第30話 嗜好品と小さい獲物
出産のドタバタもようやく落ち着き、ユグシル村は日常を取り戻していた。
ユグシル村で初めて生まれた赤子は男の子だった。名前をララセスと名付けられた。
ドワーフ族の族長であるララドとゼスの名が由来らしい。
そのことを話すザリアの誇らしげで幸せそうな顔を見れば、ゼスは「やめてくれ」とはとても言い出せなかった。
村人たちは隙あらばザリア一家の下を訪れ、ララセスの寝顔を見物しては差し入れを持ち寄る。
なんだかんだでゼスもその一人で、今日も朝の作業を終えた帰り道にザリア一家の家に立ち寄り、すくすくと大きくなる赤子を眺めたのだった。
「風が少し冷たくなってきたな」
赤子を眺めて家を出たゼスは、吹き付けてきた風に軽く体を震わせる。
スターロードの情報によると、ユグシル村は大陸南東部に位置する。
ゼスの母国であるアークライト王国と同じく、四季に似た季節の移り変わりが存在し、今はちょうど秋にさしかかろうとしていた。
緑一色だった付近の木々も、所々紅葉している。
大樹海の木々は邪神の力で冬でも枯れることはなく、紅葉しない。
だが、この辺りはゼスの《浄化》とユグシルの《精霊の加護》によってそうした影響から脱していた。
その中でも村の中心に聳える大樹だけは変わらず青々とした葉をつけている。
大樹にはユグシルが宿っているので、彼女の生命力がそのまま大樹の在り方に反映されているのだ。
村のどこからでも見ることの出来る大樹の枝葉を眺めつつ、ゼスは家へと向かう。
道行く村人たちの装いも心なしか少しずつ厚着になっていた。
(冬になると洗濯大変なんだよなぁ)
冷たい風を浴びながらふと思い出したのは、城のメイドたち。
裏庭の井戸から組み上げた水で洗濯をする彼女たちは、冬になるといつもその指先を真っ赤にしていた。
そんなことを考えていると、何やら言い争う声が聞こえてきた。
交易所の前でドワーフの若者たちとエルフの若者たちが叫んでいる。
「どうしたの?」
「あ、ゼス様!」
声をかけると、いがみ合っていた両者が一斉に顔を向けてくる。
両者に板挟みになっていたシルク商会の商人がほっと胸を撫で下ろしていた。
(――お酒、かぁ)
彼らの話はこうだった。
シルク商会との取引の輸入品目に、ドワーフ族の若者たちが酒を加えようとした。
そこへ通りがかったエルフ族の若者たちが、村の発展に寄与しない嗜好品は後回しにすべき、と真っ向から否定したのだという。
(まあドワーフはお酒好きでエルフはお酒嫌い。価値観の違いだよな)
現状、ユグシル村は共同体としてあまりにも一致団結しているために、個人の資産というものがほとんどない。
村で作った物は村の所有物であり、交易で物を買う場合は村全体にとって有益なものを求められる。
香辛料などは比較的分配もしやすいので購入されているが、さらなる嗜好品になると判断が難しい。
(個人で資産を持てるようにして、その中から少しだけ村のためにお金を集めて公共事業にあてるってのがいいんだろうけど……そこまでいくと国になっちゃうな)
この問題をどうしたものかと考えていると、騒ぎを聞きつけたララドが現れ、ドワーフ族の若者たちを諫め始めた。
どうやらララドも酒を我慢していたようで、自分の利益を優先するなど何事かと怒っている。
「まあまあ、その辺りにしてあげなよ」
「ゼス殿、しかし……」
「前の村では交易で買ってたんでしょ? それがこっちに来てなくなったのならそりゃあ不満も出るよ。俺だって我慢はして欲しくないからね。余裕があるなら買ってもいいと思う。というか最初の商談の時に言ってくれたらよかったのに」
「で、ですが」
「ただし! 酒を呑まない人のために何か別の嗜好品も買うこと。それが条件だ。あと、勝手に話を進めない。いいね!」
ゼスの言葉に、ドワーフ族とエルフ族は向かい合い、やがてこくりと頷いた。
結局のところ、エルフ族の若者たちも自分たちに何か買い与えられるのなら、不満はないのだ。
「いやはや、本当にお恥ずかしい限りですぞ」
話が落ち着き、若者たちが商人たちと話し合う中、ララドが身を縮こまらせてゼスの下へ近付いてきた。
「ドワーフの酒好きは有名だからね。失念していた俺が悪いよ」
「そんな、ゼス殿には微塵も落ち度はありませんぞ。まったく、村全体で取り決めた交易内容を勝手に変えようなどと、後できつく言っておかねば」
額に青筋を立てるララドに、ゼスは曖昧に笑う。
実際、勝手に品目を追加しようとして商人を困らせていたのは事実だ。
そもそも商会との交易の最終的な決定権はゼスに委ねられている。
彼を通さずに勝手に交易の話を進めようとしても商人は断るほかなく、先ほどの騒動は余計な面倒をかけていただけだ。
「せめて次から交易については俺に相談するように伝えておいてね」
「よく、言い聞かせておきますぞ」
何かを抑えるようなララドの声音に、ゼスはドワーフの若者たちの安否を憂いた。
と、そこへ狩りから戻ったらしいハクが巨躯をそのままに広場へと舞い降りてきた。
「ガルゥ!」
大きな口に咥えていた獲物をそっと地面に下ろし、誇らしげに鳴く。
「今日はいつもより小さい獲物だ、ね……?」
ハクの労をねぎらうべく彼女の下へ歩み寄りながら、ゼスは足下に転がった獲物を見て顔を引きつらせた。
「ゼ、ゼス殿、これは……!」
「人、だよね……?」
そこに転がっていたのは、人族の男性だった。
身に纏っている服は上等なものだがボロボロで、全身に傷や痣がある。
それでも息はあるようで、小さく胸を上下させていた。
「ハ、ハク、どうしたのこの人」
急いでフローラを呼びに向かわせ、ゼスはとりあえず《洗浄》しながら恐る恐る訊ねた。
「ガルル、ガルゥ!」
「――森の中で倒れていたから、拾ってきた。そう言ってる」
「ユグシル……」
どこからともなく現れたユグシルが、ハクの言葉を代弁する。
「森の中で倒れてるって、こんな上等な服を着た人間がどうして大樹海に……?」
ふと脳裏によぎったのは、もしかしたらの可能性だった。
他でもないゼス自身が体験したこと。
――森流しの刑。
「ゼスさん、怪我をした人がいると聞きましたけど……っ!」
「ああうん、この人なんだ。お願いできるかな」
「もちろんですっ」
一つの可能性に思い至ったところで、エルフに連れられたフローラが現れる。
彼女は慌てて地面に横たわった男性に《治癒》をかけ始めた。
《治癒》の光が男性を覆い、ゆっくりと傷や痣が治っていく。
(フローラさんがいてくれて本当によかった。……それにしても、この人どこかで見たことがあるような)
色白で細面の顔。傷が入った丸眼鏡はどこか見覚えがある。
ゼスが記憶を辿っている間にも、男の血色はよくなっていく。
そして、微かなうめき声と共に男の目が開かれた。
「あの、大丈夫ですか?」
その顔をゼスが覗き込むと、焦点の定まりきっていない男の目がゆっくり見開かれる。
そして譫言のように呟いた。
「――あぁ、まさかゼス様にお会いするとは……やはりここはあの世なのですね」
その声を耳にした瞬間、ゼスは思い出した。
顔に覚えがあるはずだ。
「……もしかして、ロバート?」
アークライト王国の財務官である彼の名を口にすると、ロバートは感涙しながら頷いた。




