第16話:あなたたち二人で楽しんでいらして
銀の燭台の灯がゆらめき、長い食卓の上に並んだ皿の縁を柔らかく照らしている。
香草を焼いた肉の匂いがほのかに漂う中、食卓を囲む三人の影はどこかぎこちない。
イヴォンヌはグラスの中で揺れる赤ワインを見つめながら、静かにナイフを動かすことしかできない。対面のシンシアは、まるで王城での舞踏会でも思い出しているかのように楽しげに話していた。
「アレクシス様は、乗馬がとてもお得意だと伺っていますの。侯爵家でも有名でしたわ」
「いや、得意というほどでも。馬が好きで、気づけば時間を忘れているだけだ。馬も俺のことが好きだしな」
アレクシスが愛馬ローズのことを思い浮かべているのか、いつになく柔らかい表情で笑った。アレクシスはローズを本当に可愛がっており、領主として忙しく過ごす日々の中でローズとの触れ合いが、彼にとっては最大の息抜きなのだ。
そんなことは分かっている。けれどアレクシスがシンシアに優しく笑いかけると胸の奥がわずかに痛む。――その笑顔は、イヴォンヌだけのものではなかったのだろうか。
「まぁ、嬉しいわ! 私も乗馬が大好きなんです。風を切って草原を走ると、まるで空を飛んでいるみたいでっ」
シンシアが声を弾ませる。彼女の笑い声は鈴の音のように響き、部屋の空気を明るく染めていた。
けれど、イヴォンヌは胸騒ぎを覚えた。
アレクシスの反応を見るまでもなく、彼の目がふっと輝くのが分かったから。
「シンシア嬢は姉君とは違い、少々お転婆な気質と見える。我が家の馬たちとは気が合うやもしれん」
「うふふっ、そうですの。私は昔からじっとしているのが苦手でして。子供の頃はよく母に叱られましたわ」
「ははは! それは俺も同じだな!」
アレクシスとシンシアが意気投合している様子を見て、イヴォンヌの胃は縮れそうだった。今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。
(きっとアレクシス様は……シンシアのほうが……)
よほど魅力的だと今夜の会話で思ったに違いない。
イヴォンヌはうつむく。そうだ。自分はそれが恐ろしかったのだ。アレクシスがシンシアと自分とを比較して、シンシアに心を奪われてしまうことが。
(今更気づいても遅いわ……)
二人はイヴォンヌの顔が曇っていることに気付かず、馬の話を続けている。
「アレクシス様、もしよろしければ明日は少し遠乗りに出かけませんこと? この領地の自然を馬上から見てみたいわ!」
提案の声は明るく、無邪気で、純粋な好奇心そのもののようだった。
「それは……いいな」
弾むような声。
まるで少年に戻ったかのように。
イヴォンヌの手がわずかに止まり、ナイフの刃先が皿をかすめた。
「お姉様もご一緒にいかが?」
シンシアのきらきらとした瞳が、真正面からイヴォンヌを見つめてくる。
断りたくない。二人きりで行かせるのは嫌だ。
行かないでと子どものように地団太を踏んで、駄々を捏ねてアレクシスを止めたかった。
それが掛け値なしのイヴォンヌの本音だ。けれどそんなみっともない真似は出来るはずもなかった。
自分には何もできない。馬は怖い。風を切って走るなんて、到底無理だ。
脳裏にかつて馬上で振り落とされかけたときの記憶がよぎる。喉の奥が急速に乾いていく。
「ありがとう。でも……私は、馬が少し苦手なの。あなたたち二人で楽しんでいらして」
その瞬間、アレクシスが目を上げた。
どこか迷うような、ためらうような視線だった。
「本当にいいのか? せっかくだ。俺と共にローズにまたがって――」
「いえ、いいえ、私が乗っていたら、ローズは早駆けできませんもの。明日は晴れそうですし、全力で馬を走らせるには、丁度良いかと」
言いながら、胸の奥がひりつく。けれど笑うしかなかった。
シンシアが嬉しそうに両手を叩いた。
「じゃあ決まりね! アレクシス様、明日、朝早くに出かけましょう!」
その“決まりね”という言葉が、まるで何かの勝利宣言のように響いた。
イヴォンヌはただ微笑を崩さず、ワインを口に運ぶ。けれど、喉を通る感覚がやけに重たく感じた。
葡萄の甘さが、逆に苦々しい。
(……どうしてこんなに、胸が痛むのかしら)
自分でも理由がわからない。
ただ、二人の笑い声が夜の静けさに混じっていくのを、どうしても聞いていられなかった。
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