婚約破棄されたので、あなたが隠した「横領の証拠」を監査局に提出します 〜「今さら愛している」と言われても、冷徹な第二王子に囲い込まれたので戻りません〜
シャンデリアの光が降り注ぐ王立学園の大広間。
卒業パーティの華やかな音楽を裂くように、その声は響いた。
「イリス・ランチェスター! 貴様のような冷血女との婚約は、今この場で破棄させてもらう!」
叫んだのは、私の婚約者であるジェラルド・フォースター伯爵令息だ。
整った顔立ちを怒りで歪ませ、私を指差している。その左腕には、ピンクブロンドの髪を揺らす愛らしい少女――私の義妹、リリナがしがみついていた。
「お姉様……ごめんなさい。でも、真実の愛には勝てないの」
リリナが潤んだ瞳で周囲に訴えかける。
周囲の生徒たちが、ざわめきと共に遠巻きになった。
「おい、あれ……」「ランチェスター家の」「地味な姉と、可愛い妹だろ?」「やっぱりジェラルドは妹の方を選んだか」
好奇と嘲笑の視線が突き刺さる。
普通なら、ここで泣き崩れるか、怒り狂う場面なのだろう。
けれど、私の心は驚くほど冷えていた。
胸の内で、カチリと何かが噛み合う音がする。
(――ああ、やっと言質が取れた)
私は扇で口元を隠し、表情を消した。
悲しくなんてない。むしろ、この瞬間を半年間待ち続けてきたのだから。
私は、私は、今ここでこの男を「処理」する。
泣き寝入りなんてしない。
あなたが選んだその「真実の愛」とやらが、いかに脆く、罪深いものか――数字と証拠で証明して差し上げましょう。
「……ジェラルド様。今、婚約破棄と仰いましたね?」
私が静かに問い返すと、ジェラルドは鼻で笑った。
「そうだ! 聞こえなかったのか? お前のような可愛げのない、数字ばかりいじっている女は願い下げだと言ったんだ!」
「そうですか。理由はそれだけでしょうか?」
「ふん、それだけではない! お前、家の金を横領しているだろう!」
会場がどよめいた。
横領。貴族としてあるまじき罪だ。
「リリナから聞いたぞ。お前が帳簿を改竄し、私腹を肥やしていると! その金で派手なドレスを買っているのだろうが、地味な顔には似合わないとな!」
ジェラルドが得意げに叫ぶ。リリナは彼の背後で「お姉様、素直に認めて……」と嘘泣きをしている。
なるほど。横領、ですか。
私は手元のバッグをそっと撫でた。
その中には、一冊の革張りのファイルが入っている。
これを使うのは、彼が「言い逃れできない嘘」をついた瞬間だと決めていた。
「……横領の罪、ですか。それは看過できないお言葉ですね」
「証拠はあるんだ! リリナの証言がな!」
「証言だけ、ですか?」
「なんだと?」
私が一歩前に出ようとした、その時だった。
大広間の重厚な扉が、衛兵によって勢いよく開かれた。
「――そこまでだ」
温度のない、けれど絶対的な響きを持つ声。
喧騒が一瞬で凍りつく。
現れたのは、夜会服を完璧に着こなした長身の青年。
銀色の髪に、氷のような青い瞳。
この国の第二王子にして、泣く子も黙る「王立監査局」の局長――アルヴィン・フォン・ラインハルト殿下だった。
カツ、カツ、と靴音が響く。
殿下は真っ直ぐに私たちが対峙する場所へと歩いてくる。
その視線が、一瞬だけ私を捉えた。
冷徹なはずの瞳に、熱い色が揺らめいた気がして、私は息を呑む。
……準備はいいか、イリス。
そう語りかけられた気がした。
アルヴィン殿下が私の隣に並ぶと、ジェラルドの顔色がサッと青ざめた。
「で、殿下……! なぜこのような場所に……監査局長である貴方様が」
「監査対象がいる場所に私が現れて不思議があるか? フォースター伯爵令息」
殿下の低い声が響く。
ジェラルドは一瞬怯んだが、すぐに気を取り直して媚びるような笑みを浮かべた。
「なるほど、殿下もこの女の不正を暴きに来てくださったのですね! そうです、このイリスは我が家の金を横領した悪女なのです!」
リリナも便乗し、私のことを指差す。
「そうなのです、殿下! お姉様ったら、私がジェラルド様と愛し合っているのに嫉妬して……家の修繕費だとか言って、自分のお洋服を買っていたんです!」
会場中が「なんて酷い」「地味な顔して強欲な」と私を非難する空気になった。
完全に、彼らは自分が「被害者」だと信じ込んでいる。あるいは、嘘を突き通せば真実になるとでも思っているのか。
殿下はチラリと私を見た。その青い瞳が「やれ」と合図している。
私は小さく頷き、手元の鞄を開いた。
「――ジェラルド様。先ほど、私が『自分の服を買った』と仰いましたね?」
「あ、ああ! そうだ! 先月も五十万ゴールドもの大金が消えていた!」
「ええ、消えていましたね。では、これをご覧ください」
私が取り出したのは、分厚い革張りのファイルだ。
バサリ、と音を立てて開く。
そこには、領地の金の動きが、日付・用途・支払先まで全て詳細に記されている。
「これは我が家の……いや、私が管理していたフォースター家の『真実の帳簿』です。改竄など不可能なよう、全ての支払いには領収書の原本と、魔力認証による記録印を添付してあります」
私はページをめくり、該当箇所を指し示した。
「先月二十五日。支出、五十万ゴールド。名目は『屋敷外壁の修繕費』。ですが……」
私はその横に貼られた、派手なピンク色の紙を掲げた。
「実際に支払われた先の明細がこちらです。『宝石店・ルミエール』。品名『ピンクダイヤモンドのネックレス』」
会場が静まり返る。
ジェラルドの顔が引きつった。
「な……」
「さらに同日、三十万ゴールド。『水路整備費』として引き出された金は、王都の『会員制カジノ・バカラ』へ。こちらはジェラルド様のご署名入り借用書の写しです」
私は次々とページをめくり、読み上げていく。
「三月十日、リリナ様のドレス代百二十万ゴールド。名目は『農具購入費』」
「四月一日、ジェラルド様の遊興費八十万ゴールド。名目は『孤児院への寄付金』」
「四月五日……」
「や、やめろ!!」
ジェラルドが叫んだ。顔は真っ赤で、額には脂汗が滲んでいる。
「そ、それは捏造だ! 僕を陥れるために、お前が作った偽物だ!」
「偽物? これら全ての書類には、商会の印と、あなた自身の魔力署名が残っていますが?」
「うるさい! そんなもの認めない! この女を捕らえろ! 不敬だぞ!」
ジェラルドが衛兵を呼ぼうと手を振り上げた、その時だった。
「――往生際が悪いぞ、ジェラルド」
冷え冷えとした声が、ジェラルドの動きを縫い止めた。
アルヴィン殿下が、一歩前に出る。
その手には、私が持つものよりもさらに厳重な、黒いファイルが握られていた。
「そ、それは……」
「王立監査局による、貴族家の定期監査報告書だ」
殿下はファイルをジェラルドの目の前に突きつけた。
「イリス嬢から提出された内部告発に基づき、監査局が裏を取った。彼女の帳簿と、商会の取引記録、そしてお前の口座の動き。全てが完全に一致している」
「な……裏を、取った……?」
ジェラルドがへなへなと腰を抜かす。
リリナも顔面蒼白で震え出した。
「う、嘘よ……だって、お姉様はただの計算係で……殿下と知り合いのはずなんて……」
殿下は冷たくリリナを見下ろすと、視線を私に戻した。
その瞬間、氷のような表情がふわりと緩む。
殿下は私の隣に立ち、自然な動作で私の腰に手を回した。
「ひゃ……っ!?」
思わず変な声が出る。
公衆の面前、それも厳格な監査局長である殿下が、女性の腰を抱くなんて前代未聞だ。
けれど殿下は気にする様子もなく、むしろ見せつけるように私を引き寄せた。
「イリスは『ただの計算係』ではない。私の有能な協力者であり……未来の公爵夫人だ」
その言葉に、会場が爆発したような騒ぎになる。
「こ、公爵夫人!?」
「第二王子殿下は臣籍降下して公爵になられる予定だろ? その相手って……!」
「あの地味なイリス様が!?」
ジェラルドがパクパクと口を開閉させ、指を震わせて私と殿下を交互に見る。
「み、未来の妻……? 嘘だ、そんな……地味で可愛げのない女を、殿下が……?」
「地味? 可愛げがない?」
殿下は不愉快そうに眉をひそめた。
「貴様の目は節穴か? 数字に対し誠実で、不正を許さず、私と共に徹夜で証拠を揃えてくれた彼女の、どこが可愛げがないというのだ」
「て、徹夜……?」
「ああ。彼女の知性と実務能力は、国宝級だ。浪費しか能のない貴様らには過ぎた宝石だったな」
殿下は衛兵たちに顎で合図を送った。
「ジェラルド・フォースター、及びリリナ。横領、公文書偽造、及び王族の婚約者に対する侮辱罪で拘束する」
「ま、待ってください! 王族の婚約者って、まだ……!」
「今決めた」
殿下の一言で、問答は終了した。
「いやだ、放して! ジェラルド様ぁ!」
「待ってくれ、イリス! 間違いだ、愛しているのはお前だけだ、助けてくれぇ!」
無様に泣き叫ぶ二人だったが、衛兵たちによって引きずられていく。
リリナの金切り声と、ジェラルドの懇願が遠ざかると、大広間には静寂が戻った。
私は大きく息を吐き出した。
終わった。半年間の戦いが、やっと。
「……終わったな」
耳元で、甘い声がした。
見上げると、先ほどまでの「監査局長」の顔を捨てた殿下が、熱っぽい瞳で私を見つめていた。
「行こうか、イリス。ここは騒がしすぎる」
殿下は私の手を取り、エスコートする。
呆然とする学友達の視線を背に、私たちは堂々と会場を後にした。
***
王城へと向かう馬車の中。
私は向かいの席……ではなく、なぜか殿下の隣に座らされていた。
広い馬車なのに、肩が触れ合う距離だ。
「あの……殿下。先ほどの発言、少々やりすぎではありませんか? 『未来の妻』だなんて」
私は努めて冷静に言った。
今回の件は、あくまで「監査局への内部告発」という取引だったはずだ。
私は自由を、殿下は横領の証拠とフォースター家の利権整理を。
それで手打ちなはずだ。
「やりすぎ? 足りないくらいだ」
殿下は不満げに鼻を鳴らすと、私の手を包み込んだ。
大きくて温かい手だ。
「私はずっと狙っていたんだ。君が、あの愚か者に愛想を尽かす瞬間を」
「……え?」
「君が監査局に相談に来た日、私は天に感謝したよ。やっと君を私の元に置ける、とな」
殿下は私の指先に口付けを落とす。
心臓が跳ねた。
「き、記録係として、ですか?」
「鈍いな。……一人の男として、君を欲していると言っている」
殿下の顔が近づく。
逃げ場はない。そもそも、逃がしてくれる気配がない。
普段の氷のような表情はどこへやら、今の彼は獲物を追い詰めた肉食獣のようだ。
「君の計算高さも、数字を見ると目の色が変わるところも、冷めたふりをして情に厚いところも、全て好ましい。……もう、誰にも渡さない」
「殿下……」
「名前で呼んでくれ、イリス。……これは命令だ」
命令という割には、その声は甘く、懇願するように震えていた。
私は観念して、小さく息を吐く。
どうやら私は、とんでもない相手に「永久就職」してしまったらしい。
でも、その腕の温かさは、決して嫌なものではなかった。
「……はい、アルヴィン様」
私が名前を呼ぶと、彼は満足げに微笑み、私を深く抱きしめた。
窓の外では、新しい生活を祝福するように、月が輝いていた。
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アルヴィン様のその後など、感想もお待ちしております。




