第21話 エルフたちの心労
「うわ、本当だ。黒いもやもやがすごいことになってる」
目の前に広がる光景にゼスは思わず息を呑んだ。
ユグシルの予想通り、エルフたちはソニアが暴れた跡を辿ってきていた。
呪いの痕跡が強く残っていることを聞いたゼスは、彼らにその場所まで案内してもらったのだ。
地面には爪痕が刻まれ、周囲の木々はなぎ倒され、草花は刈り尽くされている。
そして何よりもゼスの目についたのは、そんな周囲に漂う黒い靄だ。
ゼスはいつもの要領で地面に手をつくと、呪いが滲み出している土地そのものへ《浄化》を使った。
「我々は、一体何を見ているんだ……っ」
背後で控えていたエルフたちが動揺の声を上げる。
辺りを清浄な光が覆い、呪いを吹き飛ばしていく光景を客観的に目の当たりにするのは彼らにとって初めてのことだ。
一度目は、浄化の対象としてそれどころではなかったのだから。
そしてその光景は、常人に畏怖と崇敬の念を抱かせる。
見慣れたはずのフローラたちでさえ、ゼスがスキル行使と共に放つ雰囲気に圧倒されていた。
「うん、これでよし」
黒い靄が消え失せた周囲に、ゼスは満足げに頷く。
(本当は土地に染みついた邪神の力も浄化できるといいんだけど、それをするには精神力が足りないみたいだしな)
一気に浄化しなければ、邪神の力に再び浸食されて堂々巡りになってしまう。
ステータスが伸びるまでは一旦諦めたが、せめて目に見える汚れだけでも綺麗にしておきたかった。
「がう……あたし、ここも直さないとダメ?」
念のためエルフとの交渉を近くで見守っていたソニアが不安げに訊ねてくる。
破壊の痕は凄まじく、畑の復旧作業よりも当然ながら規模は大きい。
不安げなソニアに、ゼスは苦笑した。
「別にここは村の中でもなければ、誰かが作ったものでもないからその必要はないよ。まあ自然を荒らしたままでいいのかって問題はあるけど……せめてこの辺りの木々を村の開発に有効活用しようか」
「がう! だったらあたし、ここの木持って行くっ」
「ああいや、それなら――」
そう言いながら、ゼスは空を見上げた。
「ハクにお願いしようかな」
「ガルルルァッ!」
陽光を遮り、地上に影を落としながらハクが舞い降りてくる。
ソニアは睨み付け、フローラとピーターはにこやかに手を振り、そして――。
「りゅ、竜だぁ!!!!」
「総員、戦闘配置! ゼス殿たちを先に逃がせ!」
剣を抜き、弓に矢をつがえるエルフたちに、ゼスは「あぁ、そっか」と気まずげに頬をかく。
「皆さん、大丈夫ですよ」
「へ?」
「この子はハク。彼女も俺たちの村の住人なんです」
「ガルゥ!」
ゼスの紹介を受けながら、ハクは体を小さくしてゼスの頭に飛び乗った。
懐っこく顔を擦りつけるその姿に、エルフたちは構えていた武器をその場に落とし、あんぐりと口を開いた。
「旦那様にひっつくなぁ!」
「ガルルルル!」
「こらこら、喧嘩はやめなって」
睨み合いを始めたハクとソニアを宥めるゼスに、隊長の男が疲れたように呟く。
「もしかして我々は、とんでもない御方と出会ったのではないだろうか」
隊長の呟きに同意するように、エルフの兵士たちの間で沈黙が下りた。
◆ ◆ ◆
フローラたちと和解をしたことで、ゼスはエルフの一団を村へと招き入れることにした。
大樹の袂。立ち並ぶ家屋の骨組みや整備された施設、そして活気づくドワーフたちを眺めて、部隊の隊長――セグウィンが感嘆の声を零す。
「まさか、この場所がこれほどまでに発展していたとは……」
「ほとんどドワーフのみんなが頑張ってくれたんですよ。俺はそこの畑と、あとは水路を少々」
自分が造ったものではないが、仲間と共に開拓した場所を褒められると気分がいい。
ゼスはどこか誇らしげな気持ちになりながら色々と紹介して回った。
そんなゼスの下へ、ララドが現れる。
「おや、これはセグウィン殿」
「ララド様、貴殿もこちらにいらっしゃったのか」
頭を下げ合う二人にゼスは訊ねる。
「お知り合いなんですか?」
「エルフの村とはかねてより交流がありましたからな」
「ああ、そういえば……」
そもそもララドたちが暮らす村に行くことを提案したのはフローラだった。
彼女が暮らしていた集落と関わりがあるのは当然のことではある。
「移住されたのか?」
「うむ。この辺りはゼス様と大精霊様の加護で魔物が寄りつかないのでな。あの村よりは安全じゃろう」
「大精霊様……?」
ララドの呟きに、セグウィンたちは眉を寄せる。
「おかえり、ゼス。うまくいったみたいで安心した」
タイミング良く、大樹からユグシルが舞い降りてくる。
ウェーブがかった若葉色の長髪に、翡翠色の瞳。
幼さを残しながらも整った容姿は、エルフたちの視線を集める。
そして、同時にエルフの一人が叫んだ。
「た、隊長……その方は、だ、大精霊様です……ッ!!」
「なに?!」
愕然とするエルフたちに、ユグシルは気分が良さそうに胸を張る。
「ふふん、その子の言うとおり、私は大精霊。ゼスと共にこの地で暮らしている」
「な、なんと……ッ」
「だ、大丈夫ですか?」
よろりとその場によろめいたセグウィンを、ゼスは慌てて支える。
「すまないな、ゼス殿……予想外のことが立て続けに起きて、力が抜けてしまった」
「うむ、気持ちはわかるぞ」
ララドを筆頭に、フローラやピーター、そして周りで作業をしていたドワーフたちまでうんうんと頷いていた。
そんな彼らの様子にゼスは首を傾げる。
(別に村を紹介してハクとユグシルに会っただけでしょ?)
不思議に思うゼスに、周囲の人間は小さくため息を零した。
◆ ◆ ◆
「そんなことがあったんだ」
元々ドワーフたちと親交があったというセグウィンたちが彼らと話している間、ゼスはユグシルに事の顛末を説明した。
「俺が《浄化》したのってなんだと思う?」
「……たぶん、彼らの中で異常に増長した暴力的な内面――言ってしまえば、負の感情」
「負の感情?」
こくりと頷いたユグシルは、地面を見つめて呟く。
「この大樹海には邪神の力が根付いている。それは魔物を生み出し、精霊を遠ざける。そして、その地に住み着いたものにも影響を与える」
「それは神呪とは違うのか?」
「少し違う。神呪は発症したものを邪神の眷属へと作り替える。でもこの地に残った邪神の力は、そうじゃない。人を人のまま、内面に宿る負の感情を刺激し、増長させる」
ユグシルの説明を受けてもゼスはいまいちピンと来なかった。
うーんと唸りながら、考え込む。
「つまりあれか? 心の汚れを綺麗にしたってこと?」
「……その解釈も、間違いではない」
「言ってみただけなんだけど、マジか。なんかそれって洗脳みたいで怖いんだけど」
ぞぞぞ、と震えるゼスに、ユグシルは首を振った。
「邪神の力で過度に刺激された恐怖心や暴力性、残虐性を消し去って、その人本来の心を取り戻しただけ。洗脳とは違う。元々残虐な性格の人間には、ゼスの力は通用しない……はず」
「そっか、ならよかった。考えてみればそうだよな。そんなことできるわけないし」
疑問が解消されてスッキリしたとばかりに立ち上がり、伸びをするゼスを見上げて、ユグシルは小さく呟く。
「まさか、人の心に巣くった邪神の力が視えるなんて。……もし、ゼスが汚れだと認識してしまえば、洗脳と似たことだって……」
「ユグシル? どうかしたか?」
「っ、な、なんでもない」
ゼスの無垢な眼差しに、ユグシルは一瞬脳裏によぎった考えを忘れるように頭を振ってから、ふわりと浮き上がる。
「今日のご飯はな~にかな」
のんきに鼻歌を口ずさむゼスを見下ろして、ユグシルは密かに気の抜けた笑みを浮かべていた。




