一蓮托生<後編>
サラ・フィオーレには忘れられない思い出がある。
まだ物心ついて間もない頃、三歳からの親友にして幼馴染のエステルと二人、童話を読んでいた時の事。
悪い魔法にかけられ百年の眠りに就いたお姫様を、王子が助けにいくという幸せな結末の恋物語。
めでたしめでたし、で終わった物語を読み終えたエステルの言った一言は、幼いサラに多大な影響を与えた。
* * * *
「全く……。イサク兄様も余計な事ばっかりしてくださって……」
「…………エステル」
「こっちは起き抜けでまだ頭もはっきりしないのに……」
「……エステル」
「ふわ……。それにしても、眠い」
「エステル!!」
さっきまでの剣幕をどこに捨て置いたのか、眠たそうなとろり、とした目でベッドに潜り込もうとするエステルにサラが大声を上げた。
焦点の合わさっていない茫洋な眼差しがサラを見つめ返す。
「――――嘘つき。ただの成人式だなんて言って……。どうして誤摩化そうとしたの」
「あれは……イサク兄様の質の悪い冗談だよ」
「馬鹿にしないでよ、エステル! 確かに私は助けて欲しいとは頼んだけどっ!!」
サラの中で悔しさとか惨めさとか、色々な感情が混ざりあって、どうしようもない気分になる。
「こんなっ……! たかだが私がされた求婚ごときに、なんでこんな大事な事を……!」
自分でも何を言いたいのか、分からなくなって、ぼろぼろと涙がこぼれる。
大きな溜め息の音がして、握りしめていた右手を優しく取られた。
「第一、意味分かんないっ! 昔からエステルは私に言っていたじゃないっ!! こっ、恋だの愛だのくだらない、って! そーいうのは、一時の気の迷いだとか何とかっ!」
どんなに素敵な恋物語を読んでも、ロマンチックな恋愛を題材にした御芝居を観劇しても、この黒目黒髪の親友はいつもつまらなさそうににしていた。
「さっ、散々、私の恋の事も馬鹿にして来たのにっ、なんでいまさらここまでするのっ!? わ、訳分かんないよっ!!」
父にも母にも内緒にしているサラの好きな人。
知っているのは話した相手はエステルだけで、それなのにこの親友は止めもしなかったけど、応援もしてくれなかった。
「ひっく、ひっく。エ、エステルのばがぁ……。こ、恋なんか一時の錯覚にしか過ぎないとか、偉そうにいっでいだぐせに……」
わんわん、と身も蓋も無く泣きわめくサラの右手を優しく引っ張って、ベッドの上に座らせる。
二人分の体重を受け、ベッドが柔らかく弾んだ。
「まぁ……。正直、今でもそう思っているよ」
「な、なら、なんでぇ」
「――――見て見たくなったから」
「ふぇ?」
真摯な輝きを宿した夜空の瞳が、春の空の瞳を射抜く。
『黒猫令嬢』はゆったりとした柔らかな微笑みを浮かべた。
「私が散々馬鹿にして来た恋愛に、いつでもあんたは一生懸命だったから」
この泣き虫な親友は、自分が取るにたらぬ事と見放していた恋にいつも一生懸命で。
ただ一人を見据えて、相手に声をかけられるのを待つのではなく、ひたすら自分自身を磨き続けて。
――――そして、その努力の結晶が『金の妖精姫』サラ・フィオーレ。
一国の王子でさえ魅了した完璧な淑女へと、彼女は立派に変身したみせた。
「だから、見て見たくなった。あんたが本当に、想いを貫く事が出来るのかどうか」
乾き切った自分とは違い、生き生きと花を咲かせた親友。
散々馬鹿にしてはきたけれど、今では立派な淑女に変身してみせた親友が想いを成就する場面をいつか目にするのが楽しみだった。
「ほ、本当に……?」
「ま。正直あんたの片想いの相手はどうかと思ってはいるけど……」
途端、再び涙を流し始めた親友の涙をそっと拭う。
「それにあんた、そこまで器用じゃないでしょう? ずっと好きだった相手を諦めて、どうでも良い相手と結婚して、欲しくもない地位や名誉、余計な嫉妬に苛まれる一生を送れるほど強くもないし」
この国の王太子妃、引いては未来の国王妃となって得られる物は沢山ある。
女性としての最大の栄誉や豪奢なドレスで着飾れる一生、きらびやかな人々にかしずかれ欲しい物を手に入れる事の出来る権力。
――――それらを補ってあまりある程の人々の負の感情も。
ここでサラが王子に好意を持っていたのであれば、それらに打ち勝つ事も可能だろうが、しかしながら現実はそうではない。
「この勝負に負けたら、あんたは好きでもない相手と結婚して、欲しくもない重責を背負わされる羽目になる。私はそんなあんたに協力すると言った」
エステルの迫力に押された様に、サラがコクリと頷く。
「あんたの一生を賭けた戦いよ。それに値する物を私も懸けなきゃ失礼じゃない」
自分だけ安全な場所にいて、そのくせ助言だけを寄越すなど、エステルの誇りが許さない。
――協力すると宣言したならば、自分もサラと同じ土俵に立つべきだ。
都合が悪くなってから、他人事だと言って逃げ出す事は絶対にしない。
「良い事? これであんたと私は文字通り一蓮托生。私だってセラーレの人形として一生を送る羽目に陥るのは御免被るわ。何が何でも、この求婚断ってみせるわよ」
「…………うん。ありがとう、エステル」
――――親友の頼りがいのある宣言を受け、漸くサラは笑みを浮かべた。
取り敢えず、第一部は完結。
第二部から本格的に動き出します。