第32話 ゼスにしかできないこと
交易所にいるロバートを連れ出して家へと招いたゼスは、そこで彼に家族について訊ねた。
するとロバートは堰を切ったようにわなわなと震え出すと、眼鏡を外し、目元を腕で覆い隠しながら涙声で話し始める。
「妻のアンナも娘のサラも、私がいなくなってどうしていることか……っ。城も追い出されていることでしょう。アンナは聡明なので路頭に迷うことはないでしょうが、それでも何があるかはわかりません。……森に飛ばされてからというもの、二人のことが心配で心配でっ」
遂には床に崩れ落ち、悔しげに嗚咽を漏らす。
「何度二人の下へ駆けつけようと考えたことか! しかし極刑に処された私が迎えに行っても、今度こそ妻たちも罪に問われるかもしれない。いやそもそも、私などでは王国へ辿り着く前に野垂れ死ぬことでしょうっ」
「だから、俺たちに何も言わなかったんだね」
ゼスの問いに、ロバートは小さく頷く。
「ゼス様もまた、王国を追われたお立場。あなたが存命と知られれば何が起こるか。……ただでさえこの場所は今の王国にとって、あまりにも価値が高すぎるのです! ……私の命を救ってくださったユグシル村の皆様に、恩を仇で返すような真似はとても」
これまで抱えていたものを吐き出すように言い切ったロバートは、そこで深く息を吐き出し、数度の呼吸を経て目元を拭いながら立ち上がった。
「申し訳ございません、取り乱してしまい――ゼス様?」
目元を赤くしたロバートがゼスの顔を見て、首を傾げた。
ゼスが口元を緩めて優しい表情を浮かべていたからだ。
ロバートの困惑を感じ取ったゼスは、弾かれたように口を開く。
「ああいや、どうしてみんなしてこうなんだろうと思ってね」
「こう、とは?」
「どういうわけか自分のことよりも他人のことを優先する人が多くてね。ここで一緒に暮らす以上みんなにはできるだけ我慢して欲しくないんだけど、そういう人ばかりで困っちゃうよ」
肩を竦めて言っていると、家の入り口から声が飛んでくる。
「その筆頭であるゼス殿がそのようなことを申されても説得力がありませんな」
「ララドさん」
ララドの後ろには数人のドワーフとエルフの姿もある。
彼らは一様に呆れ笑いを浮かべていた。
「どうしてここに」
「ゼス殿が深刻な表情でロバート殿を連れていましたからな。何事かあったのやと思いまして、僭越ながら聞き耳を立てさせていただきました」
「いや、僭越ながらって……」
堂々と聞き耳をしていたことを明かすララドに顔を引きつらせている間に、彼はロバートを見る。
「しかし、まさかそのような事情があったとは。ゼス殿の言葉を借りるわけではありませんが、もっと早く明かしてくださればよいのに」
「……え」
ララドの言葉にロバートは目を丸くした。
それに合わせてゼスも頷く。
「ロバート。家族に会いたいなら、会えるようになんとか頑張ってみるよ。そのことを迷惑がる人なんてこのユグシル村にはいないんだ。だってロバートはもう、俺たちの大切な仲間なんだからさ」
「――――」
ロバートは驚嘆した様子でゼスとララドたちを見つめる。
そんな彼に、ゼスは改めて訊ねた。
「ロバート。君はどうしたい」
「――家族に、会いたいです」
「わかった。俺もみんなも、できるだけのことはしてみるよ」
◆ ◆ ◆
「人探しでございますか」
商談の場に現れたスターロードへロバートの紹介をしてから、ゼスはその話題を切り出した。
「はい。この二人なんですけど」
そう言いながら、ゼスはロバートの家族の情報を纏めた羊皮紙を手渡した。
スターロードは興味深そうに羊皮紙の文字を追い、小さく呟く。
「……ふむ、アークライト王国」
「元々二人は王城内の寮で暮らしていたのですが、今はどこにいるのか。もしかしたら王都以外の都市、国外ということもあり得ます。ぜひともシルク商会のお力をお貸しいただけないでしょうか」
考え込むそぶりを見せるスターロードに、ゼスはさらに言及する。
「そしてもし二人が見つかりましたら、《交易路》も使わせていただきたいのです。……いかがでしょう」
「こちらは?」
追加で差し出した羊皮紙をスターロードは怪訝そうに受け取る。
「依頼料になります。納品には少し時間がかかりますが、必ずお支払いいたします。もちろん、これまでの交易に支障のない範囲に調整はしておりますので」
「ふむ……」
スターロードはゼスとロバート、そして交易所の周囲に集ったララドやエルフたちを見る。
そうして、先に受け取った二人の情報を記した羊皮紙を懐に入れた。
「承知いたしました。どこまでできるかはわかりませんが、できる限りのことはいたしましょう」
「……事情を訊かないんですか?」
すんなりと引き受けたスターロードに、ゼスたちは拍子抜けした。
まだロバートがどういう立場なのかさえ話していないのだ。
「あの国の状況とロバート様のご家族が王城の寮で暮らされていたということを鑑みれば、なんとなく察しはつくというものです。察したものは勝手に察したままでいる方がよいこともこの世にはあるのです」
悟ったような口ぶりで話すスターロードは、不意にゼスを見つめて表情を緩めた。
「やはり、私の見立ては間違いではなかった、ということですか」
「え?」
「いいえ、お気になさらず。ともかく、我々商人のすべきことは顧客の要望に応えること。特によい関係を築きたいと考えているお相手に対しては。ですので、こちらは受け取れませんね」
そう言って、スターロードは最後に渡した羊皮紙を突き返してきた。
「そんなわけにはいきませんよ」
「お気になさらないでください。もしどうしてもということであれば、いずれ何らかの形で返していただければ結構ですよ」
ふふっと柔和な笑みを浮かべるスターロードに、しかしゼスは食い下がる。
「いえ、やはり何かしらのお返しをしなければ。スターロードさんのことは信頼していますが、しかしだからこそ貸しというのは作りたくありません」
「――ははっ、ふふふ、くくっ、くははははっ」
「スターロードさん……?」
突然笑い始めたスターロードを訝ると、彼は目尻に浮かんだ涙を指で掬いながら、心底愉快そうに話す。
「これは大変失礼いたしました。商人である私が一番言ってはいけないことでしたね。いやはや、本当に申し訳ない」
尾を引く笑みを必死に押し殺しながら、ようやく真面目な顔に切り替わったスターロードは、前のめりになる。
「では代わりと言ってはなんですが、ゼス様にお願いしたいことがございます」
「俺にですか?」
確認の声に、スターロードは力強く頷いた。
「はい。――ゼス様にしかできないことなのです」




