第34話 統治者と征服者
昼下がりのユグシル村。
交易所の正面の広場は少し遅めの昼食をとる村人たちで賑わっていた。
そしてその中にはロバートの姿もある。
彼は、若い女性と小さな子どもと共にサンドウィッチを幸せそうに食べていた。
ロバートの妻アンナと、娘のサラだ。
「ゼスの言うとおり。彼、無理してた」
ロバートたちと同じように近くで昼食をとっているゼスに、ユグシルが呟く。
「今はとても幸せそう」
「そうだね。本当にシルク商会の人たちには感謝だよ」
ロバートの家族が見つかったという報から数日後。
アンナたちは《交易路》でユグシル村へと送られてきた。
初めは警戒していた二人も、ロバートの姿を認めると抱き合って再会の涙を流し、ユグシル村への移住を即断した。
法衣貴族であったロバートが極刑に処され、王城を追い出されてからというもの、アンナは娘と共に王都を脱し、近隣の町で下働きをしてサラを養っていたそうだ。
そしてサラが一人で生活できるようになったら、単身大樹海に乗り込もうとしていたそうで、シルク商会に依頼してよかったとゼスは改めて思う。
「でもまあ、まさかこんなことになるとは思わなかったけどね」
ゼスもまたサンドウィッチを片手に広場を見渡す。
ドワーフ族やエルフ族に混ざって、ロバート以外にも数人の人族の姿がある。
――あれから。ハクやソニアが森流しで大樹海に送り込まれた貴族の人間を幾人も発見したのだ。
彼らを救出し、事情を聞いた上でロバート同様家族を救出しているうちに、さらに数が増えていった。
ケイラスやバウマンたちに逆らって大樹海に飛ばされただけあって、貴族という特権階級にいた彼らは、ロバート同様柔軟に村に馴染んでいった。
加えて貴族としての彼らの能力や経験はユグシル村の運営において大いに力になっている。
しかし、問題もあった。
アークライト王国の貴族ということは、当然ゼスの出自も知っている。
さらには森流しの刑という絶望的な状況にあった彼らを救い、大精霊や竜と共に暮らし、安寧の地を築いている実績も相まって――、
「ゼス殿下! 大精霊様も、ご機嫌麗しゅう!」
仕事を終えて通りがかった元貴族の男性がゼスたちへ恭しく頭を下げてくる。
「だからもう殿下じゃないってば」
「ふふん、悪い気はしない」
ひらひらと手を振るゼスに反して、ユグシルは少し得意げ。
殿下、という呼び名が元貴族の彼らだけでなく、徐々に村人たちに浸透しているような気がして、ゼスは気が気でなかった。
その日の夜。ロバートがララドやエルフ族の族長、そして元貴族たちを伴って家を訪ねてきた。
「財産の管理体制の移行?」
「はい。現状この村では共有財産制のもと、食料や嗜好品など、村全体に均一に分配されています。しかし現状の規模ではそれはあまりにも非効率的。個人が資産を持ち、その中から一定の税を取り立てることで村のインフラ開発に充てるというのが、個人と全体の幸福を高水準で維持する上で望ましいかと」
ピーターが作った夕食を食べ終え、フローラが入れてくれたお茶を飲むゼスに、ロバートが書類を差し出しながら訴える。
書類には現状の村の発展の停滞とその原因、そしてそれに対する改善案が纏められている。
早い話、資産を村全体で共有する現状の体制から、個人所有への移行を奨励するものだった。
嗜好品の一件以来、ゼスも同じような課題を感じてはいる。
シルク商会との交易が始まって以来、ユグシル村は豊かになった。
村の開発もある程度落ち着き、共有資産は嗜好品に使われている。
だが、求める嗜好品は人の数だけあり、全員が満足できる交易を行うためにはどうしても非効率な面があった。
「こちらのカーネルは領地の法制定の経験があり、彼の力を借りれば抜かりないかと」
そう言って、ロバートは隣の男を紹介する。
彼もまた森流しの刑で大樹海に送られた王国の貴族だった。
「みんなの意見は聞いたの?」
「もちろんです」
ロバートの肯定に、彼の背後に佇むララドたちも頷く。
提言にあたって、すでに根回しはすんでいるようだ。
(この辺りは流石王城勤めの財務官、といったところなのかな)
権謀術数渦巻く王城でその地位についていた凄みを感じると共に、そんな彼が森へ飛ばされた背景から、ロバートの正義感もまた同じように感じ取っていた。
ゼスはしばしの沈黙と共に改めて書類に目を通し、小さく頷く。
「うん、いいんじゃないかな。俺も個人で自由に出来るお金を持つ必要は感じてたし」
ゼスの返事に、ロバートたちはホッと胸を撫で下ろす。
「では、カーネルと共に法律の制定に向けて尽力いたします。草案が纏まり次第ご報告に参ります」
「うん、楽しみにしてるよ」
「それと、集めた税収の使い道――すなわち村のインフラ開発事業の最終決定権は、当然ゼス様に委託されるわけですが」
「うん?」
「我々と同じ立場でその指揮を執るというのは構造としてはあまりにも歪。無論、我々がそこに不平不満を唱えることはありませんが――」
「……うん?」
「やはりここは、是非ともゼス様に、正式にこのユグシル村の統治者として君臨して戴きたく」
「う、うん……?」
徐々に熱を帯びていくロバートの訴えに置いてけぼりになるゼスは、困惑の眼差しを彼らに向ける。
しかし、ロバート以下十数名の村人たちは、活気に満ちた表情で見つめ返してくるのだった。
◆ ◆ ◆
その頃アークライト王国では、森流しの刑に処し、権力の空白地帯となった諸侯の領地を王族直轄領として、王室の権威が地方にまで及んでいた。
残った貴族たちも王家への絶対的な忠誠を誓い、あの手この手で定められた税をかき集めている。
おかげで王都一帯はかつてないほどに潤っていた。
そんな中、国王ケイラスたちは一つの問題に直面している。
それは、諸侯から取り上げた領地の税収の赤字だった。
領民の他国への流出も歯止めが利かず、富める場所はさらなる繁栄を、しかしその逆はさらなる貧困に陥っていた。
地方の治安が崩壊し、中央への影響も無視できなくなったケイラスたちは、一つの決断をした。
それが、それまで不可侵であった大樹海への侵攻だった。
「おい、本当に俺たち大樹海に行かないとなのか?」
「強い魔物がうじゃうじゃいるって話だぜ? そんなとこに出兵なんて、どうかしてるだろ」
「噂じゃ大樹海に長くいたら正気を失っちまうって話だ」
アークライト王国西部。大樹海と国境を接する平野に、王都より派遣された軍が集結していた。
遠目からでも異様な気配を放つ大樹海。
その光景を目の当たりにして兵士たちが怯える中、喇叭が吹き鳴らされた。
それまで騒然としていた兵士たちが一斉に正面を向き直る。
音楽隊の奏でる演奏が落ち着き、正面に設置された豪奢な壇上に王太子バウマンが現れた。
齢十二らしからぬ笑みと共に兵士たちを睥睨したバウマンは、ただ一言、彼らへ告げた。
「――《権威支配》」
不思議な力が軍全体に浸透していく。
彼らは先刻まで抱いていた恐怖を忘却し、ただ一つの絶対的な認識を心に刻んでいた。
「バウマン殿下、万歳!」
誰かがそう叫んだ。
「アークライト王国、万歳!」
「ケイラス国王陛下、万歳!」
喝采は波のように広がり、平野を埋め尽くしていく。
そうして、その渦中にあるバウマンは愉悦に満ちた表情で告げる。
「さあ、大樹海を制圧するぞ」




