第35話 大儀は何処に
大陸中央部を縦断するように広がる大樹海。
その南東部。ユグシル村を含む一帯は、ゼスの《浄化》とユグシルの《精霊の加護》によって、邪神の力が祓われ、魔物が生まれない安息地となっていた。
ゼスはこの日、その安息地から久方ぶりに外へ出ていた。
ユグシル村から南東に進むこと数時間。
道中、数体の魔物と遭遇するも《浄化》でなんなく撃退し、目的の地点に辿り着く。
「ゼスのやる気を否定するつもりはないけど、本当にする? ステータスが伸びてからでもいいと思う」
「いや、やるよ。王国から人がこの森に飛ばされるっていうなら、できるだけ魔物が生まれない場所は作っておいた方がいい」
今回ゼスが結界の外へ出たのは、大樹海の《浄化》のためだった。
ゼスの《浄化》はユグシルの《精霊の加護》がなければ、一度邪神の力を祓った場所であっても再び邪神の力に冒される。
そのため、ゼスの精神力のステータスが伸びるまでは大樹海の《浄化》は行っていなかった。
だが、王国から続々と森流しの刑によって人が送り込まれる状況にゼスは危機感を覚えた。
ハクとソニアの尽力で多くの人を救出できたが、それでも全員というわけにはいかないだろう。
少しでも魔物が生まれない場所を作れたなら、生存率も上がるだろうというのがゼスの考えだった。
そんなゼスの要望に、ユグシルは結界の範囲に指向性を持たせる方法での解決策を提案した。
大樹海の外へはどういうわけか邪神の力が流出しない。
そこで、まずはユグシル村の位置する大樹海南東部を《浄化》しようという話になったのだった。
「いい? 前みたいに、最初からすべてを《浄化》しようとしてはダメ。少しずつ、スキルの範囲を広げていくイメージ」
「もう何度も聞いたって」
「む・り・し・な・い」
「……はい」
いつものクールな表情の中にどこか悪寒の走る威圧を伴って、ユグシルが念を押してくる。
ゼスは力なく頷き返しながら内心でため息を零した。
(どれだけ信用がないんだ……。俺だってもうあんな思いはごめんだってのに)
以前、大樹海全域に《浄化》を使おうとして精神力を使い果たしたときだった。
全身に襲った脱力感と疲労感。何より頭痛や吐き気、臓腑の気持ち悪さはもう二度と味わいたくないものだ。
「大丈夫ですっ。ゼスさんがいつものように無茶をしても、私が《治癒》で治しますからっ!」
同行したフローラからある種の信頼を向けられ、ゼスは辟易するが、気を取り直してその場に屈み込んだ。
そうして地面に手を添え、ゼスはユグシルに言われたとおりじわじわと領域を広げるイメージを浮かべる。
「はぁ――ッ」
今持てる精神力のギリギリを見定めていく。
ゼスのイメージの中で、地面が、空間が、空が、煌々と輝く光の粒子に包まれていく。
オセロの黒い石が白へと転じるように、世界に刻まれた澱みが反転していく。
そうして、ゼスは閉じていた目をカッと開くと、指定した範囲の世界に向けてそのスキルを行使した。
「――《浄化》」
ゼスの脳裏のイメージが現実となる。
光の粒子が天と地を埋め尽くし、奔流となって周囲を駆け巡る。
邪神の力を祓う、浄化の光。
何度目の当たりにしても薄れることのない畏敬の念を抱きながら、フローラはただ呆然と目の前の光景に酔いしれる。
そして。
ゼスの《浄化》によって生み出された空間に、ユグシルが続く。
「《精霊の加護》」
魔物が寄りつかなくなる結界。それは同時に、邪神の力の浸食をも退ける。
かつてユグシル村の大樹を中心にドーム状に敷かれたその結界は、今は指向性を持ち、南東に横断するように広がっていく。
光と光。そこで巻き起こる力の濁流に世界に根付いた呪いが軋みを上げ――弾かれる。
やがてゼスは額に滲んだ汗を拭いながら、ふらりと立ち上がった。
「……ふぅ、ひとまずこんなものかな」
「こんなもの、で済ませないで欲しい。ゼスの《浄化》の範囲が広すぎて、私の《精霊の加護》だと覆いきれなかった。……これ以上拡張するには、もう少し時間が必要」
唇を尖らせてユグシルが不満げに言う。
ユグシルの《精霊の加護》はゼスのように精神力を使うものではなく、クールタイムを要するもののようだ。
だからこそ大樹海全域の浄化には時間がかかる。
「ゼスさん、お疲れ様でした」
フローラが駆け寄ってきてゼスの体に《治癒》を施す。
彼女の《治癒》は外傷だけでなく精神的な疲労にも効果があり、限界ギリギリまでスキルを使ったゼスの疲労感を取り払うのに一役買っていた。
「はぁ~フローラさんがいてくれて助かったよ。結構限界まで範囲指定したからフラフラで」
「だから言った。無理しないって」
呆れるユグシルに反して、フローラはゼスの胸元に手を添えたまま顔を赤くする。
「あの、立っているのがおつらいようでしたら、私に寄りかかってくださってもいいですよ?」
「いや大丈夫。《治癒》のおかげで元気になったし」
「そ、そうですか……そうですよね……」
残念そうに手を離すフローラを訝りながら、ゼスはふとユグシルを見る。
その視線の意図を察したユグシルが、小さく頷いた。
「ゼスも気づいてた? ……向こうに人がたくさんいる。それも、近付いてきてる」
「森飛ばし、にしては数が多いな。それにさっきの《浄化》で妙な手応えもあったし。……ユグシルはフローラさんと一緒にここで待っていてくれ。少し様子を見てくるよ」
「だ、大丈夫ですか?」
心配そうなフローラに、ユグシルは笑い返した。
「大丈夫だよ。神呪に冒されてても、綺麗にすればいいからね」
◆ ◆ ◆
「な、んだと……ッ!?」
アークライト王国王都に帰還したバウマンは、父ケイラスと共に王の間にいた。
国王ケイラスのスキルにより、王の間の虚空には大樹海に送り込んだ軍団の視界が映し出されている。
その映像を眺めていた二人は、愕然とした。
「ゼス、なのか?」
ケイラスの言葉に、バウマンも目を見張りながら前方の映像を見つめる。
先刻まで、ケイラスたちは有頂天になっていた。
バウマンのスキルにより恐怖を忘れて死兵となった軍集団は、多大な犠牲を払いながらも次から次へと現れる魔物を討伐。
支配下においた領域はすでに目標を大きく上回っていた。
そんな中、突然現れた人影。
黒髪黒目の人族。殺気に満ちた兵士たちに反して、飄々とした出で立ちのその少年は、二人のよく知る顔だった。
元、王太子。ゼス・アークライト。
森流しの刑により、たった一人では生きることの出来ない大樹海へ飛ばされ、とっくに亡骸となったはずの亡霊だ。
悪い冗談か、という疑念を抱くうちに、映像の中のゼスが兵士たちへ向けて手をかざす。
そして、何か光が包み込んだかと思うと、そこで映像は途切れた。
ケイラスのスキル、《臣民の視座》は自身が統治する国民の視野を映し出すことができる。
しかしその発動にはスキルを行使する対象が国に従属し、ケイラスを崇めていることが必要だ。
その映像が途絶えたということは――。
ケイラスは苛立たしげに歯がみし、しかしそれ以上に重要な問題へ意識を向ける。
「なぜ! 彼奴が生きているのだ!」
王の間に響き渡る怒声。
文官たちが萎縮する中、ふと王の間の外から現れた秘書官が駆け寄ってくる。
「陛下、こちらを」
「一体なんだ! 私は今忙しい!」
「それが、大樹海の侵攻に対して神聖セレスティア教国からの抗議文が」
「なに?」
書面を確認したケイラスは、乱暴に肘おきを叩きつける。
「薄汚い信奉者共め! こちらの分がよいと見るや、大義がないだのと抜かしおって!」
「しかし父上、俺のスキルで強化した軍団であれば、大樹海の潤沢な資源を支配下におくのは時間の問題。それを手放すなんて……それに、ゼスが生きているとわかったのならなおさら引けない!」
「わかっておる。……待てよ、大義ならばあるではないか」
バウマンの言葉に頷いたケイラスは、ふとその口の端を歪め、秘書官へ告げる。
「森流しの刑は、咎人が死ぬことを前提としたものだ。それが果たされていないと知った以上、法を敷き、それを守るという大義はこちらにある」




