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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
醜悪の巣窟編
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第100話

少しだけ落ち着くと、茶々は橘花から体を離して着流しの袖で涙を拭った。


「戦場から命を拾われてね……このミヤコで療養していた頃のことよ」


茶々は、涙の余韻を押し隠しながら語り始める。


「ある日、人間族の使者が来たの。この地は人間族の統治下になる、だから異種族は追い出す、と」


まだ傷も癒えず、立つのも満足にできない身で、茶々は抗った。

戦いで散っていった仲間たちの最期を無駄にしないために、ここに残る異種族を守りたいと。


「私は言ったの。どうか、この地にも異種族を受け入れてほしい、と」


しかし、人間族の使者は薄い笑みを浮かべて答えた。


『あなたの言うこともわかりますよ。しかし……ご理解いただきたい。人間族は他種族に比べて力が弱い。力ある者たちを迎え入れるには、我らに“信用”を与える何かが必要なのです』


声色は穏やかだった。だが、その言葉にはじわじわと茶々の心を締めつける棘が潜んでいた。


(まつり)を円滑に進めるために、こちらが安心できる“証”を出していただけませんか?』


「証?」と問い返す茶々に、使者は芝居がかった手振りで答えた。


『例えば……そう、総力戦の旗印ともなった“ミブロ”の羽織など、実にわかりやすい』


その瞬間、茶々の胸に冷たいものが走った。

羽織は仲間たちの誇りであり、戦いの象徴。自分が総大将として命を賭けて率いた証。

けれど、使者の言葉は続く。


『ご決断いただけなければ、我らとしては異種族の存在を認められません。人間族の不安を解かぬままでは、この地の平和は揺らぎます。……まさか、あなたもそれを望んではいないでしょう?』


言外に告げられていた。

渡さなければ、この地に居場所はない、と。


「私は……渡したの」

茶々は唇を震わせ、悔しげに目を伏せた。


「これで異種族がこの地で平和に暮らせるのならって。そう信じたかった。けれどあの時の使者の目……あれは、勝ち誇った獣の目だった」


淡々とした声の奥に、押し殺した痛みがにじむ。橘花にはわかった。

茶々は“託した”のではなく、“奪われた”のだと。


「羽織を渡してからの私は……抜け殻みたいなものだったわ」


茶々は吐き出すように言い、視線を床に落とした。


「戦場で命を散らした仲間の声は耳に焼きついているのに、その証を奪われた。……それでも、目の前に生き残った子たちがいた。リュートやイサミ、他にもまだ幼い異種族の子らがね」


旧ミヤコと名を変えた街は、かつての戦乱を経て人間族の統治下に置かれた。

だが“居場所を得た”はずの異種族たちは、決して歓迎されたわけではなかった。

最初、表向きは共存を謳いながらも、彼らは日常の隅で蔑まれ、職を選ぶこともできず、ただ「存在を許されている」だけに過ぎなかった。


「私はいつも、“頭を下げる役”をしていた。人間族の偉ぶった奴らに……時に蹴られても、殴られても。子どもたちが食べられるように、眠れる場所があるように。それだけを考えて」


茶々は小さく笑った。

だがその笑みは、まるで自分を慰めるための面頬のように薄く、脆かった。


「私が頭を下げれば、あの子たちが笑える。……そう思えば、平気だと思えたの」


そうして過ごした五年間は、戦場とは違う意味での地獄だった。

剣を振るって抗うことはできない。叫ぶこともできない。ただ耐えて、折れそうになる心を必死に抱え込み、異種族の子どもたちのために「生き残る」ことだけに全てを費やした。


「気がつけば、私は“鬼人族の女頭”みたいに呼ばれるようになっていたわ。……偉そうに聞こえるけど、実際は人間族の矢面に立って、異種族の嘆きや怒りを全部飲み込む役目」


茶々の声が震えた。

けれど彼女は感情の嗚咽に飲まれまいと、ぎゅっと拳を握りしめる。


「本当は、ただ……仲間と、普通に暮らしたかっただけなのに。羽織を渡した後のミヤコは、もう……荒れ果てていたの」


茶々はゆっくりと話を続けた。


「生活の衣食住、全てが失われたの。店は目の前で閉められ、食料も水も満足に手に入らない。異種族は力が弱いと見なされ、街の外に出歩くことも許されなかった。私自身も、外に出れば暴力に晒される」


その結果、異種族たちは各地へ散り散りになった。かろうじて生き残った子どもたちは、同じ種族の大人に預けるしかなかった。茶々も泣く泣く、頼れる仲間の手に託す。


「毎日が生き延びるための戦いだったわ。今日、何を食べられるかもわからない。屋敷で寒さと空腹を耐えながら夜を明かす……」


茶々の瞳に、一瞬だけ深い悲しみが垣間見えた。


「私は総大将としての役目を果たすしかなかった。誰もいない旧ミヤコ(ここ)で、一人で全ての判断を下し、失敗すれば命を落とす。……でも、だからこそ私は、彼らに笑顔を取り戻すためだけに生き続けた」


茶々の声には、痛みと孤独を抱えながらも守ろうとする決意がにじんでいた。


だがある日、追い打ちが来た。


「ミブロの拠点が襲撃されたの。叛逆する異種族がいる――そういう名目で。逆らえばどうなるかを見せしめるために、全てを奪われたわ」


他の異種族は街を去り、残っていたのは茶々たちだけだった。負傷を抱えながらも、リュートとイサミを連れて命からがら逃げ込んだのが、この廃寺――茶々自身の個人拠点だった。


「ここは私の所有拠点。だから役人も手出しはできないのよ」


個人拠点は持ち主の許可なく侵入も破壊もできない。それが彼女たちを辛うじて守った。

対するミブロの拠点は共同所有。代表者が不在になれば消滅し、侵入を許してしまう。マノタカやしらすご飯がこの世界に来ていないことが、皮肉にも崩壊の原因となったのだろう。


そして、四人の情報収集の報告時に、ロイヤードがここのことを得意げに口にしようとしていた言葉がなんとなくわかった。鬼人族の情報は何より橘花が欲する情報だったからだ。

そして、ソータが止めた理由も。きっと期待させすぎないように。


「……それが、私の過ごした五年。戦場とは違う地獄だったわ」


重い沈黙が落ちた。

茶々の語る五年は、ただの過去ではない。

今もなお、ここに生きる者たちの心を縛り続けているのだった。


橘花は、しばし言葉を失う。

拳は知らぬ間に固く握られ、爪が掌に食い込んでいる。胸の奥底から、冷たい炎がじわじわと燃え広がっていった。


茶々の声が止むと空気は一層重苦しく沈んだが、その沈黙を破ったのは、低く押し殺した橘花の声だった。


「……羽織を、奪われたんだね」


普段は優しい色を湛える緑の瞳が細められる。そこには理性がまだ残ってはいたが、氷より冷たい刃の光が宿っていた。


「ここの人間族は、仲間の血と誇りを踏みにじって……そのうえ、あの子らを嘲りものにしたのか」


静かな声。だが、そこに込められた憤怒は、肌で感じられるほどだった。


「私は……赦さない」


その一言は、爆発しそうな感情を押し殺した橘花が最初に口にできた思い。

茶々は目を見開き、橘花を見た。

その表情には恐れではなく、ただ静かな驚きと――安堵があった。


「ここの貴族もそれに加担する者も、全部潰す。戦闘種族って言われる鬼人族ひとりを怒らせたらどうなるか、骨に染みるまで分からせるから」


その決意は、冷ややかな静けさをまといながら、灼熱よりも熱く燃えていた。

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