第11話:まるで百合の花の精
王城の門が開かれると、眩い光が夜気を切り裂いた。
外壁を飾る無数のランプが金色に揺れ、広場では楽団のファンファーレが高らかに響き渡る。
王都中から集まった貴族たちが、馬車から次々と降り立っては煌びやかな衣装を翻し、祝宴の間へと吸い込まれていく。
アレクシスの馬車が列に並ぶと、イヴォンヌは自然と背筋を正した。
窓の外に見える王城の灯りが、夢のように遠く、現実のように近い。
ふと隣を見ると、アレクシスが彼女の手を軽く取って言った。
「緊張しているのか?」
「……少しだけ」
「なら、俺の後ろを歩け。誰が相手でも、俺がいる」
短く、けれど優しい声音だった。イヴォンヌは小さく頷き、その手を握り返した。
大広間の扉が開かれると、そこには夢のような光景が広がっていた。
天井には無数のシャンデリアが輝き、金糸のカーテンが風に揺れる。
王と王妃が高壇に立ち、優雅に笑みを浮かべていた。
やがて司会の声が響く。
「――陛下、並びに王妃陛下の御前にて、国王即位十五周年を祝う舞踏会を開宴いたします」
拍手が鳴り、音楽が流れ出す。
アレクシスがイヴォンヌの前にうやうやしく手を差し出してきた。
「俺と踊っていただけますか?」
「喜んで」
指先が触れ合った瞬間、心臓が跳ねた。
舞踏会の中央、視線が集まるなかで、イヴォンヌはアレクシスの腕に導かれるまま一歩を踏み出す。
旋律に合わせて、スカートが星屑のようにきらめいた。
彼の手が腰に添えられ、すれ違う息が頬をかすめるたび、胸の奥が不意に熱くなる。
(どうして、こんなにも近いの)
アレクシスの瞳がわずかに細められ、彼女を見つめている。
その表情にはいつもの余裕も皮肉もなく、ただ静かに、何かを飲み込むような熱が宿っていた。
イヴォンヌの足取りがわずかに乱れると、彼はすぐに支えた。
「大丈夫だ」
低い声が耳元に落ちる。鼓動の音が自分のものか、相手のものか、もうわからなかった。
曲が終わると、二人は周りの者たちに合わせて深く一礼した。ファーストダンスを踊った男女たちに拍手が送られ、次の曲が始まる。
「アレクシス様、私は少しお水をいただこうかと」
「そうか。俺は食べ物を見繕ってくる。もう腹が減って死にそうだ。離れても大丈夫か?」
「はい」
そう答えると、アレクシスは「すぐ戻る」と短く言って人の波の中に消えていった。
イヴォンヌは壁際の卓に並んだ水差しからグラスを取り、喉を潤した。
王城の広間は熱気に満ちている。音楽と香水の香りが渦を巻き、色とりどりのドレスと燕尾服が視界を埋め尽くす。
(アレクシス様、遅いわ)
グラスの縁をなぞりながら、彼の姿を探す。
すると、ダンスホールの奥――煌びやかな柱の陰で、ひときわ賑やかな笑い声が上がっているのが見えた。
視線を向けると、そこにはアレクシスがいた。
彼を囲むように数人の貴婦人たちが扇を揺らし、まるで蝶が蜜を求めるように彼の言葉に聞き入っている。
アレクシスは困ったように笑みを浮かべていたが、明らかに逃げ場を失っていた。
(ど、どうしましょう……割って入るのは失礼というものよね?)
助けに行くべきか、知らぬ振りを決め込むか。胸の奥で小さな葛藤が渦巻いたそのとき――
「お隣、よろしいですか?」
穏やかな声に振り向くと、見知らぬ青年が立っていた。
金の刺繍が施された白い礼服を身にまとい、柔らかな微笑みを浮かべている。
「先ほどのダンス、拝見しておりました。……とてもお美しかった」
「えっ、あ、ありがとうございます……」
社交辞令と分かっていても頬が熱くなる。
「よければ、次の曲を――」
「お噂のイヴォンヌ嬢ですね。まるで百合の花の精のようだ」
「踊っていただけますか? あなたが舞踏会にお見えになるのは珍しい」
なんと声をかけてきたのは白い礼服の青年だけではなかった。我も我もと周りにいた殿方たちが声をかけてくる。
「え、あの、私、その、私は、」
その言葉にイヴォンヌは戸惑うほかない。
イヴォンヌはどこか鈍いところがあり、まるで自覚していなかったのだが、若い貴族の男の間で彼女は高嶺の花であった。
汚れなど一切知らぬであろう清楚さ、純朴さ、しとやかさ。社交界にはあまり姿を現さない才媛とどうにかしてお近づきになりたいと願う若者は多かったのだ。
自分の娘を目に入れても痛くないほど溺愛しているマルティネス侯爵のガードが固すぎて、近づこうにも近づけなかったというだけで。
複数人に声をかけられてひたすら困惑していたイヴォンヌはふと視線を感じて顔を上げた。
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