第12話 洗濯の基本と神遺物
ようやく辿り着いたドワーフの村は騒々しかった。
あちこちで野太い怒声が飛び交い、悲鳴のようなものも聞こえてくる。
その理由はすぐにわかった。
「さっきの魔物はこいつらの仲間だったみたいだな」
低山の傍に並び立つ簡素な造りの民家の影から、狼型の魔物が数体現れる。
魔物は、斧を振りかざす一人のドワーフと戦っていた。
「!? おいおぬしら! そんなとこで突っ立ってないでさっさと避難壕へ逃げるんじゃ!」
そのドワーフがゼスたちに気づき声を荒げる。
彼の視線を辿ると、そこには坑道の入り口があった。
「フローラさん、ピーター、ついてこれる?」
「っ、はい」
「僕のことは気にしないで!」
ゼスのやろうとしていることを察した二人が力強く頷く。
頼もしい返事と共に、ゼスは魔物の群れへ突っ込んでいった。
ピクリと、闇が一斉にゼスを向く。
警戒するような咆哮をあげ、魔物たちの矛先がドワーフから切り替わった。
「おぬし!」
そのことを感じ取ったドワーフが、近付いてくるゼスへ叫ぶ。
それを意に介さず、ゼスは《浄化》を使った。
魔物が闇から光へ還っていく。
斧を握りしめていたドワーフは、唖然とした表情でゼスを見上げた。
「おぬしは、一体……」
「この村にいる魔物はこれで全部ですか?」
ドワーフ族の特徴として、成人してもその身長は140cm程度。
それでも顎から立派に伸びた髭と顔に刻まれた無数の皺は、彼が年長者であることを物語る。
ゼスが丁寧な物腰で訊ねると、ドワーフは虚を突かれたように目を見開き、それから弾かれたように村の奥を示した。
「向こうに若いのを追いかけていった魔物がたくさんおるんじゃ。まったく、避難壕から距離をとるだのと格好つけおって」
不満げに言いながらもその声はどこか誇らしげだ。
「おぬしをさぞ高名な神官とお見受けする。どうかご助力願えぬか」
「神官ではないですけど、もちろんそのつもりです」
頷きつつ、ドワーフの案内で村の奥へ向かう。
その道中で、ゼスはふと思った。
(……待てよ。そもそも魔物がいる場所に向かう必要があるのか……?)
ハクやユグシルの神呪を浄化する際、ゼスは《浄化》の対象を強く思い描いていた。
村に着くまでに遭遇した魔物に対してもそう。
しかし、ドワーフと戦っていた魔物の群れに対しては、ゼスは「汚れは全部綺麗になれ!」という大雑把な指定しかしていない。
それだけで魔物の群れは消え去った。
ゼスの脳裏に、ユグシルの《精霊の加護》がよぎる。
あれは範囲内に魔物を近付けない結界。
《浄化》でも同じことができるのではないだろうか。
(……そうだ、俺は何を勘違いしていたんだ。強い汚れにばかりに目がいってしまって、本質を欠いていた)
ゼスは思わず歯ぎしりする。
洗濯のプロとして失格だ。
よほど強い汚れでもない限り、洗濯は衣服全体に施すものだというのに――。
「ゼスさん……?」
「おぬし、大丈夫か?」
突然立ち止まり、地面に向けて手を添えたゼスにフローラたちは訝る。
それにかまうことなく、ゼスは思い描く。
この村全体を洗濯の対象とするように。
前世であれほどこなしたクリーニング。その基本に立ち返り、世界そのものを洗う。
「――《浄化》!」
「な、なんじゃぁ?!」
ユグシルの《精霊の加護》のように、辺り一帯が清浄な光で包まれる。
その光の神々しさに、ドワーフは思わずたじろいだ。
先ほどまでとは比にならないほどの精神的な疲労感が襲いかかるが、この数日で異常なほどに伸びたステータスがゼスを支える。
光が収まり、ドワーフやフローラたちが呆然と周囲を見渡す中、向こうから若いドワーフたちが武器を携えて戻ってきた。
「お、お前たち、無事じゃったか」
ゼスと行動を共にしていたドワーフが安堵の声と共に彼らの元へ走り寄る。
すると、若いドワーフたちは狐につままれたような表情で語った。
「そ、それが長」
「どういうわけか俺たちと戦ってた魔物が全部」
「光に包まれて消えちまったんだ」
彼らの会話を聞いたゼスは、満足げに額の汗を拭った。
「あの、ゼスさん。今のは一体……?」
遠慮がちにフローラが訊ねる。
そんな彼女に、ゼスは頷きながら答えた。
「洗濯の基本だ。頑固な汚れでもない限り、汚れ自体を洗うんじゃなくて、衣服全体を綺麗にするだろ? そのことを今更ながらに思い出したんだ」
「は、はぁ……?」
「フローラさんの服で言えば、汗染みじゃなくてまずは服そのものを――」
「そ、それはもういいですからっ!
ゼスが補足として口にした例に、フローラは顔を真っ赤にして抗議するのだった。
◆ ◆ ◆
その後、怪我人の治療をフローラが《治癒》でおこなってから、ゼスたちは村長の家に招かれた。
外では魔物との戦闘で傷ついた家屋や防御柵の修復が行われていて、少し騒がしい。
高床式倉庫のような家屋。
先ほどのドワーフが頭を下げながら名乗った。
「まずは感謝を。わしはこの村の長をしておる、ド・ララドじゃ」
ララドの名乗りにゼスたちも続く。
フローラたちが名乗ると、ララドは何かに気づいたように顎髭を手で弄る。
「おぬしら、もしかして東のエルフの集落の――」
その呟きに、フローラたちは気まずそうな表情を浮かべた。
そしてフローラは自分たちの身の上を簡潔に説明した。
「ですので、もしその集落のエルフがここを訪ねても、私たちのことは黙っておいていただきたいんです」
「なるほどのぅ。いやもちろんじゃ。命の恩人へ仇で返すような真似はせんし、させんとも。後で村全体に周知しておこう」
「ありがとうございます」
ララドの返事にフローラたちが頭を下げる。
「して、お三方は一体何用でこの村まで来られたのじゃ」
「実は、今俺たちで村を作ろうとしているんですが、開拓に必要な道具が足りなくて。ここでなら良質な道具を調達できるとフローラさんから聞いたんです」
「がはは、確かにその通りじゃ。人間の町で手に入る半端物よりよほど良い物が手に入るじゃろう」
じゃが、と。ララドは申し訳なさそうに言う。
「わしらドワーフは注文を受けてから作るというのを基本としておってな。しかも今は工房の者も村の復旧にかり出されておる。すまぬが数日時間をもらえぬか」
「もちろんです。……あの、ところで」
ララドの言葉に頷き返しつつ、ゼスは不意に家の最奥に目を向けた。
「あそこに飾られているものは……?」
そこには古びた王笏のようなものが立てかけられている。
だが輝きはとうの昔に失われたようで、今は錆び付いたただの置物だ。
その置物が、どうしてか気になった。
「ああ、あれはこの村に伝わる神遺物じゃ。魔物を退け、繁栄をもたらす力があるとされておってな。今ではその力も輝きも失われたが、この村を束ねる長に代々受け継がれておるのじゃ」
「神遺物……」
神遺物は、神代に神の手により創られたとされる遺物。
そのいずれもが特殊な力を有しており、中には持ち主を選ぶ者や、権威の象徴となったものもある。
その最大の特徴は、決して壊れないことだ。
事実、遺跡から発掘されたと見紛うほど古ぼけた外観でも、王笏はその形を保っていた。
「ゼスさん、また汚れが気になるんですか? 言っておきますけどあれは汚れじゃないですから」
「またってなんだ、またって。フローラさんは俺をなんだと思ってるんだ……。あれはただの経年劣化だよ。汚れなわけないだろう」
「~~っ、な、なんだか納得できません……っ」
ゼスの真顔にフローラは頬を膨らませて俯く。
そんな彼女を不思議に思いながら、それでも王笏が気になってしまうゼスは、ララドに訊ねた。
「あの、少し手に取ってみてもいいですか?」
「うむ、もちろんじゃ。とはいえ、神遺物とは名ばかりのただの置物じゃ。さして面白いものではないがの」
快諾され、ゼスは王笏へ歩み寄る。
そして彼が手に取った瞬間。
「……え?」
ぼろりと、王笏が崩れた。
「ゼ、ゼスさん、ななな、何を?!」
「お、俺は何もしてないって!」
慌てるゼスたちだが、座してその光景を見守っていたララドが「ぬおぅ?」と驚きの声を上げた。
その声でゼスは手元の違和感に気づく。
崩れたはずの王笏。しかし両手にはしっかりと棒を掴んでいる感触がある。
ゼスが恐る恐る手元を見ると、そこにはまるで脱皮したかのように真新しい輝きを放つ王笏の姿があった。




