木枯らしのサマーオフィス
宇宙探偵シリーズ・第一弾 【おっさん探偵と美人秘書のパターン】その8
木枯らしが吹き抜ける某市の私鉄駅の西口から、真っ直ぐに細い路地へと突き進む。三つ目の雑居ビルの階段を五階まで駆け上がる。息が上がらないように歩いて、しかし、その速さは歩くよりもはるかに速かった。そのせいで吐く息が白くなる。
薄暗くて寒い廊下の一番奥にある、すりガラスがはめ込まれた古臭い木製の扉には、太い明朝体で『全宇宙調査協会・地球駐在事務所・日本窓口』と三行で印刷された、表札代わりのA4上質紙がセロハンテープで留められた。
ここまでは一昨日と同じだが、一か所だけ違うところがあった。それは、右上のセロハンテープが取れてA4上質紙の右上側が垂れ下がり、文字が隠れしまっていて、一見すると『調査協会・駐在事務所・日本窓口』としか読めなくなっていることだった。
「こりゃあ、誰かが勘違いするぞ」
私は心の中でそうつぶやいた。
「もっとも、こんな場所に探偵事務所があるとは思わないだろうけどな」
そんなことを私がつぶやいたと同時に、すりガラスがガタガタと音を立てながら木製の扉が開いた。あまりのタイミングの良さに、私はビビって後退りをしてしまった。
「大牟田さ~ん、中へどうぞ。お待ちしてましたわ」
小林が大きく扉を開けて乗り出し、右手で私を案内していた。
「は、はい。ど、どうも」
私は、この「先に回られている感じ」が性に合わない。どうも、罠にハメられている感覚に襲われるのだ。だから、どうしても腰を引いた態度になってしまう。
「さぁ、遠慮なさらずに。うふふ」
小林の笑顔につられて顔を引きつらせながら、私は事務所の入り口をくぐった。
「暑っ!」
部屋の中に入った私は、開口一番でそう叫んでしまった。そして、思わずコートとジャケットを脱いでしまった。
一昨日の落ち着いたミディアムブラウンでアーリーアメリカンスタイルのデコラティブな様式とは一変して、眩しくて熱い陽光がこれでもかと差し込む南国リゾートの雰囲気になっていた。いや、雰囲気だけではない。この部屋にある、空気感も物体感も存在感も何もかもがそっくり南国と入れ替わったようだった。
床は白と黒の大理石がチェック模様で敷かれてひんやりとし、壁は真っ白な漆喰で暑さをしのぎ、ラタンのソファには麻のクッションが置かれ、細かい彫刻が施されていて重厚でオイリーなチーク無垢材で造られた中村の執務机、そして、バーズアイのラウンドコンソールにグリーンの大理石天板を置いたデスクで小林はタイプをしていた。
「なんですか、この部屋は!」
私は思わず声を上げてしまった。
執務机の向こうから、ピンク系の素地に青のドッドがカラフルなアロハシャツを着て、コーラルグリーンの短パンを穿き、ネイビーのコンフォートサンダルを履いて、私の前に歩いてきた。
「銀河系標準時刻では、今日から『サマータイム』でしてね。季節感がない職場で働いていると罰せられるんですよ。いやぁ、お役人はどの世界でも厳しいですなぁ、はははは」
中村は、私をチラリと見て豪快に笑った。
「まずはお座りください。今日はじっくりと見積書のご説明をしますので、かなりのお時間をいただきますよ、大牟田さん。それでは始めましょうか。直美君、例のモノを」
私にラタンのソファに座るように勧めてから、秘書である小林を手招きした。
「はい」
資料を持って自席を立った小林は、アイボリーのロングワンピースを着ていて、トップは編み込みのレースでインナーが透けていた。インナーには谷間を伴ったコバルトブルーの三角ビキニがバッチリと見えていた。スカートはシフォンになっていて、歩く動きに合わせてふわふわと揺れて、とても魅力的だった。
「では、ご説明させていただきます」
小林はラタンのセンターテーブルにはめ込まれたガラスに触れた。するとテーブルのガラスは瞬時に不透明になり、白い地に黒い文字で書かれた一つの画面を映し出した。それは一昨日、ここで貰った見積書だった。見積書という見出しと私の宛名、見積金額、そして全宇宙調査協会の宛名と住所が書かれているだけだった。
「これが、大牟田さんにお渡しした『お見積書』です」
小林の言葉にうなづく私。
「そうだ。金額にビックリだった」
小林がニコリと笑う。
「えぇ、あくまで〔暫定〕なので、最安の見積金額をご提示させていただきました」
小林の言葉に、私は更にビックリした。
「えぇ? これで一番安いんですか!」
「はい、そうです」
相変わらずニコリと笑ったまま応える小林。
そこに、中村が説明に加わった。
「実はですね、大牟田さん。あなたが担当していらっしゃる五つの事件は、調査費用及び事務手数料に非常識なほどの差がありまして」
中村は苦笑いをした。
「え? 事件によって値段の差があるんですか!」
私の額から汗が流れ落ちた。
「えぇ、実はそうなんですよ」
お茶目な顔をする中村。
「そ、それは、ど、どういうこと、なんですか?」
私の顔全体から汗が流れ落ちていた。
そして、気を失う寸前だった。
それもそのはずだ。
涼しそうなアロハシャツを着た中村とビキニの上にレースのロングワンピースを着た小林に対して、私はコートとジャケットを脱いだとはいえ、長袖のワイシャツにネクタイをピッチリと締め、更に長袖のTシャツもシッカリと着込んでいて、既に全身から汗が噴出していたのだ。
「大牟田さん、大丈夫ですか?」
その様子を見て小林が慌てて、冷えたレモンスカッシュを持ってきた。
私はレスカを一気に飲み干した。
「レスカのお替りを持って来ましょうか?」
小林の言葉に、私はうなづくのが精一杯だった。
「大牟田さん、無理しないでネクタイを外してシャツを脱いでくださいよ」
中村は私に気遣って進言してくれた。
「今日のウェザーは、直美君の故郷である恒星『サマー・テンプテーション(夏の誘惑)』の第二惑星の仕様ですから。地球の単位で換言すると、平均気温が摂氏六十八度くらいになるでしょうかねぇ」
中村はこともなく、この事態を説明してくれた。
その説明で、私の額から余計に汗が出て来た気がする。
「大牟田さん、これからは少々込み入った説明をしますので、頭を冷やして冷静な判断が出来るように、体勢を整えてください」
中村は、私をキッと睨んだ。
「はい……」
私はネクタイを緩め、シャツのボタンを外しながら、レスカを飲み干した。
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※五つの未解決事件は、この物語のために創作したものです。実際の事件、団体等とは一切関係ありません。