税別一千四百万円
宇宙探偵シリーズ・第一弾 【おっさん探偵と美人秘書のパターン】その7
「モーニングコーヒーはいかがですか、大牟田警部」
捜査一課のアイドルと呼ばれている事務方の高橋弘子巡査が、珍しく私の『強行犯係・継続犯担当』のパーティションにやってきて、朝のコーヒーをサーヴしてくれた。
「ありがとう」
私は弘子巡査が淹れてくれたコーヒーをすすりながら、プリントアウトされたA4の上質紙を眺めていた。
その紙切れを興味津々で弘子巡査も覗き込んできた。
「何ですか、それ? 一千四百万円とか書かれてますけど。ひょっとして住宅ローンの借り換えをされるんですか? たくさんのローンが残ってますねぇ。あ、そっか。大牟田警部のところは大所帯でしたね。納得、納得」
お喋りな弘子巡査から慌ててA4の上質紙を隠して、私は怒鳴った。
「うるさい! 何でもない!」
弘子巡査は悪びれた様子もなく、舌をペロッと出してこう言っただけだった。
「は~ぃ、すみませんでしたぁ~」
そして、弘子巡査はスタスタと事務方のデスクの方へと走り去った。
私は見渡してパーティションの周りに誰も居ないことを確認してからゆっくりと椅子に座り直し、再度プリントアウトされたA4の上質紙をしげしげと眺めた。
見出しには『お見積書』と大きく書かれていた。
その下の宛名には『警視庁刑事部捜査一課強行犯係継続犯担当係長・大牟田警部殿』とご丁寧に役職と階級までフルスペックで記入されていた。
そして、その下には先程、弘子巡査が叫んだ金額が一際大きな明朝体フォントでたった一行、印刷されていた。
『〔暫定見積金額〕一千四百万円〔税別〕〔五件一式としての調査費用〕』
それだけが記載されていた。
その下には『全宇宙調査協会・おとめ座超銀河団方面・局部銀河群支店・銀河営業所・オリオン腕出張所・太陽系地球駐在所・日本窓口』と、こちらもフルスペックで書かれており、代表者は『探偵調査官・中村 誠』で、住所は例の雑居ビルになっていた。
ご丁寧に角印まで押してある念の入れようだ。
「はぁ」
私は溜息をついた。
「しかし、この金額は何なんだ!」
私はクラクラと、めまいがしてきた。
昨日、全宇宙調査協会に行った折に、美人の小林直美秘書が一方的に作成し、恰幅のいい探偵の中村が私に強制的に手渡した見積書だ。
中村は、見積書を私に見せずに三つ折にして封筒に入れてしっかりと封印してから、私に差し出した。
「大牟田さん、ゆっくりと警視庁捜査一課の『強行犯係・継続犯担当』でご検討なさってください。ご相談はいつでも無料で承りますから」
私は差し出された封筒を奪い取るようにして受け取り、ジャケットの内ポケットに納めて、全宇宙調査協会・日本窓口の事務所を後にしたのだった。
見積書をクシャクシャになりそうなほど強く握り締めて、私は呟いた。
「世の中、何でも銭かよ……」
「え? 退職金の前借りですって!」
庶務係が大きな声を張り上げた。
「声がデカイって!」
私も焦って怒鳴ってしまった。
「あぁ、すみません」
庶務係は急にヒソヒソ声になった。
私は庶務係に出向いて、何とか銭の工面が出来ないものかと「相談」したのだった。
「今時、前借りなんて出来ませんよ、大牟田警部殿」
私は庶務係に手を合わせる。
「そこをなんとか」
呆れ顔の庶務係だった。
「それじゃあ、ローンを組んでくださいよ」
私が苦い顔をすると、庶務係は悟ったようだった。
「……と言いたいところですけど、確か大牟田警部殿は既にローンの限度枠いっぱいだったはずですよねぇ」
「だから、前借りが出来ないかって……」
私の言葉に、呆れ顔の庶務係だった。
「いつの時代の話ですよ、前借りなんて。出世払いも通じませんからね。だいたい、大牟田警部は……ゲホゲホ」
私は庶務係の言葉にムカッと来たが、そこは気持ちをグッと押さえて下手に出る。
「ホントは経費で落せる項目なのだが」
私は見積書を庶務係に見せた。すると、庶務係は烈火のごとく怒りの表情に変わった。
「何を馬鹿なことを言っているんですかっ! 何です、この見積は! それに、この金額は! だいたい、こんなこと自体、警察がやっていいことではありませんよ! 大牟田警部も焼きが回りましたねぇ」
庶務係は、見積書を私に投げ捨てて、とっとと自席に戻って行った。
散々に罵倒された私は、見積書を拾上げて庶務係の部屋を出た。
新たな借金をしたい訳じゃない。
そんなに奔走することでもない。
しかし、目の前に美味しそうな人参がぶら下がっているのだ。
それを食べれば、道が開けるかもしれない。
いや、きっと道が開けるはずだ。
そのためには銭が必要だ。
只それだけのことだ。
そう思うと何とかしたくなるのが人情じゃないのか。
でも、それが簡単に出来る訳じゃない。
そこが問題だろうとは思っている。
私個人の資質でもある。
だから、ツラい。
だけど、何とかしたい。
ちくせう。
昨夜、たまたま女房からこう言われたのだ。
「あなた、頑張って稼いでくださいね」と。
高校三年生の長男が大学受験、中学三年生の次女が高校受験で銭が要るらしい。高校一年生の長女はピアノなどの習い事でかなりの投資をしているし、小学校五年生の次男はサッカーが得意で、遠征費やクラブ費で銭が掛かっている。小学校三年生の三女も服装でそれなりに銭を食うし。
おまけに中古とは言え、そこそこの広さの住宅を購入したのだ、家族的に購入する必要があった訳なのだが、それもかなりの負担ではある。
もう、我が家には余分な銭を捻出する「隙間」は無い。
有るのは、私が少ないこずかいから積み立てて蓄えた五十万円ほどのへそくりだけだ。
これだけは私が自由に使える銭だった。
しかし。
全然足らない。
桁が違い過ぎる。
あぁ、困った。
それでも何とかしなければ、と思う私だった。
もう一度、全宇宙調査協会の見積書をしげしげと読んだ。
「ん?」
おや?と思う部分があった。それは、見積書の一番下に小さな文字でゴチャゴチャと書いてあったのだ。
『五つの案件は個別でも対応致します。お見積の詳細についてはお問合せください』
どういうことだ?
五件一式にて一括解決ってことではないのか?
五つの事件のそれぞれで、個別に対応もしてくれるってことなのか?
私はすぐに、全宇宙調査協会・日本窓口に電話を入れた。
「はい、全宇宙調査協会・日本窓口の小林直美です」
小林の明るい声が耳に響く。
「大牟田です、あのぅ……」
私が話を切り出す前に、小林は用件を述べてアポを確認してきた。
「はい、承知しております。お見積の詳細についてですね。明日の十一時に、当協会・日本窓口の事務所までお越しいただけますでしょうか?」
「は、はい。分かりました」
私は気付く前に返事をしていた。
「では、よろしくお願いします。ガチャ。プー、プー、プー、プー、プー、……」
私は携帯電話を持って呆気にとられたまま、無意識にパーティションの中に掲げてあるホワイトボードに『明日の十一時・全宇宙調査協会』と書き込んだのだった。
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※五つの未解決事件は、この物語のために創作したものです。実際の事件、団体等とは一切関係ありません。