第10話
5年前の事件
地球が静止した日ーーーー。
世界規模の大事件にもかかわらず、ダイブギアが強制廃棄されなかった理由は明確だった。まず、死者や意識不明者が一人も出なかったこと。そして、何より人間が持つ古くからの通信手段が迅速に機能し、ネットワークが真っ先に復旧したからだ。
しかし、連絡先が判明していれば知人と繋がることもできたが、多くの人は電話番号や個人情報を直接手元に持たず、ネット上に作られた“スペース”――オンライン上の保存領域に預けていた。
だが、そのネット上のデータは、あの大停電と通信障害の混乱の中でほぼ全て消失してしまった。
企業側は「災害によるデータ消失の責任は負わない」と利用規約に明記しており、どの運営会社もこの責任から逃れ、利用者たちはただ泣き寝入りするしかなかったのだ。
そんな絶望的な状況の中で、ひとつの希望となったのが『PAO』だった。
というのも、あの事件が発生するちょうど30分前――運営会社は、新作ゲームの開発準備のために、PAO内のすべての個人データや海外サーバーの利用状況まで含めた全データを丸ごと、ネットワークから遮断された特別な部屋で厳重にバックアップしていたのだ。
この“奇跡の30分前の備え”が、後に全てを救うことになる。
事件直前の30分間に登録した新規ユーザーのデータは救えなかったが、それ以前に登録を済ませていた者のデータはすべて無事にバックアップされていた。
ここからは驚異的な展開だった。
消失したはずの個人データが完全に残っていたことで、ゲーム内で仲間と連絡を取り合い始める小さな動きが現実世界に波及し、「PAOなら個人データも残っている」という噂が広まった。
これにより、登録者数は一気に増加し、PAOは各地域のコミュニティ掲示板のような存在に変貌したのだ。
もちろん、個人情報を公開することには大きな勇気が必要だった。
「本名を晒しても大丈夫か?」「逆に個人情報を悪用されないか?」といった不安は尽きなかった。
そこでPAOは一時的に政府の管理下に入り、データバンクとしての役割を担うと同時に、電話やメールなどの通信手段としても利用されるようになった。
この措置はあくまで非常時のものであり、事態が収束して通常運営に戻る際には、政府と運営会社の間で個人情報や通信データを責任を持って破棄する契約が交わされた。
また、ゲームとは別に、電話番号登録を行い政府から配布されたIDを使うことで、通信のみを利用可能なシステムも整備された。
このIDは一定期間が過ぎると自動的に削除される仕組みだ。
ただし、利用規制は厳しく、一人一アカウントで利用を停止すると、一ヶ月は再登録ができないルールがあった。
固定電話しか持たない、または携帯電話1台だけの人にとっては、誤って利用停止してしまうと泣くに泣けない措置だったが、犯罪防止のためのやむを得ない対応だった。
こうした政府の監視下であっても、次々に利用者は増加し続けた。
さらにPAOの海外サーバーが稼働を始めると、海外に親戚や知人がいる人たちが登録し、その利用者数は爆発的に増えた。
結果、PAOは世界で最も多くの登録者数を誇るオンラインゲームとなったのである。
そして一年が過ぎ、事態が収束すると利用者は徐々に減り、現在は五年後の今、通常のオンラインゲームとして平穏に運営されている。
「事件発生の30分前に取られた“奇跡のバックアップ”――この小さな時間差が、世界を救ったのだ」
ただのゲームであったパンドラ・アーク・オンラインが、初めて歴史にその名前を登場させた瞬間だった。




