第7話:女好きという噂
あの夜、東屋で語り合って以来、アレクシスは少しだけ変わった。
それまで滅多に顔を見せなかった夕食の席に、彼は毎晩現れるようになったのだ。
夕食では、領地のこと、今日見聞きしたこと、ふと心に浮かんだ思いつき――。
そんな取り留めのないことを語り合うのが、アレクシスとイヴォンヌの日課になるのは早かった。
短いながらも、そのひとときが彼女の一日の楽しみになりつつあった。
ある夜のこと。
いつものように静かに食後の茶を口にしていると、アレクシスが唐突に問いかけた。
「イヴォンヌ。お前、馬は乗れるか?」
「え? いいえ……。わたくし、馬術はからっきしでして」
思わず返す声が上ずる。義妹のシンシアはお転婆で、見事な手綱さばきを披露していたが、自分はというと――。
どう考えても優雅とは程遠いし、馬とは一生仲良くなれる気がしない。見ている分にはとても愛らしいのだけれど。
「そうか」
短く応じたアレクシスは、紅茶のカップを置き、ふと口元を緩めた。
「ならば明日は、俺と同じ馬に乗って視察に行こう」
「……え?」
「ひと月前に石灰を撒いてみよとお前が策を講じた件があっただろう。ちらほら効果が出始めているらしい。実際に己の目で確かめてみたくはないか?」
「そ、それは……そうですが、同じ馬に、とは……?」
「そのほうが外の景色がよく見える。馬車では細かなところが見えん。では、明日は厩に来い」
何気ない口調で言い切ると、彼はカップの紅茶を飲み干して立ち上がり、食堂を出て行った。まだ仕事が残っているのだろう。アレクシスの背中はあっという間に粒ほどの小ささとなって消えていく。
イヴォンヌは呆然と彼の背を見送るしかなかった。
「私がアレクシス様と視察に?」
「そういうことのようですわね」
モニカが意味深に頷く。
「アレクシス様と同じ馬で?」
「イヴォンヌ様は馬術のたしなみがありませんし、アレクシス様は乗馬がお好きですから」
モニカがさも当然とばかりに頷く。
「そ、そんなの、ぜったいに、無理だわ……」
イヴォンヌは両手で顔を覆って呻いた。
翌朝。
用意してもらった乗馬用の布地が少ないドレスを着せてもらい、歩き慣れないブーツでイヴォンヌは厩舎に向かった。厩舎の前には、すでに青毛の大きな馬が待っていた。
アレクシスは馬の鼻面を撫でながら爽やかな笑顔を浮かべた。
「来たな」
「……本当に、馬車ではないのですね」
「言っただろう。今日は風が気持ちいい。馬で行くのが一番だ。ローズも喜んでいるようだしな」
どうやら馬の名はローズというらしい。
ひらりと鞍にまたがったアレクシスが馬上からイヴォンヌに手を差し伸べてくる。
イヴォンヌは躊躇したが、アレクシスは本気だ。本気でイヴォンヌを視察に同行させようとしている。
(アレクシス様と……二人きりでお出かけ……)
人目を気にせずに二人で過ごせる時間など、これまでほとんどなかった。
二人きりでならアレクシスに言えるかもしれない。――なぜ一緒に眠ってはくれないのか、と。
イヴォンヌは知っていた。彼は夫婦の寝室ではなく、執務室で寝起きしているのだと。
イヴォンヌと同じベッドで寝ることを避けているのだと。
(女好きという噂は一体なんなのですか)
ならばなぜ自分には一度たりとも触れてはくれないのか。自分にはそんなに魅力がないのか。
近頃ずっと胸の中をぐるぐる渦巻いている問いの答えを知る良い機会かもしれない。
イヴォンヌは意を決してアレクシスに手を差し出した。アレクシスがイヴォンヌの手をつかみ、己のほうに引き寄せる。
足が軽く宙に浮いた瞬間、ぐっと腰を支えられ、背中に温もりが触れた。
「きゃっ……!」
「落ちるなよ」
耳元で低い声が響く。息がかかるほどの近さに、心臓が跳ねた。
馬がイヴォンヌとアレクシスを乗せてゆっくりと歩き出す。
意図せずイヴォンヌはアレクシスに背後から抱きしめられるような形になってしまったが、落馬しないためには鞍の上で大人しくしているしかなかった。
革の匂いと風の音、そして彼の体温。
これほど心臓の音がうるさいものだとは、イヴォンヌは知らなかった。
毎日21時に最新話を更新していきます。全25話完結。全話執筆済みです。
 




