不測の事態
ひそひそと囁いたり、悲鳴を上げている人々の間を掻き分ける様にして進む。その際に、押しのけられたせいで体勢を崩し抗議の声を上げる人もいたが、そんなことなど気にしない。
ベランダを中心に半円を描く形になっていた人混みから抜け出して、前に出たエステルは目の前の光景に言葉が出なかった。
「……っ!」
カラカラに乾いた口中を何とか湿らせようと、喉を鳴らす。
瞬きを忘れた様に見開かれた両の眼に、エステル自身のことであるのに違和感を感じてしまう。
両膝の力が抜けて、くたりと地面に崩れ落ちてしまった。
「……サラ、サラ」
「――! セラーレの」
視界がぐるぐると混ざり合って、目の前の光景すらただ一人を除いて定かではない。
混ざり合う色と色、濁って、泡を立てて、汚らしいマーブル模様が視界を占める。
子供の稚拙な落書きの様な景色の中で、ただ一人だけがその形を保っていた。
月光を紡ぎ合わせた様な金の髪。
血の気の引いた青白い肌。
白と金、そして――――。
「う、ぁ。ぃやだ……」
鋭い刃物かなにかで抉られたのか、たおやかな二の腕からは幾筋もの血が流れ出て。
白と金、そして鮮やかすぎる赤色。
その三色が指す物は、それ則ち……。
「しっかりしなさい、エステルちゃん。サラちゃんは大丈夫よ」
「……エバ、叔母様」
「そうよ。この程度の傷で人間が死ぬものですか。ちょっと気を失っているだけよ」
不安定だった視界が、頼りになる言葉で明確に定まる。
強い光を宿した黒檀の瞳に、茫洋としていた夜空色の眼差しに力が戻る。
「叔母様、だけど……」
「事情は、僕が説明します。取り敢えず、行きながらでも」
意識の戻らぬサラを横抱きにした第二王子が、険しい表情のまま言葉を紡ぐ。
ぐったりとしたサラを王子の灰色の瞳が痛ましそうに見つめた。
「完全に、僕の落ち度です。サラ嬢は、僕を庇って矢を受けられたのです」
「矢を?」
「――ええ。幸い、サラ嬢の方もかすり傷ですみましたが、どうも鏃に毒が塗ってあったらしく」
それでか、とエステルは未だ青ざめたままのサラの横顔に視線を走らせる。
大広間の向こう側から、白衣の人影の姿がちらほらと見える。向こうもエステル達に勘付いたのか、慌てた様子でこちらへと走り寄って来ていた。
「ここ最近、国内が静かになっていましたから完全に油断していました。彼女の傷は、僕のせいですね」
「…………」
自嘲する響きを宿した王子の呟きは、エステルの耳には届かなかった。