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6月29日、金曜日。期末テスト5日目。
テスト最終日。この日も透は難なく空欄を半分以上埋めて、解答用紙を提出した。
難題の答えを一つ見つけ、余裕が生まれた彼にとって、期末テストで五十点獲得することなど、両手足を縛られていても可能なほど生易しいものだった。
試験科目のテストが全て終了すると、周囲の席に座る『カンニング班』には目もくれず、一人でカバンを肩にかけて教室を出て行く。
上機嫌の透は、五分ほど『藍坊主』の『泣いて』を口遊みながら歩いていたが、後ろから千代に名前を呼ばれた瞬間、歌うのを止めた。
「やっと追いついた。透、歩くの速くない?」
「速くない」
透は振り返らず、前を向いたまま答える。
「お前がちんたらしているだけだろ」
「何それ。透がせっかちなだけでしょ」
透を軽く睨みつけながら、千代は小走りになって彼の左隣に並ぶ。
「答えが解ってるのならわざわざ聞くな」
「透が私のこと悪く言うからだよ。売り言葉に買い言葉」
「あぁお前って何でそんなに面倒臭いの?素直になれよ、素直に」
透は真っ直ぐ伸びた歩道に、前方約五十メートル先まで人気がないことを確認すると、歩調を速めて千代の前に立ち、後ろ向きで歩く。
「素直だよ。私はいつでも素直。透みたいに嘘を吐いたりしない、正直者だよ」
何のこと言ってんだ、千代の奴。
怪訝に思いながらも、車道との境界ぎりぎりに立ち止まり、なぜかむっとしている千代が横を通り過ぎるのを見送る。透の思惑通り、すれ違う際、千代は歩道の車道側から、内側へと少し横にずれた。
さりげない所作で千代と車道側を交代すると、透は彼女の歩調に合わせて歩く。
「何怒ってんだよ」
「別に、怒ってないけど」
「じゃあ、俺が嘘吐いたみたいなこと言ったが、あれはどういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。自分自身に聞いてみたら?」
はっきりとしない千代の挑発に苛立ち、透はがっくりと項垂れる。
さっきは冗談のつもりだったが、やっぱりお前は面倒臭い奴だ。俺がいつどんな嘘を吐いたって言うんだよ。
心の中で自身に問いかけても、返事はない。
透がいつまでも黙っていると、焦れたのか、千代はため息を吐いてから言葉を洩らした。
「透の話してたコンビニに行ったけど、綺麗な姉ちゃんなんていなかったよ」
何だ、そんなことか。一瞬殺人計画を練っていることを見透かされたのかと思ったが、杞憂だったようだ。
「それは、たまたまその日は休みだったんだろ」
「私も最初はそう思ったけど、店の人に尋ねたら『そんな人はいない』って言われたよ」
「お前、わざわざ聞いたのかよ」
誰だ?店長か、坂田さんか?それとも、まさか深沢さんじゃないよな……。
透が非難するような目で見ると、千代は紅葉を散らして俯いた。
千代のことだ。きっと質問の意図を尋ねられて、俺の名前を出したに違いない。仮にも数週間前までバイトしていた店だ。そんなところで幼馴染が俺の法螺を信じて、小っ恥ずかしいことを聞いたとなると、俺はあの店に近寄りにくいではないか。
「ばか。どうしてお前はすぐそうやって暴走するんだよ」
「だって、どれだけ綺麗な人か見てみたかったんだもん」
『だもん』じゃないだろと、突っ込みを入れてやりたかったが、千代が顔を真っ赤にして、本気で恥ずかしそうにしているので、透は空気を読んで話題を変えることにした。
「あぁ、そういえば、テストどうだったんだよ。今回も全教科満点か?」
「そんな訳ないよ。今回のテスト難しいの多かったから……」
「難しいって言ったって、ちゃんと勉強していたら、お前なら九十点は取れるだろ」
透も全教科の問題用紙を一通り読んでみたが、理解していて解けない問題は、一教科に一つや二つくらいしかなかった。
あの程度の問題を解けない千代ではないだろう。かといって、常に成績優秀の千代がテスト勉強を怠ったとは思えない。ということは、俺がただ買い被っていただけなのか。
透が様々な憶測を頭の中で飛び交わせていると、不意に、千代はぼそっと呟いた。
「透はどうだったの?」
「え?俺はいつも通り、五十前後じゃないか」
「今回のテストで?」
透の言葉に、千代は大きな目を丸くして驚いた。
「何だよ。そんなに難しくなかっただろ」
「そんなことないよ。すごく難しかった。宮本さんでも半分取れてるか取れてないかって言ってたし……」
宮本玲は学年で全教科常に成績一位の聡明な少女だ。宮本とは、透たちはクラスが違ったが、彼女の功績は校内では知らない者はいないほどの有名人だった。
「あの宮本が?」
ま、見せかけの天才っていうのは大したことないよな。
内心では黒い感情が渦巻いていたが、透は心にもないことを、さも驚いた態でさらりと口にした。
「それなのに、透は五十点も取れたの?」
計算しながら解いていたので、間違いが一つもなければ全教科五十点以上は確実だ。
くそ。どうせ嘘を吐いても、すぐにテストが返却されてばれてしまうか。また千代に小言を言われるのも面倒臭いな。仕方ない。ここは正直に肯定しよう。
「あぁ。でも、まぐれだろ。たまたま覚えている事象ばかりテストに出てきただけだよ。そう落ち込むなって」
無理に笑みを浮かべてみたが、千代はにこりともしなかった。
「やっぱり透って、頭良かったんだね」
真剣な顔つきの千代の一言に、透はぎくりとして思わず足を止めてしまいそうになった。
「急にどうしたんだよ。テストの点数気にしているのか?あれはまぐれだから気にするな」
「でも、世界史のテストは全部記述だったよ。まぐれだけで五十点は取れないよ」
「それは、俺世界史好きだから……」
むしろ嫌いな科目だが、この場を誤魔化す為なら、この際何でもありだ。
「でも、透いつも開始してすぐ寝ちゃってたでしょ?馬鹿だったらあんな短時間で解ける訳ないよ」
テスト中も千代は俺のことを見てたのか。ったく、油断も隙も作れないな、こいつの前では。
透は千代の話を聞きながら、静かにため息を吐く。
「それに、テスト終わった後、一度笑ってたことあるでしょ?私はその瞬間は見てなかったけど、あれって、テストで高得点取れると思ったからじゃないの?」
間抜けな勘違いをしてくれたのはありがたかったが、このまま変に有能だと疑われては計画に支障が現れかねない。
「違うよ。家帰ってたくさん寝れると思ったら、ついつい笑みをこぼしちゃっただけだよ」
あくまでも透は自分が無能であることをアピールしようとした。しかし……。
「そうかなぁ。五味先生も言ってたよ。『山岸は勉強できるタイプなのにどうしてやらないんだ』って」
「へっ。あの豚、何も解ってないな。俺は正真正銘の馬鹿だ」
「天才か秀才タイプなのに勉強しない、捻くれた性格的な馬鹿なだけでしょ、透は」
千代の双眸には確信が満ちていた。
こいつは簡単に誤魔化せないようだな。だが、次のテストで悪い成績を取れば良いだけの話だ。今回で俺が注目されたとしても、冬休みまでには二回もテストがある。それまでに成績を下げておけば、俺に興味を抱く人間は千代以外にいなくなる筈だ。何も問題はない。冬にさえなれば、あと数ヶ月で全てが解決するのだから。




