第15話 大樹海の《浄化》
「あ、ハク。今日もお疲れ様」
新しく近辺に移設されたというドワーフの工房へ足を運んだゼスは、その入り口近くでハクと出会った。
工房作りに必要な物資や設備の移送はハクが背に載せて行っている。
そのため迅速な移設が可能となり、つい数日前から工房は稼働していた。
竜に荷運びをさせることにドワーフたちは恐縮し、反対していたが、他でもないハクが乗り気であり、ゼスがその背中を後押しする形で実現した。
「ガルル!」
ゼスがにこやかに声をかけると、ハクは一気に体を小さくし、ゼスの頭の上に飛び乗った。
つんつんと黒髪を甘噛みされながら工房の中へ入る。
小高い山の山腹をくり抜いて作られた工房内では、カンカンカンという甲高い音が壁に反響していた。
その音と共にむわっとした熱気が襲いかかる。
村の中と同様、ゼスたちに気づいた鍛冶職人たちが一斉に「ゼス様」と顔を上げるものだから、ゼスとしてはなんとも落ち着かない。
そんな工房内で、ゼスはよく知る顔を見つけた。
「ピーター、どうしたんだこんなところで」
小柄なドワーフたちの中では、まだ少年といってもエルフである彼のシルエットはよく目立つ。
傍にはララドの姿もあった。
「あ、ゼスさん。ちょうどこれを受け取りに来ていたんですよ」
そう言ってピーターが嬉しそうに見せてきたのは数本の包丁だった。
用途に合わせて刃渡りや切っ先の形状などが違っている。
「おぬしの料理をみんなも楽しみにしておるからな。それでまたうまい飯を作っておくれ」
「はい!」
ララドの言葉にピーターは嬉しそうに頷く。
「それじゃあ、僕は仕込みをしてきます。今日はシチューにするので楽しみにしていてください!」
「うん、頑張って。……張り切るのはいいけど包丁は振り回すなよー」
去りながらぶんぶんと手を振るピーター。
その手には受け取ったばかりの包丁が握られていて、にこやかな表情と相まって猟奇殺人鬼を彷彿とさせる。
そんなピーターを見届けたゼスはララドへ向き直り、手元をそわそわとさせて訊ねた。
「それでララドさん、俺の道具は……」
「うむ、もちろんできておるとも。こっちじゃ」
ララドの小さくも逞しい背中を追いかけて工房の奥へ行くと、そこにはすでに完成したいくつもの道具や武器が並んでいる。
工房内。炉の中で燃えさかる炎とかがり火の明かりを反射させ、陳列された武器の刃が妖しく輝く。
その多くは槍や刀剣、甲冑のようなものだ。
「この武具は誰かから発注されたんですか?」
「うむ? ああ、そうじゃ。我らドワーフは外の世界とも交易をしておる。これは後でハク殿に向こうの村まで運んでいただく分じゃ」
「外の世界……」
「無論、我らが外まで出向くわけではない。そんな危険な真似はできぬ。《転移》系のスキルを持った取引相手が向こうの村に現れて回収していくのじゃ」
「なるほど。それで色々な物資があったんですね」
ドワーフの村から運び込まれる物資の中には、明らかに大樹海内では得られないものも多く含まれていた。
シチューの材料になる牛乳などもその一つ。
「っと、これじゃこれじゃ。ほれ、どうじゃ」
「お、おぉ~!」
ララドが手渡してきたのは一本の鍬。
柄は丁寧にやすりがかけられていて、とても滑らかで握り心地がいい。
先端についた刃は見るからに高品質だ。
「しかし、ゼス殿が手ずから畑作りをせずとも、周りの者に命じてくださればよいだけじゃろうに」
「いや本当、俺はそんな立場にないですから! 鍬、ありがとうございます。大切に使います!」
ゼスは逃げるように工房を後にした。
◆ ◆ ◆
「た、楽しい……!」
《精霊の眼》で農業に適した場所を探し出したゼスは、早速鍬を使って雑草を掘り起こしていく。
ざくざくと刃が土に入り、堅かった地面がふわふわになっていく感覚にやみつきになりながら、ゼスは作業を続ける。
「お前ら、ゼス様に負けるんじゃねえぞ!」
「おー!」
ゼスの周りでは自然と集まってきたドワーフたちが同じように地面を耕したり、邪魔になりそうな木を切り倒している。
「俺、別に一人でよかったんだけど」
「まだ言ってる。いい加減慣れて欲しい。この場所はゼスを中心に回ってる」
「ガル!」
隣をふわふわと浮かぶユグシルの言葉に同調するように、ゼスの頭の上でハクが鳴く。
嘆息しつつ、ゼスは周囲のドワーフたちを眺め、彼らの服が土で汚れていく様に小さく頷く。
「まあ、いいか」
「いいんだ」
そんなやりとりをしつつ作業を続けたゼスだが、自分が休まないと周囲のドワーフたちも休まないことに気づき、仕方なく近くの木陰で休憩することにした。
和気藹々としているドワーフたちと、開墾された周囲を眺めつつ、ゼスは小さく笑う。
「平和だなぁ……」
廃嫡され、大樹海に飛ばされた日には想像もできなかったほど満ち足りている。
この場所は笑顔で溢れている。
それだけでゼスはなんだか嬉しい気持ちになった。
「そういえば……」
そんな彼らを眺めているうちに、ゼスはふと思い出し、木の枝葉に腰掛けて両足をぷらぷらと揺らすユグシルを見上げた。
「以前に君が言っていた、『私と一緒に、この地を変えて欲しい』ってのはどうなったんだ。俺は何もしなくてもいいのか?」
ユグシルと出会った日のこと。
彼女は自分一人ではこの大樹海を守り切れないと話し、《浄化》スキルを持つゼスに一緒にいて欲しいと語った。
定住地を探していたゼスはその要望に応えるまでもなく、大樹の下に居を構える決断をした。
あれきり大樹海の浄化について話題に出ていない。
ゼスの疑問に、ユグシルは翡翠色の瞳を丸くする。
「驚いた。ゼスからそのことを聞いてくるなんて。何かあった?」
「いや別に。ただ、彼らの村で初めて魔物と遭遇して色々思うところがあってさ」
そうしてゼスは魔物との戦闘や、村内に侵入した魔物を一掃した時のことを話した。
するとユグシルは呆れた眼差しを向けてくる。
「……指定した空間にいる魔物の排除。そんな神業を事もなげにやってのけるなんて、ゼスは相変わらずゼス」
「いや、ユグシルの真似をしただけだってば」
「大精霊である私の真似事ができる時点でおかしいって気づくべき」
ぷくぅと頬を膨らませて見下ろしてくるユグシルに、ゼスは首を傾げる。
言ってもわからないと悟ったユグシルは、ため息を零しつつ口を開いた。
「さっきの質問だけど、神呪が辺りに呪いを振り撒き、土地や空気を浸食していくように、清浄な世界も広がっていく。こうしてゼスが一緒にいるだけで、この大樹を中心に清らかな領域は少しずつ広がっている。……だけど」
ユグシルはそこで言葉を句切り、じぃっとゼスの顔を見つめた。
「どうした?」
「……私は、ゼスの力を甘く見ていた」
その呟きにゼスが怪訝そうに眉を寄せる中、ユグシルは呟く。
「世界の浄化。もし本当にゼスがそれをできるなら、この大樹海の呪いを迅速に祓うことができる」
「なら、やってみるか」
「え?」
すくっと立ち上がったゼスに、ユグシルは驚きの声を漏らす。
「随分と乗り気」
「そりゃあ、呪いなんて穢れたもの、綺麗にできるなら綺麗にしたいだろ」
「……そうだった。ゼスはそういう人」
「それに、彼らを見てて思ったんだよ」
そう言いながらゼスはユグシルから視線を切り、のびのびと笑い合うドワーフたちを見る。
「この森には彼らみたいな人がたくさんいるんだろ? この大樹近辺だけじゃない。大樹海全体を彼らが安心して暮らせる場所にしたいって思ってさ」
「――そう」
ふわりとユグシルは枝葉から飛び降り、ゼスの背中に抱きついた。
「な、なに?」
「なんでもない」
いつもの淡々とした口調だが、その声音はとても優しく、嬉しげだ。
ゼスはユグシルの行動に困惑しつつ、「それに」と付け加えた。
「人がたくさんいたら、俺の洗濯物も増えるしな」
「……別に、ゼスのものじゃない」
ぱっと、ユグシルはゼスから離れた。
「なんなんだ、まったく」
首を傾げながらゼスはその場にかがみ込み、そっと地面に手を這わせる。
「あ、ゼス、ばか」
「――《浄化》」
何かに気づいたように制止の声を上げるユグシル。
その声も空しく、ゼスは以前にハクの背に乗って見下ろした大樹海全域をイメージして、スキルを使った。
その瞬間、
「ぁ、……ぇ?」
全身に尋常ではない脱力感と疲労感、そして睡魔と頭痛と臓腑の悲鳴が襲い来る。
ブラックアウトする意識の中、ゼスの放った《浄化》で大樹海の一部が昼の世界を飲み込むほどの光を放った。
◆ ◆ ◆
「……ガウ?」
ばしゃばしゃと川で魚を捕っていた一人の少女が、口に魚を咥えたまま、狼耳をぴょこんと揺らした。
彼女の視線の先では、大樹海を飲み込むのではと錯覚するほどの巨大な光の柱が伸びている。
「ウルルルルル……ッ!」
少女は光の柱に向けて警戒するようなうなり声を上げ、黒い靄で覆われた体躯を逆立てる。
そうして、捕ったばかりの魚をむしゃむしゃと平らげてから、彼女は俊敏な動きで駆けだした。
彼女の通った後はまるで嵐が過ぎ去ったかのように草木が蹂躙され、呪いが振り撒かれた。




