第36話 精霊王の言伝
ユグシル村に続々と甲冑を纏った兵士たちが運び込まれていく。
大樹海での移動を経て傷だらけの彼らへ、ピーターが食事を配給していた。
兵士たちは暖かい食事に涙しているが、その様子からも彼らの行軍の壮絶さを物語る。
(なんだったんだ、あれは……)
食事をとる彼らを遠くから眺めつつ、ゼスは兵士たちと相対したときのことを思い返していた。
彼らは見るからにボロボロで疲弊しきった状況だというのに、何かに取り憑かれるように歩き続けていた。
そればかりか口々に「アークライト王国万歳」「バウマン様万歳」「ケイラス様万歳」と唱えていたのだ。
異様なその光景に悪寒のようなものを感じたゼスの目には、彼らの頭を覆い隠す昏い穢れが映った。
フローラのおかげで最低限の精神力を快復していたゼスは、衝動のままに《浄化》を施し、正気を取り戻すと共に気を失った彼らをユグシル村へ連れ帰って今に至る。
(神呪とも、エルフ族のみんなが罹っていた邪神の力とも違う、もっと人為的な汚れ。あれは一体なんだったんだ)
考え込むゼスの脳裏によぎったのは、墨汁が振り撒かれて黒く染まった礼服だった。
その礼服の奥に、バウマンの愉悦に満ちた相貌が浮かぶ。
「まさか――」
一つの仮説に辿り着いたゼスは、兵士たちの間からこちらを呼ぶロバートの姿に気づき、歩み寄った。
「大樹海に侵攻?」
「はい。彼らの話を纏めると、アークライト王国国王ケイラスが大樹海の資源を求め、制圧に踏み切ったと」
自宅でロバートから報告を受けたゼスは、その報告に顔を顰める。
「我々が森流しの刑に処された後、空席となった領地を王族が直轄しているというのは小耳に挟みました」
「大方、満足に領地を治められず、軍事力にものを言わせて大樹海を支配しようとしたんでしょう」
この場に集った元王国の貴族たちも口々に情報を落とす。
「現状の領土をまともに治められていないのに、どうしてさらに領土を広げようという話になるんだ……」
彼らの話にゼスは思わず呆れた。
元々ケイラスは衰退する王家の権威を憂いていた。
これまで制圧不可能とされて不可侵を保たれていた大樹海を他国に先んじて制圧することで、威光を取り戻せると思ったのだろうか。
ゼスの呟きに頷き返す元貴族たちだが、畏怖を交えた呟きを零す。
「しかし、王太子のスキルで強化された軍隊はとても強力でした。私の家も周囲の諸侯と連携しましたが、無残な結果に終わりましたので」
「王太子のスキル?」
ゼスの反芻に、男は頷く。
「王太子バウマンのスキルを受けた兵士たちは、本来人が持つはずの恐怖心や猜疑心、迷いなどを消し去り、ただ与えられた命令を達成するために猛進する精鋭と化すのです。まるで魔物のようなその戦い方に、諸侯連合も歯が立たず……」
悔しげに語る男の言葉に、ゼスは得心する。
(やっぱりあの汚れはバウマンのスキルによるものだったのか)
ゼスの膝の上に座っていたユグシルが、呆れたように呟く。
「人間って愚か。魔物を恐れる心を消しても、魔物や邪神の力が消えるわけじゃない。一時的に制圧はできても、支配なんてできるわけないのに」
「まぁ無理もないよ。この大樹海に魔物が溢れる理由とか、邪神の力の存在とかは、俺もユグシルに出会うまでは知らなかったし。……というかユグシル、おもた――」
「なに?」
「……いえ、なんでもないです」
ウェーブがかった緑髪の間からユグシルの翡翠色の瞳がキッと睨んできて、ゼスは思わず押し黙る。
危うく逆鱗に触れるところだった。彼女は竜ではないが。
「とにかく彼らが大樹海に大挙して来た理由はわかった。フローラさんの《治癒》で傷が治り次第、彼らを大樹海外周へ送り届けるとしよう」
ゼスに《治癒》を施したこともあって、フローラの精神力は底を突いていた。
傷の程度も酷く、数も多いことから兵士たちの治療が終わるまで二日は要するとのことだ。
ゼスの呟きに元貴族たちが不安げに口を開く。
「彼らを帰すのですか?」
「もちろん。彼らもここにいたいとは言わないだろうしね」
ユグシル村に集った大樹海の人々とは違い、アークライト王国の兵士である彼らには帰る場所とその意思があるだろう。
「しかし、彼らを王国に帰せば、大樹海の中でありながら魔物に冒されていないこの場所の存在を知られるでしょう。そして王国は間違いなくこの地を欲します」
「でもそれは時間の問題じゃないかな。王国が大樹海を侵攻しているのなら、遅かれ早かれ彼らはこの地に辿り着く」
「それは、そうですが……」
ロバートを始め、ゼスの家に集った村人たちは深刻な表情を浮かべる。
彼らのその表情に、ゼスは頭を掻いた。
「どうしたものかなぁ……」
思い悩むゼスの膝の上。
ユグシルはゼスの体に密着するように、その小さな背中を押し当てた。
◆ ◆ ◆
「――隠れ続けるわけにはいかない、ってことかな」
その日の夜。
しんと静まりかえった私室のベッドで、ゼスは天井を見上げて一人呟く。
森に飛ばされて以来、ゼスはのんびり平穏な暮らしというものを求めて過ごしてきた。
同じような生活を求める者、居場所がない者、安寧の地を望む者。
そうした者たちと手を組んで、今のユグシル村ができあがった。
ここでの生活にゼスは満足していた。
今はシルク商会の協力で外との繋がりもあるが、もしその繋がりがなくても、今のように楽しく暮らせる自信がある。
だが、
「……あんな風に何かに怯える暮らしが、果たして平穏な暮らしって言えるのかな」
貴族たちだけではない。
このユグシル村で暮らす人たちも、外の世界への恐れを少なからず抱えている。
それは、外部の勢力にこの安寧の地を奪われるのではないかという恐怖だった。
その恐怖を払拭する方法を、ゼスは一つしか思いつかなかった。
「……ガルゥ」
「ハク?」
枕元で眠っていたハクが不意に顔を上げた。
玄関先を警戒するように睨むハクの姿に何かあると感じたゼスは、ベッドからゆっくりと起き上がる。
床で眠るソニアを踏まないように気を配りながら玄関へ向かい、扉を開いた。
「――え?」
扉の先には、数人の人影があった。
アークライト王国の兵士たちだ。
こんな夜更けに何事かとゼスが瞠目し、ハクが警戒する中、彼らは一斉にその場に傅いた。
「精霊王より言伝にございます。――神聖セレスティア教国は、ゼス様を全面的に支持すると」




