第43話 故郷
その後、騒ぎを聞きつけた城の料理人や御者人、衛兵たちも集まり、部屋は人でごった返していた。
いずれも王子だった頃に何気なく《洗浄》スキルで手助けた人たちだったが、ゼスとしては助けた感覚はないので何とも妙な気持ちになる。
何よりも、みんな目が合うや否や感極まった様子で涙を流すので部屋の湿度が少し上がっていた。
(まあ、森流しの刑にあったのなら死んだって思って当たり前だもんな。俺もハクやユグシルがいなかったらどうなっていたことか……)
ぼんやりと想像してみる。手足を拘束されたまま、ハクやユグシルに出会わなかった場合のことを。
水は《洗浄》でいくらでも確保できる。
食料はほとんど手付かずの自然なので、魚や果物なんかは豊富にある。
魔物と遭遇したら、それはそれであの汚れが気になって《浄化》に目覚めていそう。
(う〜ん、意外となんとかなりそう……?)
首を傾げつつ、ベッドの上でメイドたちに「かわいぃ〜!」ともみくちゃにされるハクを眺める。
ハクの正体を彼女たちが知れば、青ざめて頭を地面に擦り付けること間違いなしだ。
「ガルルルルッ!」
ハクと目が合うと、メイドたちから逃げるように膝の上に飛び乗ってきた。
ぶるぶると体を震わせるハクの翼を撫でつつ、ゼスは思わず笑う。
「なんとかなるわけないよな」
「ガルゥ……?」
一人で生きることができても、独りだと死んでしまう。
そんな当たり前のことに改めて気付かされた。
「ゼス様はどうして王城にお戻りになられたんですか? あっ、ケイラス陛下がゼス様への処遇をお考え直しになられたとかっ」
不意に、ララが期待に満ちた声で訊ねてくる。
気付けば、あれだけ口々に話していたメイドたちが一様にゼスの答えを待っていた。
「ああ、それは――」
ゼスはララたちにこれまでのあらましを説明する。
ハクと出会い、ユグシルを見つけ、エルフの姉弟を助け。ドワーフやエルフたちを招き入れ、村を興したことを。
そして王国との騒動を引き金に、遂には国を興すに至ったことを――。
話を終える頃には、部屋に集った人たちはあんぐりと口を開いていた。
静まり返った室内で最初に口を開いたのはメイド長だった。
「まったく、本当にあなたというお方は……」
それはいつぞやの裏庭で投げかけられた言葉と同じもの。
深い畏怖と崇敬に満ちた声は、この部屋に集った者の総意でもあった。
「ゼス様の国……」
「待って、大樹海までどれぐらいかかるの?」
「うわぁ、この間散財したばっかりだよぅ」
何やら後ろの方でメイドたちがぶつぶつと話している。
怪訝に眺めていると、ララがおずおずと手を挙げる。
「あの、でも大樹海って危険なところなんじゃ……」
「全部が安全ってわけじゃないけど、俺たちが暮らしている場所は魔物の心配はいらないよ。こちらにおわす大精霊ユグシル様のご加護でね」
「……ゼス、ふざけすぎ」
「ひひゃい、ひひゃいって」
ユグシルはジト目でゼスの頬をつねる。
「それにあの地が安全になったのは、ほとんどゼスのおかげ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
ヒリヒリとする頬を押さえながらゼスは不満げに首を傾げた。
「――っと、お前たち、そろそろ仕事の時間だよ」
メイド長の一喝で、メイドたちが慌ただしく動き始める。
それに釣られる形で料理人たちもハッとすると、ゼスに恭しく頭を下げてから部屋を出て行った。
再び三人きりとなり、やけに広く感じられる部屋を眺めながらゼスはポツリと呟く。
「みんな驚いてたね。いや、言葉にしてみると自分でも驚くけどさ。まさか大樹海に国を興すなんて」
「驚いていたけど、それ以上に……」
「ユグシル?」
意味ありげなユグシルの声に振り返ると、いつの間にか彼女はベッドにうつ伏せになっていた。
顔だけをこちらに向け、長い前髪の隙間から翡翠色の瞳に悪戯っぽい光を宿す。
「ふふっ、なんでもなーい」
「なんでそんなに上機嫌……?」
問い詰めようとしたゼスだったが、それから逃れるようにユグシルは枕に顔を埋めると、楽しげに両足をばたばたと動かした。
◆ ◆ ◆
一週間後。無事にゼスを元首とし、大樹海一帯を領土とした国家の建国を認める公文書が結ばれ、ゼスは往路同様にハクの背中に乗って王都を発った。
ユグシルが宿る大樹が眼下に見え、地上に向けて降下を始める。
「空から見ると、発展具合が目に見えてわかって楽しいね」
森が鬱蒼と生い茂る大樹海。その中でも、大樹の周辺は開拓と発展が進み、文明的な営みが上空から見て取れる。
『神権の王笏』から似たような景色を見たものの、実際に自分の目で見ると違うものだ。
ポツポツと広場に人が現れたかと思えば、至る所から人々が集い、空へ向けて両手を振り始めた。
地上が近づくにつれて彼らの声も大きくなっていく。
「お帰りなさい! ゼス様! ハク様! ユグシル様〜!」
「ご無事で何よりです!!」
「王国の奴ら、帰って行きましたよ!!」
口々に叫ぶ彼らに妙な既視感を覚えながら、ゼスはふっと笑みを浮かべる。
すると、背中にしがみついていたユグシルが今の気持ちを代弁するように呟いた。
「帰ってきた」
「……そうだね。ただいまだ」
「ガルゥ!」
胸の中に湧き上がるぽかぽかとした気持ちが、ゼスに雄弁に語っていた。
ここは――こここそが、自分にとっての故郷なのだと。
「みんな、ただいま~!」
ハクの背に乗ったまま、ゼスは地上へ向けて大きく手を振る。
それに呼応するように、地上の声がまた一つ大きくなった。




