呆気ない納品
宇宙探偵シリーズ・第一弾 【おっさん探偵と美人秘書のパターン】その16
九時四十八分に某市の私鉄駅の西口降り立つ。予定通りだ。三つ目の雑居ビルの階段を五階までゆっくりと登ったとしても、十時までには充分に間に合う。
「もう少し早く着いて、喫茶店でコーヒーでも飲むべきだったか?」
そんな心の余裕を呟きながら、私は雑居ビルの階段を一段、また一段と登った。今回は準備万端だ。半袖のTシャツを着て海水パンツをピッチリと穿いている。その上でカーディガンも着込んで厚めのコートを羽織り、今回の私は暑さと寒さに対して私の考え得る対策を施して全宇宙調査協会の事務所へと臨んでいる。
「今日は『攻めの体制』だぞ!」
私は気合を入れて、すりガラスがはめ込まれた古臭い木製の扉をノックした。
ゴン、ゴン、ゴン。
すりガラスがビリビリと揺れた。
「は~い、どうぞ~」
明るい女性の声の、小林の声だが、返事が聞こえた。聞こえたと同時に、私は自分から扉をガタピシと開けた。
「こんにちは」
そう言って入った事務所の中は、全然暑くなかった。むしろ外気よりも少しヒンヤリしているような、いやヒンヤリじゃない、確実に空気の温度が低いと感じた。それは、吐く息が煙草の煙ように白かったからだ。
部屋の中は一番最初にここを訪ねた時の、ミディアムブラウンで統一されたアーリーアメリカンスタイルのデコラティブな様式の調度品でまとまられた内装になっていた。唯一、以前と違うのは、大きな執務机の向こう側にある窓の風景だった。前回は蒼く澄み渡った青空だったが、今日はその窓一面が真っ白で、それはブリザートを思わせる横殴りの雪がこれでもかという調子で降っていたのである。
「ようこそいらっしゃいませ、大牟田さん。お待ちしておりました。お久しぶりですね」
出迎えてくれたのは、探偵調査官の中村だった。もちろん、小林も居る。小林は例のディスプレイに囲まれた操作調整卓のような机でなぜか宇宙服を着ていて、目まぐるしくタイプしていた。
「お久しぶりです、中村探偵。もうバカンスは終わったのですか?」
私にソファに座るよう勧めながら、中村も一人掛けソファに座った。
「いえ、まだです。家に帰る途中で忘れ物に気付いて取りに戻ったのですよ。そしたら、直美君から大牟田さんと契約する旨の連絡をもらいまして。それは立ち会わなきゃと思いましてね、地球まで舞い戻ったという次第です」
「あぁ、それはありがとうございます。それにしてもこの部屋は寒いですね。もうサマータイムは終わったのですか?」
私は中村が戻ってきたことよりも、この事務所内が異様に寒いことの方が私には問題だった。これだけ寒いとまた風邪をひいてしまうのではないかと、そのことだけが私の脳裏を駆け巡っていたのだ。
「いえ、サマータイムはまだまだ継続中ですよ。地球時間で一千年は続きますから。それとは別の理由で部屋の温度を下げています。実は、私の故郷の平均気温が地球で言うところのマイナス百五十八度なんですよね。それに順応するために、直美君に頼んで温度を下げてもらっています。今はちょうどマイナス百度くらいかな」
「そ、そ、そうですか」
中村が流暢に説明するうちに、私の身体はガタガタと震え始め、歯をガチガチと鳴らしながら応えた。私の様子を見て中村はようやく気付いた。
「あ、ごめんなさい。地球人には寒すぎますね。直美君、大牟田さんに例の『うちわ』を出して」
中村が小林に声を掛けた。小林はぶ厚い宇宙服を着てヘルメットを装着して「熱交換うちわ」を私に渡した。扇ぐと、暖かい空気が私の顔を緩ませた。
「へぇ、これって可逆動作をするんですか!……それにしても小林さん、その姿はどうしたんですか?」
私の言葉に、小林がモニタからの声を悲しそうに響かせた。
『わたくし、摂氏零度以下では生きられない身体なので。大牟田さんが羨ましいですわ』
宇宙人に羨ましがられたのは初めてだ。少々快い感情が私の中に湧き上がる。
「羨ましがられるとは思っていませんでしたよ、ははは!」
私はニヤけた。
「さて、本題に入りましょう」
中村はそう言って、私を見つめた。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
中村の問い掛けに、私は毅然として答える。
「残念ながら、三つ全部を発注することは出来ません。私の『強行犯係・継続犯担当』にはもう予算がありませんので」
中村は静かに相槌を打つ。
「想定の範囲内です」
私は続ける。
「支払いは私的な金銭にて行うしかありません。しかし、その金額も極めて限られている」
また中村が相槌を打つ。
「それも想定内です」
中村の相槌に折れそうになる自分を何とか踏み止まらせて、私は尚も言葉を続ける。
「大変に申し訳ないのですが、【□市独居女性強盗殺人事件】の案件だけですけれども、発注をさせていただきたいとおも……」
そこまで私が言った途端に、中村が勢いよく立ち上がって直立不動になり、ぶ厚い宇宙服を着た小林も中村の横で直立不動になった。そして、二人同時に腰から上体を折り曲げて頭を下げ、私にこう言った。
「ご発注、ありがとうございまーす!」
私は二人の態度と行動にビックリした。
「西暦一八六八年の明治元年に日本窓口を開設して以来、ようやく一千件目の受注なんです! 実にめでたいのですよ、大牟田さん」とむせぶ中村。
「ようやく千件になりましたね、中村探偵!」と、涙がヘルメットで拭えない小林。
「このペースで受注が増えるといいよね、直美君!」と中村。
「この受注率ならアメリカ窓口やロシア窓口に自慢できますね」と小林。
「あのぅ……」と私。
しばらくは何語なのかサッパリ解らない言語で中村と小林は語り合っていたが、三度目の「あのぅ……」という私の問い掛けに中村がようやく気付いた。
「あぁ、大牟田さん。すっかり忘れて無視していました。改めて発注してくださり、誠にありがとうございます。それでは直美君、大牟田さんに納品を」
私は中村の言葉を疑った。
「はい」
素直に躊躇なく返事をする小林の行動にも、私は疑問が湧いてきた。
「え? もう納品なんですか?」
「そうですよ」
私の質問に呆気なく答える中村。
「あのぅ、多少はですね、調査するとか、考察するとか、推理するとか、熟考するとか、探偵らしいことは……」
私の言葉はそこで中村にさえぎられた。
「無いです」
爽やかに答えた中村が続きを喋る。
「我々は粒子クラウドデータについてあれこれと考えることは一切ありません。ただ、必要なデータをそこから抽出し、それを再構築する。それだけのことです。地球には、現場に出向かずに部下あるいは依頼者からもたらされる情報によって事件を推理する『安楽椅子』と呼ばれる存在があるようですが、それとはかなり意味合いが違っていますので」
「でも、あなたの肩書きは『探偵』ではありませんか?」
私は中村に問い返す。
「粒子クラウドデータを扱えるのは「探偵調査官」及び「二級調査士以上の資格を有する者」となっています。だから『探偵』と呼ばれているだけです。それだけのことです」
中村の返答は呆気なかった。
「そういう問題ですか。それだけのことなんですか」
私はつぶやいた。
「そうです、それだけのことなんです。しかし、誰もが簡単に粒子クラウドデータを取り扱えるモノでもないし、誰もが簡単に粒子クラウドデータを取り扱ってもいけない。そういう大切な役割なのですよ、探偵というのは」
中村は私にニヤリと微笑んだ。しかし、私は解ったような解らないような顔をするしかなかった。
「直美君、後はよろしく。大牟田さん、失礼しますね。女房を待たせてるんで……」
中村はニヤリと笑って、音もなく消えていった。
「大牟田さん、これをどうぞ。納品データが入った『デジタルデバイス』です」
中村が居なくなったので、小林は直ぐに事務所の温度を上げて宇宙服を脱ぎ、白のブラウスの上にグレーのショートジャケットを着て、サイドスリット入りのタイトスカートを穿いた小林の姿があった。今回は私に快適な温度、つまり地球の平均気温である十五度に設定してくれたようだ。
そして、私に一見するとマイクロSDカードに見える真っ白なチップを差し出したのだった。
「これは?」
小林から受け取って、掌の上で私はそれをしげしげと見入った。
「外見上は地球で普通に使われている『マイクロSDカード』ですが、わたくし共独自に開発したデジタルデバイスになっていますので、ご注意くださいませ」
小林は淡々と説明する。
「このデバイスは読み出し専用でセキュリティも地球上の技術では破られることはまずないでしょう。そして、どんなPCでも読み出すことは可能ですが、その際には必ず大牟田さん自身が操作してください。このデバイスは大牟田さんがアクセスしない限り、ファイルがオープンすることは決してありません。操作する個人をこのデジタルデバイスはキッチリと識別していますので。わたくし共のセキュリティとアクティベーションの技術はそこまで進化していることをご理解ください」
「この中に、そのぅ、クラウドデータから抽出して再構成した【□市独居女性強盗殺人事件】の全ての関連情報が入っているんですか? 一体、何ギガバイトの容量なんですか?」
私は素朴な疑問を小林に投げたが、小林にとっては初歩的な質問だったようだ。小林はクスッと笑いながら答えた。
「はい、【□市独居女性強盗殺人事件】のデータは全て、余すところなく入力してあります。お尋ねの、このデバイスの容量ですが……えーっと、地球のデータ量換算で言うと1エクサバイトですね。ギガの十億倍、テラの百万倍みたいです。あ、ちなみに、この容量はわたくし共が使っているデバイスでは最小限の部類となります」
「そんなに容量が大きいモノを地球のパソコンでは認識できないんじゃないですか?」
私の疑問は、小林には疑問ではないらしい。
「大丈夫です。このデジタルデバイス側で逐次、情報をセーブしてPC側へと転送しますので。ハッキリ申し上げて、地球上のPCよりもこのデジタルデバイスの処理能力の方がはるかに上回っておりますから、ノープロブレムですよ」
ニヤリと笑う小林だった。
「それで、データは?」
「もう入ってます」
何度も問う私に丁寧に答える小林。そして後ろ手に持っていた紙切れを私の目の前に示した。
「そして、これが請求書です。下の方が振込用紙になっていまして、既に必要事項は記入してあります。ですので、切り取って指定の某銀行の、支店は問いませんので、その窓口にお出しくださればOKです。現金でお支払いになる場合でも口座からの引き落としの場合でも窓口に言っていただければ、処理していただけますので」
小林は、真ん中辺りに切り取り線が入ったA4の用紙を私に手渡した。
「くれぐれも期限だけはお守りくださいませね、うふふ」
小林はウィンクをした。
マイクロSDカード風のデジタルデバイスを小林がサービスで付けてくれたケースに収め、請求書は折り曲げないようにポケットに入れて、全宇宙調査協会の事務所をあとにした。すりガラスがはめ込まれた古臭い木製の扉の外、雑居ビルの五階の廊下の空気に、私は心なしか温もりを感じたのだった。
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※五つの未解決事件は、この物語のために創作したものです。実際の事件、団体等とは一切関係ありません。