百語り
無知なる闇を弄ぶ者等よ無知なるままに我が糧となれ。
我が子等の血肉となりて我と共に永遠に無知を呪うが良い。
ただ肉の塊、餌として。
「……さん…かあさん……」
私はウトウトしていたらしい。
声がどんどん大きくなりハッキリと聞こえた。
「お母さん!」
声のする方を振り返った時、その子が言った。
「始めまして」
心の中では既に覚悟を決めていた。
(もういい、私を貴方に捧げよう……)
午前二時。
ここは大きな医療法人の介護施設。
当直は二人で、仮眠を取りながらやってはいるが、さすがに一癖以上有る老人達を相手にした後に、大きな施設内を巡回するのは辛い。
夜中の2時だと言うのに、寝付けないで歌い出す人や、廊下を徘徊する人が絶えない。
休憩の1時間で仮眠を取るのが義務付けされてはいるのだが、うとうとすると、すぐ呼び出され、休憩どころでは無い。
しかし、それも慣れっこで、夜中に私をご指名頂く利用者が居る程、もう何年もここの施設で働いている。
医療短大卒業後、早7年。
恋人も居たが、休みの日は疲れてしまい寝ている事が多く学生時代から付き合った彼とは、別れて5年も経つ。
魅力が無い訳でも無いのか、80代のお爺ちゃん達には人気が有り、私の気にする、大きなお尻を何人か触って来るのだが、若い男子には5年間触って貰ていない。
そんな老いて尚、色を好むお爺ちゃんや、孫のように話しをしてくれるお婆ちゃん達は、仲良くなればなるほど、悲しい思いをするのがこの仕事の辛い所だ。
彼らは私達と同じ時間を一緒に過ごして居るのに、旅立つのは確実に私達より早いのだ。
そんな職場なので、色々な怖い話が有る。
先輩方から聞かされる話は、どれも入所時は怖かったが、今は死を沢山経験したせいか、当たり前に思えた。
多分、この施設で亡くなった人達は、自分の体が冷たくなって動けなくなった事を自覚せず、普段のようにベットを起きて、いつものように廊下を歩いているのだろう。
その内、誰も自分を気にしてくれないので、色々こちらにアピールしてくる。
その証拠に、週に一、二度、私は誰も居ない同じ場所でお尻を触られ、ビックリするが、大騒ぎはしない。
霊感は無いので、見える事も、声を聞く事も出来ないが、小さな声で、「エッチ」と言うだけだが、それで彼らが寂しさを紛らわせているなら、それで良いとさえ最近は思っている。
朝8時、夜勤を終わってアパートに帰ると、忘れて行った携帯にメールが来ていた。
職場では使えないので、よく忘れる。
メールを開くと学生時代の後輩からだった。
[恒例の異常現象研究部OB交流百語り会を予定通り開催いたします。参加者は25人。一人4話の怪談を準備し、当会規定の蝋燭を4本ご持参下さい。先輩待ってます]
そう書かれていた。
学生時代に通った短大は地元の者が殆どで、所属していたサークル、通称異研では、毎年、お盆で帰省するOBを集めて、8月15日に怪談百話を開く。
怪談百語りとは、百本の蝋燭を1話語る度に消して行き、百本目を吹き消すと、そこに何かが現れると言う。
江戸時代前から続く、怪奇現象を発生させる秘術なのだ。
恒例会では病院勤務者が多いので、殆ど実話や体験談が多く、かなり怖い話が多い。
実際に終わった後には何かがスーと、とかは無いが、掛けていた物がバサリと独りでに落ちたり、有る時は壁の大きな肖像画が落ちたり、何台かの電源が切られた携帯電話が同時に鳴り出したり。
でも、悲鳴を上げるのは現役の学生ばかりで、ここで言うのも何だが、私らOBの病院や介護施設関係者は日常に、良く有る話なので慣れてしまっている。
要は、酒を入れ、若い後輩達をキャーキャー言わせ、それを魚に、若いインターンや看護士の卵をハベラせ、夜を徹して飲み明かす集まりなのだが……
(よーし、今年はあれと、この間のあれか……)あれこれネタを考えたのだが、4話目がどうしても出ない。
まだ一週間は有るので、一話創作しようと思った。
その後、夜勤疲れで、エアコンを掛けっぱなしで寝てしまった。
少し頭痛がするので、起き上がり、摩りガラスの窓を見ると外は薄暗くなっていた。
外の風を入れようとエアコンを消し窓を開けた時だ。
窓枠に巨大な蜘蛛の巣が張られ、中央にカラフルな大きな蜘蛛がいた。
その蜘蛛は蛾を抱え、モソモソと動きながら仕切りに頭部をそれに押し付けている。
「キャッ」蜘蛛に視線が釘付けとなり、暫く凝視していたが年甲斐も無く悲鳴を上げた事が可笑しくなり、「ははは」と声を出して笑ってしまった。
気を取り直して蜘蛛には申し訳ないが玄関用のほうきを取り蜘蛛の巣を取り除こうとした。
ところが、蜘蛛は外に落ちずにほうきの柄を伝ってこちらに寄って来た。
「うわ!!」
思わずほうきを離し、床に落とした。
蜘蛛はほうきの下敷きになり、そこから出ては来なかった。
恐る恐る、ほうきを裏返すと、きれいな黄色い縞々の卵のような体から、黄色い体液をダラリと出し蜘蛛はつぶれていた。
気持ちが悪くなり、ほうきごと外に放り出してティッシュで床に飛び散った物をふき取り、トイレに駆け込んで、それを便器に放り込んだ。
急いで蓋を閉め、そのまま水を流した。
洗面台でティシュから伝わる蜘蛛の残骸の感触と体液が手に染み付いたようで、ハンドソープを何度も付け、手をごしごしと洗いながら昔、生きていた頃の祖母の話を思い出していた。
「いいかい?蜘蛛は殺しちゃ駄目だよ、蛇と同じで恨みが深いからね。こんな話が有るんだよ」そういって学生の頃の私に、女郎蜘蛛の怖くて悲しい話を聞かせてくれた。
(そうだ、この話を最後に話そう)
殺した蜘蛛には悪いが百語りのネタが出来たので感謝した。
異常現象研究部OB交流百話会、当日。
生憎な事に午後3時頃から天気は嵐模様になった。
時折、遠くで雷も鳴り出し、それでも郊外の医療大学の合宿所にOBと現役合わせて25人が集まった。
宿泊可能なので、独身組みは殆どここで朝まで飲み明かす。
「それでは携帯電話の電源を切って、皆さん会場へ移動してください」
皆、アルコールとツマミを持って、余り大きくはない講堂に円を作り座る。
まだ皆、世間話などしながら和気藹々としていたが、「では、始めます、電気消しますよ」その瞬間、奇声が上り、まだ夕方6時だと言うのに暗幕が引かれた講堂は真っ暗と成り、これから始まる禁断の儀式に心躍らせながらも、この雰囲気が好きで毎年集まって来ているので、皆は押し黙った。
エアコンのゴーと言う低い音と、汗と埃臭い講堂で百本の燭台の上では、ゆらゆらとオレンジ色の光を放ちジリジリと音を立て蝋燭が灯されている。
それを囲む語り手1人、聞き手二十四人の影が、こちらに覆いかぶさるようにユラユラと揺れていた。
一話ずつ語られる度、奇声が上がり語り手の前の蝋燭が吹き消されて行く。
外の雷が時折、恐怖を倍増させ蝋燭が少なくなる度、皆の心の恐怖と同じく壁の影も大きく長くなって行った。
途中、休憩も挟み夜中の1時を回る頃には全員が疲労と恐怖でトランス状態に近い状態になっている。
九十九話目が終わり、最後の百話目の語り手は自分だった。
少し酔った頭を振り絞り、祖母から聞いた女郎蜘蛛の話を語りだした。
まだ女郎屋が有った頃、場末の女郎屋にタキと言う女郎が居た。
有る時、馴染みの街医者に熱を上げて、敵わぬ恋と知っていながら、その街医者の子を身篭った。
タキは一緒に成れなくても、街医者の子が欲しかった。
その事を知った街医者は、遊びに水を差されで興醒めしてしまい、普段から割りの良い仕事として女郎蜘蛛から取った毒で、堕胎の仕事も影でやっていたので、体に良いからと騙し毎日飲むようタキにその薬を渡した。
自分を案じてくれる街医者の薬を毎日欠かさず飲みながら、それでも町屋の主人にばれるまで、客取りは続けていた。
町医者は、これで一安心と高を括ってそれからもタキの所へ何度か通った。
ところがタキが堕胎したと言う話は、何時に成ってもとんと聞えてこない。
有る時タキにその事を聞くと毎日飲んでいると嬉しそうに言ってはいるが、それどころか逆に腹が大きくなって行き、四月を過ぎれば誰もが気付く大きな腹になっていた。
とうとう町屋の主人はタキに気が付いた。
商売物に傷を付けたと怒り、街医者に水揚げしろと迫ったが、その気の無い街医者は、女郎蜘蛛の毒薬を毎日飲ませろと主人に薬を渡すだけだった。
町屋の主人は町医者に、金は出しては居るが何かと女郎達の事で世話になっていた。
それ以上、無理強い出来ないと思ったが、腹の虫が収まらない主人はタキを布団部屋に閉じ込めた。
それでも産みたいと叫ぶタキを天井から吊るし、見せしめに、女郎達に腹を何度も殴らせた。
ところが、タキの腹はそれからも大きく成り、合わせて腰から尻も蜘蛛のように大きく成て行く。
怖くなった町屋の主人は、街医者と話して、そのまま一月、タキに食事も与えず捨て置く事にした。
骨と皮に成ったタキを無縁寺に投げ込めば、鳥居付きの熟れの果てか行き倒れだと思って、処分してくれると二人は思った。
それから十日たったある日、女郎屋の床下をガサガサと這いずり回る音が何度か聞こえると女達が騒いだ。
大きな鼠でも居るんだろうと捨て置いたが、ふらりと街医者が新しい馴染みの女郎と遊びに来た時だ。
朝になっても女郎も医者も出て来ない。
おかしいとヤリテ婆から言われ、若い衆と主人が部屋に入ると、そこには赤い布団と着物が脱ぎ散らかっているだけで誰もいない。
おかしいと思って出ようとすると、若い衆の一人が天井を指差し震えていた。
見上げると、長い髪を振り乱し白い乳房を露にしたタキが、大きな黄色い縞々の蜘蛛の胴になって、天井の隅にへばり付き、ボリボリと街医者を食べていた。
街医者は恍惚の表情で笑いながらまだ生きていた。
皆逃げ出そうとした時、床下からザワザワと子犬ぐらいの蜘蛛が何百と現れ主人と若い衆を飲み込んだ……
タキから生まれた蜘蛛の子達は、大人4人を平らげて、食事の終わったタキと一緒に天井の暗闇へゾワゾワと消えていった。
「終わり」
当たりはシーンと張り詰めたように静かだった。
目の前の蝋燭は1本。
私は皆の顔を見回しながら小さく頷き、全員が固唾を呑んで見守る中で、それをフッと吹き消した。
その時、誰かの携帯が鳴った。
私はビックリして「キャー」と声を出したが、他の皆はだれも声も上げず、動こうともしなかった。
(え……?)
後ろでガシャンと音がして、振り向くと窓のガラスが割れ外の嵐が入り込み暗幕をバタバタ吹き飛ばしていた。
ふと、後ろに何かを感じ、振り向いた首をゆっくり元に戻した時、雷の閃光が講堂を明るくした。
私の顔の10cm程前に、喜びの表情をした女の顔が有った。
大きな胴に黄色の縞々が有り、肩から下は黒い毛が生え豊満な二つの人と同じ乳房がより白く見えた。
(女郎蜘蛛……)
私は動けず目も閉じる事すら出来ない。
周りの皆はマネキンのように動かない。
私と蜘蛛の化け物以外は時間が止まっているようだ。
少し酸っぱい匂いを漂わせ、蜘蛛の化け物は轟く雷光の中で冷たい表所を壊し、ニタリと笑いながら囁いた。
「又ね」
雷がやみ、当たりは暗闇で何も見えなくなったが、目の前にいる彼女はそう言うと、カサカサと音を立て、誰かの床に転がり、そこだけ明るい携帯電話の液晶画面にスルリと入り込み消えて行った。
携帯電話の光も、そこでプツリと消え講堂は暗闇に飲まれた。
額から冷たい汗が溢れ出し、全身がザワザワと悪寒を感じた時、止まった空気がユルリと動いた気がした。
その瞬間、時間が突然動き出したように、皆が「ワー」と声を上げ、誰かがバタバタと音を立て電気の スイッチへ走り出し、講堂の電気を付けた。
白色灯の下で、ザワザワと皆、笑いながら「ご苦労様」と言って拍手している。
私は今起きた恐怖でパニックに成り、その場でウワーと声を出し頭を抱えて泣いていた。
皆ビックリして駆け寄って来た。
あれ以来、暫くショックで口が聞けなくなった。
仕事もやめ、今は実家にいる。
鏡に映る自分の髪は、半分以上、白くなっていた。
浅く眠ると夢にあいつが出てくるので、最近は睡眠薬が欠かせない。
夢では何故か、あいつが愛おしくて仕方なく、私は母のように大きな蜘蛛の形をした彼女の腹を撫でていた。
ピクピクと中から振動が幾つも伝わって、あいつの中で沢山の新しい命が育つのが解った。
そして、高級な絨毯のような毛並みの腹に、私が頬ずりをしていると、バリバリと蜘蛛の子達が腹を食い破り這い出し私の体を這い回るのだ。
だが、私はそれがとても気持ちよく、SEXの絶頂に似た快感が走る。
そして私の体を這い回る子蜘蛛が左乳房に牙を立てる。
そこで目を覚ますのだ。
汗だくになり、恐怖で体は強張り、ブルブルと震えているが、必ず私の中心は熱く濡れていた。
(母性の快感)
そう言えば、蜘蛛の中には母親が生まれて来た子供達に、自分の体を食べさせる種がいるらしいが、きっと母蜘蛛は、群がる子供達にむさぼり食われる苦痛よりも、母性の身を捧げている快感で、満ち足りた気分でいるのだろう。
(私には耐えられるのだろか……)
人の恐れが恐怖を食らう者を現実に引きずり出し力を与えるのかも知れない。
無闇に闇の者を、面白半分で語ってはいけない。
きっとあいつは自分が呼んで、いや産んでしまった自分の子供。
しかし、もう、どうでも良いと思った。
もう疲れたのだ。
眠る度、同じ夢を見る度、どんどん自分が壊れて行く。
(きっと、どこかで、あいつも一人で寂しく、誰かが呼ぶのを待っていたのかもしれない)
春の日差しと、さっき飲んだ薬で眠くなり思わずウトウトしてきた。
携帯電話が鳴っている、だが面倒なので出ない。
その時誰かの声がする。
「……さん…かあさん……」
「お母さん!」
声のする方を振り向いた時、その子が言った。
「始めまして」
心の中では既に覚悟を決めていた。
(もういい、私を貴方に捧げよう……)
そう思うと、体の中心が熱くなり、濡れているのが解った。
ホラーよりも怪談を意識しました。
女郎屋の話は昔語りを意識して苦労して書いたわりには、文字の都合で起承転結優先になってしまい、さらっと流してしまいました。
テーマは百語りと蜘蛛ですが、無闇に遊び半分で行われる怪談にも警鐘を鳴らしています。
私のホラーはそこがテーマです。(怪談を嫌いな人に無理やり聞かせないでほしいww)
闇は人が作るのです。
闇の糧は人の恐怖。
ぜひ何でも良いです、感想をお聞かせください。
お読み頂き有難うございます。