九ヶ月前の出来事
宇宙探偵シリーズ・第一弾 【おっさん探偵と美人秘書のパターン】その2
この「全宇宙探偵協会」を訪れるちょうど九ヵ月前、桜の花がまだ固い蕾の頃だった。
登庁した私に佐々木管理官が声を掛けてきた。
「おはようございます、大牟田さん。昨日はご苦労様でした」
前日は大捕物で、連続殺人の犯人を逮捕して一つの凶悪事件が解決したのだった。
私が一番速く犯人に辿り着いていたのだが、犯人を取り押さえることが出来なかった。後から駆け付けてきた同期で根性のひん曲がった菊池に手柄を持っていかれたのが、私としては少々不本意ではあったのだが。
「おはようございます。佐々木管理官もお疲れ様でした。事件が解決して一安心です」
私は社交辞令的なあいさつを口にして軽く会釈をした。
「確かに事件は解決しましたけどね……」
佐々木管理官はピクリとも笑わないで、何かに引っ掛かる言い方をしながら私を見つめていた。
「どうしたんですか?」
疑問を呈した時、私は佐々木管理官の後ろに木戸課長が寄り添うように立っていることに気が付いた。
「お、おはようございます、木戸課長!」
私は慌てて深々と頭を下げた。木戸課長は言葉を口にしないで私に右手を挙げただけだった。そして、佐々木管理官に目配せをした。
「先に行ってるから」
佐々木管理官に一言掛けた後、すれ違いざまに私の肩をドーンと叩いて部屋を出ていった。木戸課長のその行動に、私は奇異な感じを抱かないではいられなかった。しかし、反応は佐々木管理官から返ってきた。
「大牟田さん、僕と一緒にすぐに第二会議室まで来てください!」
佐々木管理官は苦味走った顔で言葉を吐き出し、扉の方へスタスタ歩き出した。私は事態を把握出来ないで呆然としていると、佐々木管理官は扉の所で手招きをした。
「早く!」
小さな声で言っているつもりなのだろうが、佐々木管理官の少し甲高い声は意外と遠くまで響き渡る。だから、私と佐々木管理官は部屋に居た一課の全員に注目される結果となってしまった。
「了解です」
私は変な目に晒されるのを恐れて、小走りで慌てて扉に向い、佐々木管理官の後に続いて部屋を出たのだった。
第二会議室は十人程度しか入室出来ないこじんまりとした部屋で、そこに並べられた奥のテーブルに木戸課長と佐々木管理官が座り、その対面のテーブルに私は腰を下ろした。
「さっそくだが、大牟田君。実は君を係長に昇格させようと思ってね」
木戸課長はニヤリと笑って私にそう伝えた。
「私が係長、ですか!」
私は驚いた。同時にニヤリとする心を表さないように腐心した。
係長といえば警部だ。ノンキャリアの私ではあるが、長く主任の警部補に甘んじてきた。だが、四十歳を目の前にしてやっと出世の糸口が見えてきたようだ。高校生を筆頭に五人の子どもを養うにはそれ相応の出世をしなければと、内心は焦るばかりの日々だった。肝心の昇任試験になかなか合格しないのも一因ではあるのだが、率直に言えば途方に暮れていたといったところだった。それが『渡りに船』のこの話、ニヤけない方がおかしい。
「あぁ、そうだ。階級も警部になる」
そう答えた木戸課長は笑っていたが、佐々木管理官は微妙な表情だった。私はそれを見逃さなかった。
「詳しくは佐々木管理官から説明をしてもらうから。佐々木君、後は頼んだよ」
木戸課長はそう言うと、アッサリと席を立ってスタスタと第二会議室を出て行った。佐々木管理官と私は起立して木戸課長がドアを閉めるまで見送った。ドアがパタンと閉まると同時に、佐々木管理官は椅子にドカッと座り込んだ。私は佐々木管理官の様子を窺いつつ、静かに椅子に座った。
私より十歳近く若い佐々木管理官は、一課で唯一のキャリア組だ。しかし、彼にはキャリア組を揶揄する評判は当てはまらないだろう。
キャリア組だから当然のごとくに頭は切れる。だが、彼はそれだけではない。リーダーシップは当然、機微を察し、機転を利かし、行動も素早く、判断も早い。そして、階級や役職だけでなく年齢の上下関係を把握し、キッチリと自分の立場をわきまえている。私だけでなく一課の中では、彼の仕事振りや立ち居振る舞いはかなり評価されているのだ。
その佐々木管理官がこちらに顔を向けて、静かにゆっくりと言葉を発した。
「大牟田さんも察しておられると思いますが……」
私は佐々木管理官の口元を見つめて、次の言葉を待った。
「残念ながら、これは出世という意味での『昇任』ではありません」
私は息を呑んだ。だが、言葉を発しないでいられなかった。
「えっ? 一応は『係長』ですよね? 『警部』なんですよね?」
「えぇ、一応。部署名は『警視庁刑事部捜査一課強行犯係継続犯担当』です」
佐々木管理官は淡々と言葉を発した。
「ですが、部下は一人も居ない係長で、しかもお宮入りした事件の担当なんですよ。ここまで言えば意味が分かるでしょう?」
佐々木管理官は尚も淡々と言葉を吐いた。
「要するに『左遷』ですよ。『閑職』なんです。『棚上げ』とか『飼い殺し』と言ってもいい」
そこまで言うと、佐々木管理官は横を向いてしまった。
私の頭の中は真っ白になった。
「どうして? なぜ?」
私の中からは疑問しか浮かんでこなかった。
「昨日のミスが『トリガー』になってしまいました」
佐々木管理官はポツリと呟いた。
「それは……」
私はハッとして言い訳を始めていた。
「しかしですね、犯人にいち早く辿り着いたのは、わ……」
私の発言は佐々木管理官の恫喝でさえぎられた。
「今回だけじゃない! 前回も前々回も、その前もだ!」
佐々木管理官は、テーブルをドンと叩いて立ち上がっていた。
「大牟田さん、あなたはいつも先走って勝手な捜査を行う。まぁ、そこは大目に見てきました。どうやら、あなたは『鼻が利く』らしいので」
ここまで言い終えた佐々木管理官はユルリと椅子に座った。
「しかし、肝心の詰めが甘い。だから、僕は菊池さんにあなたをマークするように言い付けておいたんです。それが功を奏して事件は全て解決していますが」
私は心の中で舌打ちした。
「だからいつも菊池が……」
私はつい呟いてしまったようだ。しかし、佐々木管理官はそれを聞き逃さなかった。
「そうですか、そんな風に思ってたんですか。……大牟田さん、僕は木戸課長からこう言われたんですよ。『佐々木君、君は大牟田君のことをかばい過ぎている。彼はいつか君の経歴に傷を付けるだろうから、今のうちに俺が処理してやるよ。なに、大丈夫、彼に傷付かないように上手くやるから』ってね。正直言ってホッとしましたよ」
佐々木管理官はニヤリと笑って本音を吐露した。しかもまだ続きがあった。
「更に木戸課長はあなたのことについて、こうも付け加えました。『大牟田君は事件に鼻が利くんだろ? それなら未解決事件にその鼻を使ってもらおうじゃないの』と」
そう言い終わると、佐々木管理官は椅子から立ち上がり窓際に歩み寄った。そして、ブラインドの羽根を指で押し広げて外を覗いた。
「残念です。ここに至るまでに気が付いていただきたかった。本当に残念です」
佐々木管理官のこの言葉に、私はガックリと肩を落とした。そして、背を向けてシルエットになっている佐々木管理官が、手が届かない遠い存在になったことをヒシヒシと実感するのだった。
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