第22話 エルフ族の集落にて
「本当に、戻ってくるつもりはないのだな」
エルフとドワーフたちが話し込んでいた場所へ向かうと、エルフ族の隊長であるセグウィンがフローラたちに訊ねていた。
フローラは隣のピーターと一瞬視線を交わし、セグウィンたちに頷き返す。
「はい。私たちはここで暮らします」
「……そうか、やはり許してはくれまいな」
わかっていたとばかりに、セグウィンや他のエルフたちが気まずげに顔を伏せる。
だが、その反応にフローラたちはあたふたと手を振った。
「ち、違いますっ。……確かに、色々とつらいこともありました。だけど、ピーターのことは私の我が儘だともわかっていました。ゼスさんがいなかったら、たぶん集落の掟が正しかったんだと思います」
いくらフローラの《治癒》で進行を抑えられたとしても、限界は訪れる。
根本的な解決にならない以上、危険因子を排除することがこの大樹海で生きる者としては当然の選択。
フローラはピーターの頭を撫でながら、微笑む。
「だけど、ゼスさんのおかげで呪いが解けたピーターを、皆さんは受け入れてくれました。私もピーターもそれだけで十分なんです」
「だったら――」
セグウィンの言葉に、今度はピーターが答える。
「ごめんなさい。僕も姉さんも、ここでの暮らしが大好きなんです。――ここが、いいんです」
フローラの桃色の瞳が、ピーターの濃紺の瞳が、強い意志を宿してエルフたちを射貫く。
その眼差しにセグウィンはふっと笑みを零した。
「たしかにここは暮らしやすそうだ。穏やかで、魔物もいなくて、活気があって、大精霊様や守護竜様もおられる。何より、偉大で尊き方も。……私がお前たちだとしても、同じ選択をしただろう」
諦めたような、あるいは羨むような表情で、セグウィンは頷く。
「わかった。お前たちのことはなんとかしよう。……元より集落の者たちがお前たちを受け入れられるかは怪しいところではあったのだしな」
「ご面倒をおかけします」
「それぐらいはさせてくれ。せめてもの贖罪、になるかすら怪しいものだがな」
話は一段落したと、どこか緩い空気が流れ始めた場に、話を聞いていたゼスが割って入る。
「フローラさんたちは本当にそれでいいのか?」
「っ、ゼスさん」
エルフたちがザッとゼスへ向けて傅く。
その様を肩をすくめて眺めつつ、ゼスはフローラたちに歩み寄った。
「あの、ゼスさん、それはどういう意味ですか? 僕たちはここでの暮らしが大好きなんですっ。ここにいたいんです」
「うん、まあそれは嬉しいけどさ。でも、集落には家族だっているだろ? 会えるなら会った方がいいんじゃないかと思ってね。家族なんて、会いたくても突然会えなくなるものなんだし」
前世の両親は、幼い頃に事故で亡くなった。
今世の家族とは違い、暖かくて優しい、大好きな家族だった。
思えば、洗濯が好きなのは家の洗い物をする両親の楽しそうな笑顔が始まりだったかもしれない。
そんな詮無いことを考えつつ、フローラたちへ話す。
「君たちが集落の人を、そして家族を恨んでいるのなら会うべきだとは思わないけど、そういうわけでもないんでしょ? だったら挨拶ぐらいはしておくべきだと思うけどね」
「それは……でも、母さんも父さんも、神呪に一度冒されたピーターを許すとは」
「それなら心配しないでよ」
「え?」
縋るような表情で見つめてくるフローラたちに、ゼスはセグウィンたちを眺めながら告げた。
「俺が、君たちの本当の家族に会わせてみせるよ」
◆ ◆ ◆
「おお、セグウィン! 戻ったか!」
エルフ族の集落へ辿り着いたセグウィンたちを、村の長たちが出迎える。
「ん? なんだお前たち、やけに小綺麗だな……」
セグウィンたちの姿を訝りながら、村人たちは口々に告げる。
「無事にピーターを処分したのだろうな!」
「悪魔の子、いや、悪魔そのもの! 我らに災厄をもたらす前に!」
その声は、かつてのセグウィンたちの中を渦巻いていたもの。
そして今は、その歪さに反吐が出る。
「いいや、ピーターは殺さなかった」
「なに?!」
英雄を迎えるような態度だったエルフたちの表情が鬼のように険しくなる。
「ピーターが冒されていた呪いは、さる御仁が祓ってくださったのだ。ピーターは悪魔になることがない。ゆえに、我々は彼の処分をとりやめた」
セグウィンの告げた内容にエルフ族はざわめく。
「あの呪いを祓えるだと?!」
「バカな、そんなことあるわけが」
「いや、しかしセグウィンが嘘をつく理由が……」
そのざわめきの中で、一人のエルフが叫ぶ。
「しかし! 呪いを祓えたかどうかはどうでもいい! 一度神呪に冒された者は処分する。それがこの集落の掟だろう!」
「! そうだそうだ!」
「なぜ処分しない! さてはお前たち、悪魔の遣いか!」
醜悪な叫びが波のように広がり、集落全体を憎悪の感情が包み込む。
セグウィンたちは苦笑するような表情で空を見上げた。
「我々は、こんなにも醜かったのか。――あとは、お願いします。ゼス様」
セグウィンたちの見上げた先。大空に、一体の白竜が飛んでいる。
その背にはフローラとピーター、そしてゼスの姿がある。
武器を持ったエルフたちに囲まれるセグウィンたちに、フローラが口元を押さえる。
「ゼスさん」
「うん、まあセグウィンさんの時と同じだね」
ゼスの目には、集落で暮らすエルフたちからあのヘドロのような淀みが滲み出す光景が映っている。
その光景は、フローラたちが見ているこの歪な状況よりも遙かにおぞましい。
ゼスはハクの背を撫でる。
「ハク、頼むよ」
「ガルルァ!」
ゼスの指示に従って、ハクが大空から地上へ降下を始める。
そのことに気づいたエルフたちがその武装の矛先をセグウィンから切り替え、慌てふためく。
そんな彼らへ向けて、ゼスは両手をかざした。
「――《浄化》」
人の内面。内側の淀みを祓う、《浄化》の光。
一人、二人、十人、五十人、百人――。
集落にいるエルフ族全員から神聖な光が溢れ出し、集落全体を覆う煌々とした光を生み出す。
ハクの背からその景色を眺めていたフローラとピーターからは、先ほどまで抱いていた恐れが吹き飛んでいた。
そして、集落のただ中。
苦悶に喘ぐエルフ族たちに囲まれるセグウィンたちは、頭上を飛ぶ白竜とその背に乗るゼスへ向けて、静かに頭を下げていた。
やがて。光が収まり、よろめくエルフ族の眼前に、ゼスはハクの背に乗ったまま乗り付けた。
「こんにちは、皆さん」
エルフ族の集落に、悲鳴が轟いた。
◆ ◆ ◆
「ごめんなさい、フローラ、ピーター! 私たち、どうかしてたわ!」
「すまない、私たちを許してくれっ!」
「母さん、父さん……っ」
「僕の方こそ、ごめんなさいっ」
涙目で抱き合う家族の姿を少し離れた場所でゼスは見守っていた。
木に寄りかかり、胡座を組んでいる。
そしてその両足の上には小さくなったハクが寝転がっていた。
「やっぱり邪神の力に歪められていただけだったんだな。よかったよかった」
汚れをすべて祓った余韻に酔いしれつつ、ゼスはぼんやりとフローラ一家を眺める。
お互いに許し合い、抱きしめ合う四人の姿が、少しだけまぶしいような気がした。
「ガルゥ」
「……ああ、そうだな。今は君たちが仲間で、家族だよ」
どこか元気づけるように顔を上げてきたハクの頭を指で撫でていると、フローラがこちらに気づいて近付いてきた。
「ゼスさん、その……本当にありがとうございましたっ」
「いやいや、何回頭下げるつもりなの。いいからいいから、みんなと話してきなよ」
今日何度目かもわからない感謝の言葉に、ゼスは思わず苦笑する。
フローラだけではない。
ピーターにもセグウィンにも、この集落で暮らすエルフ族の全員から、ゼスは何度も頭を下げられた。
感謝、というよりもどこか拝むようなその態度に違和感を覚えつつ、せっかくの再会の邪魔をしないようにゼスは木陰に逃げ込んだのだった。
特にピーターは神呪に冒されてからの数年、フローラ以外とまともに話せていなかったのだ。
その分を取り戻すように、彼はいろんな人と楽しげに会話をしていた。
今は集落のエルフたちが罪悪感から頭を下げてばかりだけど、いずれは元通りの関係性に戻れるだろう。
ピーターの姿を見守りながらそんなことを考えていると、フローラがゼスの隣に腰を下ろした。
「ゼスさんには、本当に感謝してもしきれないんです。……ピーターが神呪に冒されてから、私は色々なことを諦めてました。ピーターのこと、私のこと、穏やかな生活。……そして、集落に残した家族のこと」
ポツポツと振り返るように呟くフローラは、ぐいっとゼスの顔を見つめる。
どこか熱っぽい桜色の瞳が、ゼスを捉えた。
頬は赤く染まり、口元は引き結ばれている。
「あの、ゼスさん。私――」
その口元が躊躇いがちに開かれた時だった。
「がるるぅ! お前、旦那様をゆーわくするなぁ!」
どこからともなく現れたソニアが、二人の間に割って入った。
「ソニア、どうしてここに?」
「がる、旦那様が心配だったから、追いかけてきた! 来てよかった! あたしの勘はすごい! 正解!」
「いや、俺たち全員無事だけど……?」
ソニアの勘も当てにならないな、と思いながら、ゼスはフローラに訊ねる。
「それでフローラさん、なんて?」
「! い、いえ、なんでもない……です」
「ふんっ! エルフはほんと、小賢しい!」
「いやいや、またその話? それ言ってるのソニアだけだから……」
いつかの日と同様、フローラを番ライバル認定するソニアの発言にゼスは呆れるのだった。
これにて『一章 開拓編』は完結になります。
次章もお楽しみに!




