから……その、大丈夫か?」
取り出されたのは初級ポーションの瓶だった。イサミの肩には先ほどの矢傷が残っている。血は止まっていたが、痛みは残っているだろう。
エレン自身も指先に血が滲んだままだったが、それを気にする様子もなく、差し出した。
一瞬、鋭い瞳で睨まれる。
だがイサミは小さく鼻を鳴らし、そっけなく瓶を受け取った。
「……もらっておいてあげるわ」
ツンとした声音に、ほんの僅か揺れるものがあった。
そこへ、真面目な声音が割り込む。
「お二人の話が終わるまでは、この部屋にいてください」
リュートが、きっちりとした口調で言った。
「ご主人様がお世話になったとのことなので、できる限りのおもてなしはさせてもらいます」
律儀な態度に、四人は互いに顔を見合わせる。敵意ではなく礼節。
平和な日本で暮らしていた四人にとって、丁寧な対応をされると、どうしても警戒や懐疑心など続かない。
そして橘花とのほのぼのとしたやりとりまで見せられたら、疑ってる方が疲れて馬鹿らしくなってしまう。
ロイヤードがふと問いを投げる。
「ちょっと聞きたい。あの茶々って人、ミブロの隊長なのか?」
リュートは頷いた。
「嫋やかな雰囲気からそうは見えないでしょうけれど、歴とした猛者のお一人です」
「なによ。女だからそう見えないって言いたいわけ?」
イサミがすかさず口を尖らせる。
ロイヤードは、慌てて手を振った。
「そう突っかかってくるなよ。ただ……俺が知ってるミブロの人数って、十人だったと思って」
「あ、ぼくもそれは思ってました! ファンとして知りたいです!」
ソータが勢いよく頷き、目を輝かせて続けた。
その無邪気な声音に、イサミとリュートも肩の力を抜かざるを得ない。
リュートは少し考えたあと、きちんと答えた。
「茶々さんは治安維持活動への参加が少なかった方なんです。だからご主人様や局長、副長と違って、目立ってはいなかったのでしょう」
「でもね」
イサミが続ける。
「ミブロ隊長は十一人いるのよ。他のみんなはどこにいるのか、わからないけど……」
最後の声は尻すぼみになり、三毛猫の耳がかすかに伏せられた。
憎しみを纏っていたその瞳の奥に、言葉にならない寂しさの影が差していた。
「ほ、ほかの人たちだってきっと無事だよ。なぁ?」
ロイヤードが気を利かせて声を掛ける。何せ、転移する前の場所でミブロは健在だったのだ。
だが、うまく言葉が出ず、隣の弟のソータに視線を投げてしまう。
「そうだね。強い人たちなんだから、早々やられたりしないって!」
ソータは迷わず言い切り、その言葉を兄の代わりに繋いだ。
一瞬、場の空気が和らいだ気がした。
だが――。
「……生きていてくれるだけでいい」
ポツリと落ちたイサミの声は、重く、寂しさを纏っていた。
その響きは、囲炉裏の灯りが一瞬小さくなるように、場を静かに揺るがす。
「会いに来れなくても、生きててくれればそれでいい」
そう言って、イサミは初級ポーションの瓶を両手でぎゅっと握りしめた。
その仕草は、まるで祈りのように見えた。
強がって口をキュッと引き締める彼女の横顔に、言葉では隠し切れない孤独がにじむ。
ロイヤードもソータも、何も言えなくなった。
彼女がどれほど“待ち続けている”のか、その一端が透けて見えてしまったから。
「イサミの主人は、前局長のマノタカさんなんです」
沈黙を断ち切るように、リュートが静かに言った。
「……あんなに強い人が来れない理由なんて、よっぽどなことが起きたんだと思っています」
リュートはイサミから視線を逸らし、四人を真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、仲間を信じようとする強い意志と、それでも募る不安が同居していた。
⸻
橘花と茶々の話が長引いていたのもあって、待っている間にすっかり気が抜けたのか、四人は船を漕いでいた。
全員分の布団は用意できないことをリュートが告げると、意識のあったウェンツが寝落ちしかけている三人の代わりに「この部屋で雑魚寝させてもらえればいい」と言ったので、安全のために囲炉裏の火を消してからリュートとイサミは四人のいる部屋から下がった。
リュートが使用した茶器を洗い、綺麗に片付けて縁側へ来ると、エレンから受け取ったポーションの瓶をイサミは座った膝の上で弄んでいた。
青色の液体がわずかに揺れるたび、月明かりに照らされて光が跳ねる。
(人間族から……もらうなんて)
心の奥がざわつく。拒絶したいのに、肩に走る痛みは確かにそこにあった。
それでも「いらない」とは言えなかったのは、矢傷が思った以上に深く、そして何より――。
(……優しそうな顔、してたわね)
エレンの瞳は真剣だった。見返した時、敵意も侮蔑もなかった。ただ心配しているように見えた。
自分だって、矢を射すぎて指に血が滲んでいたくせに。
それが腹立たしくて、余計に心が掻き乱される。
イサミは小さく息を吐き、表情を険しく固め直した。
「ねぇ、あいつら……変じゃない?」
イサミの不意に零れた問いに、橘花と茶々を待つ間の手持ち無沙汰で、隣で刀の手入れを始めていたリュートが目を向ける。
「何が?」
「人間族がさ。わたしたちに何をしてきたか、知ってる? 獣人だからって、町から追い出して、仕事も奪って、子どもまで親を真似て石を投げて……」
声がかすかに震える。
けれど、手の中のそれを睨むように言葉を続けた。
「そんな奴らが、今さら『大丈夫か』なんて……冗談じゃないわ」
イサミは唇を噛む。
役に立ちたくて戦場に同行したのに小姓として後方に居させられ、見知った仲間たちを失った日。
ミヤコに帰ってからの日々は、守るために戦った者に向けられるているとは思えないほど、無慈悲で感情を削られていった。
そして、炎に包まれたみんなの家を前に、泣き叫びたい声を押し殺し、我が物顔で思い出を奪っていく人間族を睨むことしかできなかったあの日。
(忘れるもんか……絶対に)
胸の奥にこびりついた痛みが、消えることはない。
だからこそ、強がり続けるしかなかった。
それでも――膝の上で揺れるポーションを見つめていると、どうしても思ってしまう。
(……少しくらい、飲んでもいいかな)
弱さを隠すように、イサミはそっと目を逸らした。




