ご一緒に?
廃ビルの屋上。錆だらけの柵から身を乗り出して、下を見る。
雨の中、傘もささずに歩き回ったせいで、身体はすっかり冷え切っている。
誰にも見られていない。後はこの柵を乗り越えて、そして一歩踏み出せば、終われる。
我慢していれば、きっといいことがある。そう思って、必死で生きてきたけれど。だけどもう、限界だから。
喧嘩ばかりの両親。いじめて見下して、遠くから嘲笑うクラスメイト。表面だけを見て、何の力にもなってくれない先生たち。
柵を握る。
「もし、そこのお嬢さん」
――え?
さっきまで、誰もいなかったはずなのに。
振り返る。相手は、目の前にいた。
真っ黒の髪で、顔の左半分が覆われた男。着物を着て、赤い目で、私を見下ろしている。
「死ぬつもりですか?」
「何? 説教でもするつもり?」
てっきり、そうだと思ったのに。男は「いやいや」と首を振った。
「もしお嬢さんが死ぬつもりなら、少し、付き合ってもらおうかと思いまして。何せ今日は、特別な日だというのに、私には相手がいないのですから」
「付き合う?」
「ええ。どうですお嬢さん、ご一緒に? 一度行けば戻れない、異形の祭。人ならざる者どもの宴に、参加しませんか?」
すっ、と手を差し出される。私は少し考えて、その手を、取った。
祭囃子の鳴る中を、男と並んで歩く。周りでも、多くのモノがうごめいている。影のようなもの、ぶよぶよした手足の付いた子供、犬なのか猫なのか、分からないようなモノ。
露店も様々だけど、私の知っているものは一つもない。
「何か食べますか、お嬢さん?」
男が示すのは、食べ物らしいものを売る店。
「さあ、どうぞ」
差し出されたのは、紙コップ。その中に、とろりとした液体が入っている。何か丸いものが、中でゆらゆら揺れている。
口に含むと、液体はハッカにも似た味がした。丸いものを噛み潰す。きゅ、と鳴って、口いっぱいに甘味が広がる。
「おんや、女連れかえ? 人間たあ珍しい」
店主らしい女が声をかけてきた。
「彼女はもう、『こちら側』ですよ」
その言葉と、肩に置かれた手で、もう戻れないのだと悟る。けれど構わない。
どこかで太鼓の音が鳴る。
「ああ、御神楽だ。見に行きましょう、お嬢さん」
手を引かれて、着いた先は白木の舞台。鬼面を付けた人影が、舞台の上で舞っている。響くのは、鈴の音と、舞に合わせて吹かれる、笛の音だけ。
舞に合わせて高まる笛の音。舞人の銀の髪がきらめく。
徐々に、笛の音は小さくなっていく。そして音が消えたとき、舞台の上には誰もいなかった。
「どこに行ったの?」
「彼らのいるべき場所へ」
穏やかに、男は答える。
「御神楽が終われば、我らの祭もお終いです」
その声に辺りを見回すと、全てが薄れて消え始めていた。
「何なの、これ」
「皆、帰るのです。己のいるべき場所へ。人ならざる我らは、現世にいることは許されませんから」
そういう男の姿も薄れ始めている。私は夢中で男に縋り付いた。
「なら、あなたの帰る場所に私も連れて行って。もう私は戻れないのでしょう?」
男が笑う。本当に嬉しそうに。まるで子供のように。
「ええ、一緒に行きましょう、お嬢さん」
ふわりと抱き上げられる。首に腕を回して、男を見上げる。
赤い瞳の中に、もう人でなくなった私が映っていた。
Twitterで日向葵さんからリクエストをいただいて書いた作品です。
何となく、ずれてしまったような気がしないでもないです。